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昨日のエントリで触れた、長崎のケロイドのマリア像は、バチカン、ゲルニカ、ニューヨークの国連本部などを巡礼したという。
〈嬉しい?
六十七年経ったけど
原爆を落とした人はわたしを見て
「やった! またひとり殺せた」」
とちゃんと思うてくれとる?〉
両目を失い、顔の焼けただれたケロイドのマリアに、目の見えなくなった『夕凪の街』の皆実が重なる。
こんな記事を見つけた。
The Bombing of Nagasaki, August 9 1945 The Untold Story
http://www.nuclearfiles.org/menu/key-issues/nuclear-weapons/history/pre-cold-war/hiroshima-nagasaki/article-kohls-gary_2001-08-09.htm
Now it turned out, in the mystery of good and evil, that St. Mary's Cathedral was one of the landmarks that the Bock's Car bombardier had been briefed on, and, looking through his bomb site over Nagasaki that day, he identified the cathedral, ordered the drop, and, at 11:02 am, Nagasaki Christianity was carbonized, then vaporized, in a scorching, radioactive fireball. And so the persecuted, vibrant, faithful center of Japanese Christianity became ground zero, and what Japanese Imperialism couldn't do in 200 years of persecution, American Christians did in 9 seconds; the entire worshipping community of Nagasaki was wiped out.
以下は参考までに。ただし、訳したのはおれなので、ご利用は計画的に。
〈善か悪かは籔の中だが、いまわかっているのは、聖マリア教会(浦上天主堂)はボックスカー(長崎に原爆を投下したB29の愛称)の爆撃手が指令を受けた投下目標の一つであったことである。その日、長崎上空の爆撃照準機で大聖堂を視認した爆撃手は、爆弾を投下した。午前11時2分、キリスト教徒の街・長崎は、灼熱の放射性の火球の中で、炭化し、蒸発したのだ。迫害を受けても、活気に満ち、信仰に篤い日本のキリスト教の中心地は、グランド・ゼロになった。日本帝国主義が200年間なしとげられなかった禁圧を、アメリカのキリスト教徒たちがやりとげるに要したのは9秒間である--長崎の信仰集団そのものが壊滅するまでに。〉
投下当時、浦上天主堂では、8月15日の聖母被昇天を間近にひかえてゆるしの秘跡(告解)が行われていた。天主堂は原爆の直撃で全壊、集まっていた多数の信徒が犠牲になった。
ここでカトリック信仰時代のバタイユの『ランスのノートル・ダム大聖堂』を引いてみる。青年バタイユは、神や聖母や祖国にすがりながら、後の内的体験を彷彿とさせる光の恍惚体験について言及している。第一次世界大戦で戦災に遭ったノートル・ダム大聖堂について、こう書いた。
〈崩壊し、空虚になり、醜くなっても、大聖堂は今なおランスのものである。大聖堂において苦痛は、ただ解放と再生(カトリックの謝恩歌、戦勝祝賀のためにも歌われた)への悲痛な期待のなかにだけ存在する。
大聖堂の石のなかに過去と死に属するものを探し求めてはならなかったのだ。大聖堂のあまりに偉大な沈黙のなかにはその悲惨な眺めを変容させる力がある。この光こそ希望の光なのである。……大聖堂は自分の周囲の死者たちに向け、あなた方は光のなかに埋葬されている、と叫んでいる。〉