今ごろになって、夏休みの読書ノート。
私は、ウナギという不思議な生物に対して、興味を抱いてきました。
来年で開設20周年を迎えるこのブログの記事を振り返っても……
『ウナギ 地球環境を語る魚』という本のレビューがあったり……
イタリアのウナギ漁が出てくるというだけで、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した、『ローマ環状線 めぐりゆく人生たち』というドキュメンタリー映画をわざわざ観に行ったり……
「ウナギ料理」と間違えて「ウサギ料理」を取り上げたミステリを読んで、後悔していたり……
ウナギがストーリーの根幹に関わる、昭和のポルノ作家・宇能鴻一郎の異色文学作品『西洋祈りの女』を高く評価したり……
敬愛する吉村昭にも、映画『うなぎ』の原作になった『闇に閃く』というウナギ漁を描いた短編があります。
ステーションシネマで映画を観ることが多いのも、たまさかの贅沢が、レストラン街にあるひつまぶしのお店だからです。週末のレストラン街はどこも行列ですが、このお店は予約無しでいつもふらっと入れるのが理由です。
まあ、最近はご無沙汰ですが。
幼い頃、私が夢中になっていた本のひとつに、『恐竜』図鑑がありました。
学研の「なぜなに」シリーズだったかな? 映画『ガメラ』の撮影シーンも収録されているような、ゆるーい本でした。
メインはかっこいい恐竜たちが描かれたカラー刷りページです。しかし私が夢中になったのは、二色刷りの付録ページでした。
その付録ページで、アリストテレスの博物学からダーウィンの進化論に至る、生物学の歴史が紹介されていたのです。
そのなかで、アリストテレスが、「ウナギは泥から発生する」と唱えていたことを知りました。それは、ウナギの卵を見つけることができなかったからだ、という説明がされていたと記憶します。しかし、近代に入って、大西洋のサルガッソー海で、ウナギの幼体が発見され、この自然発生説は覆された、と。
サルガッソー海については、アトランティス大陸やムー大陸、バミューダトライアングルと同じカテゴリーに属する「ミステリースポット」として知っていました。たしか同じ「なぜなに」シリーズの図鑑だったと思いますが、コロンブスのサンタマリア号が、海藻が繁茂する海域で動けなくなり、パニックに陥った船員たちが恐怖に顔を歪めている様子が、挿絵に描かれていたものです。
あのサルガッソー海がウナギのふるさとなのか!
(そこにはニホンウナギへの言及はありませんでした。ニホンウナギの産卵場所が、フィリピン沖、西マリアナ海嶺のスルガ山と特定されたのは、近年のことです)
これがウナギに興味を持ったきっかけです。力不足で挫折しましたが、ウミガメの大回遊をテーマにした図鑑を作ろうとしていた原点も、ウナギにあります。
私は、アリストテレスが「ウナギは泥の中から発生する」と書いたことは、当時の科学の限界だろうと漠然と考えてきましたが、それは全く逆でした。アリストテレスは『博物学』を著すに当たり、生物たちの解剖を積極的に行いましたが、ウナギについては、ついに精巣や卵巣などの生殖器官を発見できなかったのが、自然発生説を採用した理中でした。つまり、解剖学の見地に踏まえたものだったのです。卵を持ったメスのウナギが捕獲され、ウナギが生殖器を持ち、自然発生でなく、卵生によって生まれることがわかったのは、1777年のことでした。
しかし、生殖器と卵を持つウナギは、長いこと、この一匹しか確認されておらず、さらに、精巣を持ったオスのウナギは、発見されることがなかったというのです。この幻のウナギの精巣探しは、なかなかエンジンがかからなかったと、本書の著者はいいます。多くの人びとが、ウナギは両性具有だと信じていたためです。
この幻の精巣を発見する野心に燃えたのが、後に精神分析学者となる、19歳のフロイト青年でした。若いフロイトは、研究のために訪ねた、ウナギが水揚げされる港町のトリエステに赴きます。
友人宛書簡をみるところ、フロイト青年は、たちまち街の女性たちに魅了されたようです。しかし、女性と交渉を持った形跡はないようです。それは、童貞坊やのこじらせでした。
「ここの動物たち(las bestias 女性のこと)は美しい」と最初、手紙に書いていたのが、研究の行き詰まりとともに、トリエステの女性たちについて「化粧が濃い」「不器量だ」と書くようになり、最後には、「人間を解剖することは許されていないから、女性のことはさっぱりわからない」と妄言を書き記すに至るのです。フロイトの女性賛美は、結局、ミソジニーの裏返しにすぎないものでした。
しかし、解剖ができるウナギについて、フロイト青年は何かわかったでしょうか。
「オスのウナギを見つけようとして、やみくもに多くのウナギを傷つけ、無理を重ねてきたが、解剖したウナギはすべてメスだった」
と、フロイト青年は、敗北宣言せざるをえませんでした。
彼が友人に送った手紙には、あざ笑うような笑みを浮かべたウナギが描かれ、この不可解なウナギを、女性を表現したのと同じ「las bestias」(動物たち)と言い表したそうです。
フロイトという人は、童貞をこじらせた、面倒くさい人間だったようです。初恋の人が他の男性と結婚したことを知ると、「恐竜と同じ頃に生存していた海洋爬虫類の学名、[イクアシー]、つまり「魚竜」というあだ名で呼ぶようになったんだとか。最低のクズ野郎ですね。
フロイトの精神分析学の肝である「去勢理論」は、ペニスを持たない女性が、男性に羨望を持ち、女性であることの限界を知るというものですが、当の女性にしたら、「ハア?」「このおっさん、何いってんの?」ですよね。
結局、フロイト青年は、ウナギの「ペニス」の発見に至ることはありませんでした。精巣を持ったオスのウナギが発見されたのは、フロイトがウナギ研究に挫折した20年後のことでした。フロイトの去勢理論が、ウナギ研究の挫折から生まれたものだという仮説を唱える本書は、なかなか興味深いものでした。
実際に、井戸の中、あるいは水槽など、ヨーロッパウナギの産卵場所と仮定されたサルガッソー海に行くチャンスのない周囲から隔絶した環境に生きるウナギは、少年/少女のまま、成熟することがないというのも驚きです。捕獲100年を経ても、水槽のなかで体長40センチメートル以上になることはなく、「少年」(少女)のままの体型を保ったウナギの事例が報告されています。
ウナギは、ある日、サルガッソー海をめざしますが(今ではヨーロッパウナギの産卵場所は、サルガッソー海でなく、大西洋の海嶺だと判明したようですが)、それは気まぐれとしかいいようがない現象のようです。
1980年代にアイスランドで行われた学術調査では、海で捕獲したウナギの年齢に、大きなばらつきがあることが判明したとのことです。もっとも若いものは8歳、最年長は57歳。最年長のウナギは、最年少のウナギの7倍もの年月を生きながら、同じ発達段階にあり、相対年齢は一緒だったということです。
レーチェル・カーソンも、ウナギ研究からスタートしていたというのも驚きでした。ギュンスター・グラスの『ブリキの太鼓』の馬の生首を水底に沈めるウナギ漁の描写も、インパクトがあります。
かれこれ約半世紀、ウナギに魅了されてきた私には、『ウナギが故郷に帰るとき.』は、夢のような作品でした。
筆者のバドリック・スヴェンソン氏は、1972年生まれのスウェーデンのジャーナリスト。
本書では、道路舗装業に従事した父親とともに、ウナギ釣りに明け暮れた少年時代が振り返られます。
1980年代のスウェーデンでは、地方に行けば、まだウナギが捕れたのですね。同じ時期の日本でも同じかな。
1970年前後までは、東京でも天然ウナギが釣れたようです。1969年公開の『続・男はつらいよ』では、寅さんが再会した葛飾商業の恩師のために、江戸川でウナギを釣るシーンが出てきます。父親に聞いても、昔はウナギは簡単に釣れたようですね。
最近は、道頓堀川でも天然うなぎの生息が確認されたようで、うれしい限りです。大正・昭和初期生まれの人は、道頓堀川で泳いだ記憶を楽しげに語ります。しかし、今では浄化されたといっても、100ccの水に、大腸菌が1000個も見つかるそうで、泳ぐには適さないようです。阪神のアレでも、飛び込むのは、やめておきましょうね。