「庭が雪に下にしずみこんでしまったいまごろになって、急に園芸家は思い出す。たった一つ、忘れたことがあったのを。─それは、庭を眺めることだ』(カレル・チャペック『園芸家十二ヵ月』)
このくだりはいつ読んでもおかしい。ツイッターのタイムラインで若い子たちのツイートを見ているとうらやましく思う。
ただ年をとるのも悪くない。また春がやってくる。
「われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。10年たったら、この小さな唐檜(トウヒ)が1本の樹になるだろう、と。
はやくこの10年がたってくれたら!本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。新しい年を迎えるごとに高さと美しさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた1年歳をとる」
(カレル・チャペック『園芸家十二ヵ月』)
このくだりはいつ読んでもおかしい。ツイッターのタイムラインで若い子たちのツイートを見ているとうらやましく思う。
ただ年をとるのも悪くない。また春がやってくる。
「われわれ園芸家は未来に生きているのだ。バラが咲くと、来年はもっときれいに咲くだろうと考える。10年たったら、この小さな唐檜(トウヒ)が1本の樹になるだろう、と。
はやくこの10年がたってくれたら!本物、いちばん肝心のものは、わたしたちの未来にある。新しい年を迎えるごとに高さと美しさがましていく。ありがたいことに、わたしたちはまた1年歳をとる」
(カレル・チャペック『園芸家十二ヵ月』)