タアモさんの『アシさん』は、まんが家をめざしてアシスタントを続ける、23歳の浪川睦(むつみ)が主人公だ。女の子のようなかわいい名前と外見なのに、毒舌キャラのリコ先生が、睦にとって初めての、そしてメインのアシスタント先である。まんが家デビューも出会いも追い続ける、先輩アシスタントの長嶋さんとのやりとりが楽しい。
まんがの制作環境が、アナログからフルデジタルに移行していく過渡期の作品(2011年~2015年連載)であり、技術史という面からも、貴重な記録だと思う。画材の廃盤ラッシュの話題が出てくるが、いずれはスクリーントーンの存在も忘れ去られてしまうだろうからだ。
この作品には、リコ先生のほかにも、女子力高めで優しいけれど少しビターな少女まんが家・心先生をはじめ、さまざまなタイプのまんが家たちが登場する。その中でも、もっともインパクトがあるのが、BLまんが家の山猫先生だろう。
『あのことぼくのいえ』の朝香ちゃんが美しく成長したかのような、山猫先生の初登場シーンに、私はときめいた(朝香ちゃんについては、前日のエントリを読んでほしい)。
しかし、登場いきなり、このセリフである。
「これ ちんこにグラデ貼って 汁削って
汁は エロくしてね」
少女まんが、しかもタアモさんの作品で、まさか「ちんこ」という単語を目にする日が来ようとは思わなかった。
山猫先生は、先輩アシの舞さんと睦の二人に、絡みのモデルを要求する。「違う‼ もっとこう! 男同士だって 感じに‼」「それじゃあ 入ってない‼」と、エロについては妥協を許さない。最初は正常位で、次はバックだ。スマホで写真を撮る山猫先生の構えは、ガッツリとがに股だ。四股を踏んで土俵入りする力士のように漢らしい。
山猫先生は、睦のネームやプロットに助言したり、面倒見がいい。ただし、プロットを読んで、真剣な面持ちで語るのは、「このふたりの 恋の障害が弱い 気がするな」「そう…例えば…男同士だった…とかね」と、BLに誘導するような内容ばかりだ。
睦のところに元カレからラインが届くと、山猫先生は「会いに 行っちゃいなよ」と背中を押す。姉御肌なのだ。このシーンは、クラスメートの男の子の恋を後押しする『あのこ』の朝香ちゃんを想い出させる。そして、天使のようにかわいらしい笑顔でこう付け加える。
「だって 彼氏に彼氏が できてるかも しれないよ?
そうしたら 紹介して ほしいしね」
わけがわからないよ!
アシスタントの舞さんは、山猫先生のオタ友でもある。イベントでは、先生のかわりに、「むさりゅ」本を買ってきてくれる。「むさりゅ」とは、リコ先生の連載作品に登場する「武蔵」と「龍王」のカップリングである。睦と知り合って、リコ先生と出会えた山猫先生は、いま「むさりゅ」愛が再燃しているところなのだ。「お宝」を手に入れた山猫先生の喜びようは、尋常ではない。
「うひょおおおお むさりゅクソかわああああ」
と、美人台無しの変顔でヨダレを垂れ流しながら跳びはね(ぴょんこぴょんこという擬音がかわいい)、
「おちんちん最高!」
と、淫らなことを口走りながら舞さんと一緒に床をゴロゴロ転がる。
まさに初登場回のタイトルのように「未知との遭遇」である。山猫先生なら、筆箱のなかの鉛筆と消しゴムの出会いにさえ、美しい恋物語を紡ぎ出すにちがいない。この豊かな想像力と自由な精神を、好きにならずにいられるだろうか? 「そこに転校生のコンパスが登場したら?」と果てしなく妄想だけが広がっていく。
山猫先生自身は、「男女の恋愛には興味がない」といいながらも、きちんと彼氏もいるらしい。「リアル」と「神聖なる二次元」は別ものなのだ。ただし、彼氏にはBLのことはカミングアウトしていない。
『アシさん』巻末には、『あのことぼくのいえ』小学館文庫版の広告が掲載されている。新しく描きおろされたカバー絵の朝香ちゃんは、山猫先生の高校生時代にしか見えない。ふと、私は思う。もしかしたら、朝香ちゃんも、「むさりゅ」に萌え転がるBL大好き高校生だったのかもしれない。
もっとも、朝香ちゃんがBL好きだったとしても、何の不思議もない。「海くん」が散歩中の朝香ちゃんしか知らないように、家族や友人であったとしても、その人の一面しか知らないものだ。家族に見せる顔、学校や会社で見せる顔、ライブやイベントで見せる顔、隣人に見せる顔、そのどれも違うし、そのどれもその人の顔だ。朝香ちゃんにも、「海」くんにも彼氏にもクラスメートにも見せない別の顔があったとしても、おかしくはない。
「あの朝香ちゃんと同一人物かもしれない」という妄想によって、私の山猫愛はさらに深まった。もちろん、他人のそら似の可能性大ではある。しかし彼氏とその友達でBLを描いてしまう山猫先生の業の深さに比べたら、かわいいものだろう。
他人のそら似といえば、ラストで睦は念願のデビューを果たすが、このデビュー作の扉絵が、ある人の作品の表紙絵に、似ているのである。良くない評判もある人で、あるまんが家のアシさんを務めてきた知人も、この人については、名前を出すだけで不愉快そうな口ぶりだった。そういう予断と偏見があると、この扉絵が、新人の下手さに見せかけて、オリジナルの欠点を露悪的に強調する毒のあるパロディに見えてきて、「タアモさんも、あの人と何かあった?」という考えが頭をよぎってしまった。まあ、これは、女性まんが家同士の百合バトルに期待する、豚野郎のゲスな勘ぐりにすぎまい。ベテランと新人の絵のクオリティの差の付け方、少年まんが、少女まんが、BLまんが、ギャグまんがの絵柄の描き分けの見事さも、『アシさん』の見どころだ。同人イベントの出張編集部で出会い、睦の担当になる「ハゲ」編集長のモデルは、初期作品のおまけ4コマに出てきた「担当のYさん」だろうか。
『あのことぼくのいえ』から『アシさん』の雑誌掲載の間には、5年の歳月が流れている。朝香ちゃんは21歳から23歳で、「海くん」も7歳である。高校卒業で寮から立ち去るとき、朝香ちゃんと「海くん」は、どんな風にお別れしたのだろう。『アシさん』を読んで、『あの子』たちのその後も知りたくなった。
試し読み → 『アシさん』