新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

八角弁当がまた食べたい

2010年05月20日 | 大阪
 JR新大阪駅の水了軒の跡地に、違うお弁当屋が入っていました。本当に倒産してしまったんだなと思いました。

 ご隠居さんが水了軒のファンなのです。お客様が来たとき、少し畏まった会議などでは、いつも水了軒の仕出し弁当。上得意というほどでないにせよ、固定客ではありました。4月の会議で食べたのが最後になってしまいました。


 「廃業のお知らせとお詫び」

 「弊社は明治21年に大阪駅で創業し、駅弁一筋に営業を行って参りました。しかしながら、昭和後期からの高経費体質の改善が進まず、駅弁依存からの脱却ができなかった上に、売上の低下に歯止めがかかりませんでした。」

 ウィキペディア「水了軒」より。

 「2010年4月20日、事業停止し122年の歴史に幕を閉じた。負債総額は約3億3000万円(平成21年2月期末時点)。近年はコンビニエンスストアなど競合増加に加え、駅弁の需要減少などから業績が悪化。売上高は2009年2月期で13億2000万円で、ピーク時(1991年度)の45億円と比べ3分の1以下となっていた。翌4月21日破産手続開始決定。」


 確かに、コンビニとの競合は厳しかったでしょう。駅弁自体の需要も少なくなっています。
 ただ、コンビニその他の競合勢力に負けたのは、価格だけだったのだろうか。

 味に関しては、看板商品の「八角弁当」(はちかくべんとう)は、「これぞ大阪の味」というクオリティの高い駅弁だったと思います。甘い煮汁の染みこんだ高野豆腐は絶品でした。中島みゆきさんが大ファンで、「日経新聞」の「最後の晩餐」のメニューにあげていたこともあります(2005年1月8日)。コンサートが終わると、ホテルにこもって水了軒のお弁当を食べるのが楽しみだと。

 焼き魚やかしわ、そらまめ、烏賊の雲丹焼きなども、いつも楽しみでした。フライものがないのが、ある程度の年齢になるとうれしいものです。小切茄子も、茄子を素揚げしてから、湯で油抜きしてから炊くと、一手間も二手間もかかったものでした。

 しかし、近年は、晩酌の友に八角弁当を買って帰ろうと寄ると、出張帰りの時間帯なのに、もう売り切れのことが多かったように思います。お店の人の対応はあっけらかんとしていて、目当ての高野豆腐が入っている「御堂筋弁当」を、代わりに勧めてくれるということもない。売り切れました。それだけ。

 しかし、それでいいのかと。これは廃棄ロスの問題にもつながりますが、人気商品・定番商品を欠かさないような棚作りができていたのか。お客に売れ残りを買わされるようなネガティブな印象を抱かせてはいけない。たんに販売機会の喪失だけでなく、「あの店にはほしいものがない」というマイナスイメージを抱かせたら終わりでです。

 結局、水了軒では、販売現場と、本社とのコミュニケーションが全然できていなかったのではないか。

 これは最近のもう一つの看板商品にしていた「花音」にも感じます。名物の高野豆腐が入っていないのは、まだわかる(汁がたれるからでしょう)。見た目はきれいでした。お裁縫箱のように間仕切りした空間に、きれいにかわいらしく食材が並んでいる。いとよりの妻折り焼き、鯛なます、烏賊鉄砲などは楽しみでしたが、満足感にはほどとおい。一度か二度食べたらもう十分でした。「八方美人」の全方位戦略の、典型的な失敗事例でした。

 お弁当食べるにも、どれから食べて、どれで〆めるかという、ささやかな楽しみがあるのです。八角弁当なら普通は煮染めから入って、焼魚と香の物で白ご飯でしたたが、ビールが出た日には、空豆とかしわから。冷酒が出た日はまた別。「花音」には、自分なりに味の組み立てを考える、お弁当ならではのストーリーが見えてきませんでした。

 近年の新商品でも、「ふぐづくし」や「大阪弁vs博多弁」はまだわかります。しかし「焼肉寿司弁当」はどうしたものだろう。商品開発も、迷走していたと思います。

 あえて厳しいことも書きましたが、ファンだからです。八角弁当、あの高野豆腐が食べられないなんて、考えたくもないことです。たこ焼きやお好み焼きは、あくまでもおやつや間食です。京都のような雅やかさはなくても、味付けも上品、しっかり食いでもあるのが本当の大阪の味。八角弁当は、その代名詞ではないかと思います。

 現在、水了軒の破産管財人の法律事務所には、数社からブランドを買い受けたい旨の申し出があるようですが、あの味だけは守り抜いてほしいものです。

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