さて、今さらだが、去年観てヤバいなと思ったのは、『プリンセス・トヨトミ』。
良いところもある。走る綾瀬はるかはいい(皆まで言わすな)。大阪全停止で、無人になった街や、電車も止まった大阪駅の映像、そして蜂起していく群衆には、思わず感動しそうになった。ゼネスト万歳!
しかし冷静に考えたら、どこからどうツッコミを入れたらいいのかわからない。JRだって、大阪駅をストップするためには、関西圏全部の指令所ストップする必要がある。車だって隣の府県からバンバン入ってくるだろう。
何より、大阪にどれだけ江戸時代から続く家があるのか、ということだね。父子相伝なら母子家庭はどうなるのか。在日の人たちは? 在日なくしてタイガースはなく、タイガースなくして大阪はないのだ! あとおまえらの好きな焼肉やキムチも。
しかし、「細かいこたぁいいんだよ!」と、なかったことにされている。「荒唐無稽なほら話」という紋切り型で容認してしまう空気がそこにあった。
「これでいいのか?」と考えたね。同じ大阪映画でも、『じゃりン子チエ』や阪本順治監督の新世界三部作のように、自分で自分を笑い飛ばす余裕や活力が、この町からなくなっている。
これは橋下が支持される気分にも通じる。ぶっちゃけウソでもよくて、そんなことはみんな知っている。荒唐無稽でもいいから夢を見たいだけ。元気がもらえたらいい。スカッとできたらいい。しかし、それでいいのか。
通天閣が、初代から数えて今年は100周年だそうだ。私は、新世界三部作のような、この町に生きる民衆のリアルに根ざした、大人のファンタジーをまた観てみたい。そのためには、時代の半歩後を行くくらいでちょうどいい。
ある広告人の告白 大衆の原像をどこにおくか
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/255864/214429/63702750
ある記事への自己レスを、エントリとして独立しました。(2019.9.3)