山には静寂を求めに行っているのですね。
れんちゃんとの対話を邪魔されたくないのです。
だから、にぎやかな家族やグループがあれば、道を譲って、声が聞こえなくなるまで距離を取ります。
でも、そういうことはめったになくて、ハイカーには、私と同じようなタイプが多いようです。
しかしほぼ山頂の掬星台は、ケーブルとロープウェイで登れますから、そういうわけにもいきません。
バーベキューができるテラスからは、酔っぱらいの笑い声が響いてきます。煙草の吸殻があちこちに落ちていたり、コンビニ弁当の容器が散らかっていたり、マナーの悪さには閉口します。
掬星台では、フリーマーケットからヨガ教室、韓国語教室まで、よくイベントをやっているのですが、その日は、篠笛を吹いている人がいました。
「いい音色だなあ」と思って聴き惚れていると、
「笛の音が聞こえるねえぇ!」
と、掬星台全域に響き渡る、キンキン声で話す女性がいました。どうやら年老いた母親を連れてきているようです。耳が遠いのでしょうか。
「笛の音が聞こえるねえぇエエエ!」
と、彼女は同じことばを、もう一度繰り返しました。それでも、聞こえなかったのか、
「だから、笛の音が聞こえるねえっていってんだよ!」
と、キレ出しました。
うるさいなあ。
笛の音も止んでしまいました。これでは、演奏する気になれないでしょう。
せっかくいい雰囲気だったのに、台無しです。
彼女たち母子も、場所移動して、お弁当にしたようです。
しばらく静かだったのですが、また掬星台全体に響き渡る大音声が聞こえてきました。
「桜が色づいているねえ!」
ふむ。桜の狂い咲き? それなら、私も彼女たちがいる場所の近くを通り過ぎてきましたから、さすがに気づいたはずです。
やはり、聞こえなかったようで、何度も同じ科白を繰り返し、
「だ・か・ら! さ・く・ら・がァ!」
と、最後はキレていました。
ああ、このお母さん、耳が遠いからって、聞こえていないわけじゃないんだろうなと思いました。
私の祖母と母が、こんな感じでした。96歳で大往生した祖母は、片目の視力がほとんどなく、耳も遠く、60代には認知症の症状を見せていました。しかし、おひいさま育ちの性格も相まって、ボケなんだか、天然なんだか、よくわからない人でした。
母も、この祖母のやることなすことによくキレていたものです。
しかし、育児に自信のなかった母からはほぼ放置プレイで(私を産んだ当時二十歳でしたから、仕方ないですね)、祖母と過ごした時間が長かった私の眼から見ると、祖母が正しく、母のほうが誤っていることも少なからずありました。
この母子のばあいも、お母さんには篠笛の音はかすかでも聴こえていて、静かに聴いていたかったから、生返事になっただけなのでしょう。
「桜が色づいている」なんていわれて、みなさんも、わかりますか?
おそらく、桜の木で紅葉が始まっていることを伝えたかったのでしょう。
だったら、「ほら、紅葉になりかけている。桜の木よ」とか、わかりやすい言い方をしないといけませんね。
そういえば、このにぎやかな母子に、前にも会ったことがあることを思い出しました。
8月、真夏のハイキングで力尽き、ロープウェイで帰ったとき、同乗したのです。
あのときも、母親のいうことなすことを、ロープウェイのなかで、いろいろなじっていたものでした。
ほんとうに、嫌な雰囲気でした。
運悪く、席に座らず立っていた私が、写真を撮るため、移動したとき、その彼女の足に軽く当たってしまったのですね。
「すみません」と謝ったのですが、
あれこれ母親に当たり散らしていた彼女は、
「痛ツ!」と車中に響き渡る大音声で叫びしました。
ちょっと触れただけで、別に痛いというほどではなかったと思うのですが……。
しかし、彼女はこうして母親に当たり散らしながらも、定期的に摩耶山に連れてきているようです。
その日の神戸の天気予報は、夜から雨でしたが、雲行きが怪しくなってきて、私たちは早々に山を降りることにしました。
彼女は絶好調で、お母さんに向かって「何でそうなの!」「ばか!」と絶好調でした。
しかし、通り過ぎるときに垣間見た「ばか!」といわれたお母さんは、別に怒るわけでもなく、おだやかに笑っていました。
ああ、うちのばあちゃんと一緒だと思いました。
いくつになっても、娘はかわいいものなのでしょうね。
毎月なのか、毎週なのかはわかりませんが、母親が好きなのであろう摩耶山に、定期的に連れてきてあげる彼女を見直しました。
「おねえちゃん、あんた性格にいろいろ難ありだが、えらいぞ」と思いながら、下山したということです。