[今回のテクスト]
『こう読めば面白い! フランス流日本文学 -子規から太宰まで-』柏木隆雄(阪大リーブル)
第6章 三好達治の詩的空間 -フランス詩との関わりをめぐって-
[登場人物]
五十鈴れん
15歳の中学3年生。三好達治の詩集は図書館で借りて読んだ。小さいときにお父さんに聞いた『雪』の説明が気に入っている。日記の中で一人称が「僕」になるのは、谷川俊太郎の影響。
五十鈴九郎(お父さん)
このブログの主。ひとり娘のれんを溺愛する、コロナで隔日勤務の会社員。れんが小さな頃から、谷川俊太郎訳の『ピーナッツ』、ことばあそび絵本などを買い与えてきた。三好達治は敬遠してきたらしい。
[一月の終わり、ある日の午後]
お父さん れんちゃんとゆっくり過ごす午後も、いいものだね。れんちゃんが赤ちゃんだった頃以来だ。経済は困ったことになるが、もうしばらく、この騒ぎが続いてもいいな。
あれ?スマホが鳴ってるよ。
れん ぁ…。ァシュリーちゃん…だ!
私の、ぁれ、読んでもらえた…かな?…もらえた!
返事…返事…スタンプ!ょし!
お父さん れんちゃんスマホ打つの、速いなあ。アミリアちゃんだっけ? 留学生?
れん ァシュリーちゃん!もぅ、全然、ちがう…よ。
これはね、読書サークルのね、LINE…だよ。
夏目書房さんの、かこちゃん、覚えて…る?
お父さん 小さな頃は、 お店の片隅でこっそり本を読んでいて、よく叱られていたね。れんちゃんと同じ学校だったか。今もお店のお手伝いしているの見かけるよ。すっかりお姉さんになったね。いま5年生くらい?
れん もう中等部…だよ。一年生なのに、図書委員会のホープなの。
えーっとね、はぃ、これ!
お父さん 洋書の書影だね。
GIRL WHO LEAPT THROUGH TIME
時をかける少女?
れん 当たり!…です。
かこちゃんのね、クラスメートのね、留学生のァシュリーちゃんと、一緒にね、日本の名作を、英語で読んで、ぃるんだよ…。
お父さん それはすごいな。
れん 『時をかける少女』、小説もァニメも、ァシュリーちゃん、大好きな作品なんだ…って。
『時をかける少女』だけじゃなくて、司書の先生にも手伝ってもらって、教科書にも載っている作品の英訳を読んで、題名を当てるクイズもやっているんだ…よ?
さぁ、ぉ父さんは、答えられるで、ぁろうか…。
タイトルは外して、コピー…はぃ…ペースト…はぃ!
お父さん ふむ?
Human beings on this small orb
sleep,waken and work,and sometimes
wish for friends on Mars.
『二十億光年の孤独』かな?
れん 3行めで、わかって、しまった…。
お父さん 火星といえば、お父さん世代にはウェルズかブラッドベリか谷川俊太郎だからね。
しかし、英訳よく見つけたな。中等部の図書館は、大学の図書館とは違ったんじゃなかったっけ。
ん?あれ、もしかして?
れん その、もしかして…だよ。
中等部に上がったとき、夏目書房さんで買ってもらった、英訳つきの『二十億光年の孤独』…だよ?
お父さん 「英語の勉強になっていい」と、思ったけれど、本当に役に立っているみたいでよかった。
れん 次は…ね…えっと、ね…これは、クイズじゃなくて、ァシュリーちゃんに…ね、谷川俊太郎さんを読んで…ほしくて…ね…スマホで、たくさん詩を打ったの…はぃ。わかる?
お父さん ああ。これは最初の一行めでわかった。英語で読んでもいい詩だね。
This young man
came from somewhere farther away than we thought.
And that far place
he left only yesterday.
He journeyed through a day
that was longer than ten years.
『二十億光年の孤独』に三好達治が寄せた序詩だね。
れん 当たり…です。はぃ。
お父さん この詩を書いたときの三好達治とお父さん、もう同年輩なんだな。
この詩のいうとおりだよ。愚かな中年男がダラダラと生きたこの十年間より、れんちゃんたちの一日一日は、ゆっくり時が流れて、一瞬一緒がきらきら輝いているんだろうね。内気だったれんちゃんが梨花ちゃんと友達になってからは、どんどん積極的になって、今は新しいお友達のためにがんばっていて、お父さんは嬉しい。つい、昨日生まれたような気がするのになあ。
れん ぉ父さん、長生きして…ね?
お父さん ありがとう。三好達治は、師の萩原朔太郎が亡くなったとき、長い弔辞を書いていてね。この人は、近代詩の巨人の死を看取り、現代詩のプリンスが生まれる瞬間に立ち会ったんだなあ。
れんちゃんがiPadに入れてくれたこのPDFには、日本語訳も入っているね。この詩をわざわざ文字起こししてくれたのは、留学生の友達のためだけじゃなくて、お父さんのためでもあるのか。
れん (こくこく)
お父さん ありがとう。じっくり読まさせてもらうよ。
三好達治の詩を読むのは、二十年ぶりだな。昔の大阪市や大阪府は、ちゃんと文化事業もやっていて、お父さんも三好達治の紹介文を書いたことがあるよ。
しかし、柏木先生が最初に紹介する「艸千里濱」は、本当に国民歌だったんだなあ。
れん ぉ父さんも、修学旅行で思い出した?
お父さん 阿蘇には行ったことはないなあ。でも、企業や学校の年史の仕事で、古い社内報や卒業アルバムにたくさん目を通したことがあってね。阿蘇は社員旅行や修学旅行の定番だったんだ。アルバムの思い出ページのタイトルは「艸千里」で、ガリ版の旅行文集には、必ず誰かがこの詩の一節を引用していた。
それだけ国民的人気のあった三好達治が、詩人にとって貴重な収入源の校歌を、たったの五作しか作らなかった、というのも立派な話だ。
れん 私は、「雪」がいちばん好き…これは、ぉ父さんが、読んでください…はぃ。
お父さん 読むの? うん。
雪
太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ 次郎の屋根に雪ふりつむ
れんちゃんに絵本を読んだのを思い出すなあ。いや、この詩を聞かせたこともあったか。
れん ぅん! 私のぉ部屋のスヌーピーが「スヌ太」ちゃんで、スナッフィーが「ちか」ちゃんなの、ぉ父さんが『雪』を聞かせてくれたからだよ?スヌちゃんが「太郎」で、スナッフィーは女の子だから「次子」でちかちゃん。
父 ああ。この子は女の子だから「次郎」じゃないって、れんちゃんに叱られたね。
れん ぅん!昼と夜の12時に、スヌ太ちゃんもちかちゃんも、「基地」のお仕事交代するんだったよ…ね。スヌ太ちゃんは北極の基地で、ちかちゃんは南極の基地で、世界中の子どもたちの夢を守るぉ仕事をしているの。12時間ごとに、スヌ太ちゃんはゥッドストックちゃん、ちかちゃんはミッフィーちゃんとぉ仕事交代。ちかちゃんはいい子ですぐねんねするけど、スヌ太ちゃんはまだ遊びたくて、ゥッドアタックで無理やり眠らせられちゃうのが、おもしろかったなぁ。交代時間が12時なのは、昼と夜が仲良く半分こになるから。夜勤のぉ仕事は大変なんだよ…ね。
父 そんな話もしたなあ。あの頃はもう今の会社にいたけれど、れんちゃんが生まれてすぐに、働いていた会社が潰れてしまってね。お母さんが昼に会社で働いて、お父さんは夜に工事現場で働いて、れんちゃんの面倒を交代でみてたんだよ。夜勤は、日の短い冬はまだいいんだけれど、夏は日がギラギラで寝れたもんじゃなかった。れんちゃんも、なかなか寝てくれないしね。
毎日眠たかったけれど、あの頃、一生分の「かわいい」をもらえたな。ギャラは先払いで受領済みだから、グレても、荒れても、れんちゃんは好きなように生きていいんだよ。
れん ぁりがとう…。ぁのぉ話、ぉ父さんがスヌ太ちゃん、ぉ母さんがゥッドちゃんぽかった…! スヌ太ちゃん、ぃつも漫画読んでるし、アニメ見てるし、ゲームやってるし、ぉ酒飲んでるし…。悪い子で、かわいかったよ…はぃ!
父 そうか。れんちゃんがあの話を気に入って、いろんなパターンを作ったんだったね。
三好達治の「雪」は、含蓄ある、さまざまな解釈の可能な作品で、読者が一億人いたら、一億人の太郎と次郎がいるんだろうな。「雪」の五十鈴家バージョンは、「太郎」と「次子」だ。
しかし、料理が愛情だけでは美味しくならないように、よい作品にはよくなるためのセオリーがある。先生の解説は、さすがだね。
れん ここ、むずかしかった…eとiが、高母音で、oとuが低母音というところが…ぉ父さんには、わかる?
お父さん Taro、Yaneで、明るい音で始めて、大きな屋根をイメージさせながら、Yuki、Furitumuと、ウの音を4つ重ね、重く暗く静謐な音律を響かせる……というところだね。
うーん。お父さんも、そういわれたら、よくわからない。これは、どう説明したら、いいんだろう。ふむ。
学のないお父さんの理解力では、昔の特撮番組風に表現するしかないんだけれど、「ター!」「ヤー!」「ヤー!」と明るく元気よく始まって、「イーッ!」「イーッ!」とテンションアゲアゲなところで、「ウー」「ウー」「ウー」「ウー」と冷気を浴びせかけて、静かに照明を落として退場していくような感じかなあ。まだ寝たくないと騒いでいた小さな人たちが、電池が切れて、スヤスヤ眠るまでの過程がよく感じ取れるね。この詩では音律が重要な働きをしているのがわかる。
れん 最初の三つは『少年ジェット』、次が『仮面ライダー』のショッカー戦闘員さん、最後は『ウルトラマン』の伝説怪獣ウー…なのかな?雪ちゃん、かわいそうだった…科特隊の人たち、ひどすぎます…はぃ。
お父さん いつもお父さんの趣味に付き合わせちゃってごめんね。うん、そのとおりだけど、『少年ジェット』は、「ウー、ヤー、ター!」と、この詩と逆なところが、面白いな。
れん では、次の詩も、ぉ父さんが読んでください…はぃ。
「甃のうへ」(いしのうえ)です。
お父さん また読むの?今日のれんちゃんは、お父さんの過去をえぐってくることだなあ。
甃のうへ
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
れん ぉ父さん、絵本を読むのも、ぬいぐるみ遊びも、詩を読むのも上手…はぃ。
お父さん どれもお金は儲からないねえ。こんなきれいな調べの詩が作りたかったけれど、早々にあきらめた。この詩の美しさは理解できたけれど、この美しさは、自分の人生には無縁のものだと思ったから。
れん ぃまでも、そう思う?
お父さん たまになら、こういうのも、いいかなと、今は思うよ。
三好達治が自作を解説して、こういっているね。
「ただその音韻を舌頭に味つてみるだけでも、十分ことは足りるのである」
この作者本人の解説に、蕎麦の香りや風味を堪能するために、水だけで味わう水蕎麦を思い出してしまったよ。
水蕎麦も一度は食べてみたいとは思うけれど、一度でいい。お父さんは普通の蕎麦が好きだよ。水蕎麦で「十分こと足りる」のは、普段おいしいものばかり食べて、贅沢に飽きた人だけだ。
三好達治のいうとおり、詩においては、音韻はいちばん大切なものだと、お父さんも思う。それは声がことばになる前の、いのちのリズムそのものなのだから。赤ちゃんの、あーん、やーん、きゃっきゃうふふ。おなかへった、やだやだ、もっと遊んで。いのちの叫びが、声となり、言葉になり、歌になる。いのちの叫びのない歌なんて、歌じゃない。
もちろん三好も、「まずは音韻から味わうべきだ」といっているだけで、音韻がすべてだといっているわけではない。「甃のうへ」も、柏木先生の巧みな読み解きのとおり、花に始まり、甍のみどり、廂(ひさし)、風鐸、とイメージを連ねて、みどりの黒髪、当時女学生に流行の庇髪(ひさしがみ)、すんなりなで肩の女性のフォルムを連想させていく。みごとなものだよ。
しかし「甃のうへ」は、音韻とイメージが奇跡的な邂逅を果たした一期一会の傑作で、三好もこれを超える詩はその後詠んでいないんじゃないかな。
この詩が、ボードレールの有名な「旅への誘い」を下敷きにしているというのも、新発見だったな。三好が歌う乙女が見はるかす青空は、この詩の空や太陽と同じく、乙女の瞳に映ったものだ、と。
しかし、うーん。
れん ぅーん?
お父さん 「潤んだ太陽が/靄のかかる空で/(中略)お前の裏切りの目の/涙の向こうで輝いている」
うん。先生の訳したこのボードレールは素晴らしいね。他の人の訳では、ビンとこなかったこの詩の良さが、三好達治の詩との対比で、さらにわかるようになったよ。
しかし、三好達治は、ボードレールの詩にあるピリピリ、トゲトゲしたところは、処理しちゃってるんだね。「甃のうへ」には、「裏切り」も「涙」も存在しない。したがって、太陽は永遠に潤むことなく、空に靄がかかることもない。空は永遠に青空で、時間は停まっている。目も空ろに、ふわふわ青空の下を浮遊する、スタイル抜群な乙女たちは、まるでデルヴォーの女たちのようだ。
れん むぅ。デルヴォーさんの画集、ご本の部屋にあったよ。ぉ父さん、デルヴォーさん嫌い?
お父さん バレたか。画集を持っているくらいだから、好きだったことはあるし、今も嫌いじゃないよ。デルヴォーの幻想絵画に通じる超時間性、超現実性、官能性が、「甃のうへ」の魅力なんだろうね。
少年と女性しか住まない謎の島を舞台にした『エヴォリューション』という映画があって、あまり好みの作品ではないけれど、デルヴォーの『人魚の村』にインスピレーションを得たらしい世界観は、そう嫌いじゃなかった。
センスと力のある映像作家が、柏木先生のテクストを読んだら、「甃のうへ」を素材にシュールで幻想的な美しい映像作品が作れるんじゃないかな。
れん 素敵…です…はぃ!私は、観てみたい…な。そういう人、知ってる?
お父さん うーん。お父さんが若い頃に観た『桜の園』は、案外雰囲気が近いかもしれないね。あの映画のつみきみほは、桜の精のようなこの世ならぬ美しさがあった。
今だと、誰がいるだろう。ああ。京アニの山田尚子監督に創らせたら最高だね。『リズと青い鳥』の、のぞみとみぞれの二人が素足でね、どこの国かわからない伽藍を、ゆらゆら歩き、たまに空を見上げて、見つめ合い、笑い合い、たまにプイと顔を背けて、キャッキャウフフしているだけで、お父さんは2時間観ていられるなあ。BGMはあるけれど、一切セリフなし。山田監督描く少女の脚の動きは、どんな言葉より雄弁だ。
れん 『リズと青い鳥』…好きです、はぃ!ぉ父さんの中では、三好達治さんと山田尚子監督は、美少女枠?で、同じ括り…なのでしょうか?…はぃ。
本当は好きなのに、ぉ父さんが今まで三好さんを読んでこなかったのは、吉本隆明さんの影響?なのかな?戦争に協力する詩を、作った…から?
お父さん 美少女枠とか吉本隆明とか、五十鈴文庫管理人のれんちゃんには、隠し事はできないなあ。でもそれはないよ。
吉本隆明は影響を受けた人だけれど、『文学者の戦争責任』は、興味がなかったから結局読んだことがない。『転向論』は読んだから、吉本が三好について何をいいそうかは、だいたい予想はついたしね。それに、吉本は思想家といわれるけれど、あくまでも詩人だよ。萩尾望都の少女漫画を髣髴させる『固有時との対話』、ことばのエロティシズムに満ちた『記号の森の伝説歌』、詩集にはいいものがある。
お坊さんの反戦運動家に、三好の戦争協力詩を読まされたことがあったよ。憲法9条を奉じるお坊さんは真剣に怒っていたけれど、粗野で下品な北原白秋のそれと違って、三好のそれは詩としての格調と品格はまだ保っているように思った記憶がある。ただ、この詩を読んで戦意高揚するとは、とても思えなかった。お父さんの怒りポイントは、戦争に協力したことではなく、「くだらねえ詩を詠みやがって」ということに尽きたな。
柏木先生のテクストを読んで、こんなヤクザな感想を述べるのはお父さんくらいかもしれないが、本物の戦争協力詩は、ボードレールには書けても、三好には金輪際書けなかったんじゃないかな。ボードレールにあって、三好達治にないものがある。三好がボードレールの元詩から取り除いてしまった「涙」であり、「裏切り」だね。悲しみの涙と裏切りの血は、大地を潤し、河となり、海となり、靄となり雲となり、やがては雨となり雪となり嵐となる。すべては巡り、いずれは帰ってくる。自然は生命を育み、惜しみなく奪う。お父さんが愛するのは、三好達治にはなくて、ボードレールは持っている、この永遠回帰のダイナミズムだな。
しかし、まああれだ、食わず嫌いはよくないことだね。
れん はぃ。食わず嫌い、だめっ…です。はぃ。
父 ルナールが好きな友人に、お父さんも柏木先生が紹介しているルナール調の詩を読ませたことがあるよ。面白がって読んでいたね。
北陸をテーマに文章を書いたことがあるんだけれど、三好達治が福井出身……ではなくて、福井ゆかりの人であることにもっと注意を払っていたら(天の声に感謝します)、また違うものになったろうなあ。九頭竜川について、ほんの少し触れただけだけど、最後に引用される三好達治のエッセイを知っていたら、また違った展開になっただろう。その文章を書いた一年か二年前には、この本が出ているんだよ。こういうのは、情けないし、悔しいねえ。
最後に引用された「越前・三国 -わが心のふるさと-」は、本当にいい文章だ。先生の解説も、『測量船』で春の詩人として出発して、晩秋、あるいは冬の詩人として終わった詩人の生と文業の縮図だという先生の結びのことばは、詩人への敬愛と惜別、その他こもごもの気持ちが相まって、いいものだった。
よし、夕飯の支度だ。れんちゃん、大根をおろしておいてくれる?味はスープで調整するから、大根の真ん中をどーんと贅沢に、300グラムか400グラムくらい。
れん ぇっ? はぃ。どーん。
お父さん 今日は三好達治に敬意を表して、雪見豆腐だよ。お豆腐はあるけれど、鱈やら何やら足りないものを買っててくるよ。
れん 任されました!
普通の湯豆腐も好きです…はぃ。
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三島由紀夫の影響で堀口大学訳で読みました。
「曇りがちなる、空に照る、うるみがちなる、日のひかり、それさへ、われに、なつかしや、不可思議めきて、涙のかげに輝ける、いつはり多き、汝(な)が眼とも」(ボードレール「悪の華・P.119」新潮文庫 一九五三年)
>三好達治
萩原朔太郎論の中で室生犀星の名前が出てきますよね。そこで二、三日前ですが、暑い日が続いていた時、ふと思い出した句がありました。
「銀行の前に植ゑたる芭蕉なか」(「室生犀星句集・P.41」北国新聞社 一九七七年)
どこか腑に落ちた気がしました。
ではでは。
近代文学作品にはフランス文学作品をベースにしたものが結構あります。しかし、翻訳・紹介の過程で、牙を折られ、あるいは漂白・脱色されてしまいました。柏木先生のテクストでは、フランス語を読めないはずなのに、メリメやヴィヨンを換骨奪胎した太宰だけが今も読まれ続けているのは、示唆的かと思います。