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フェミニズムの視点から見た源氏物語 人形(ひとがた)とドール

2023年12月02日 | 源氏物語・浮世絵・古典・伝統芸能
以前、「夢見るシャンソン人形」というエントリーをアップしました。

これは、いまひそかに応援する絵師さんについての、前振りのような文章でした。

「これからは源氏をお願いします」

世間が源氏千年紀で盛り上がっていた15年前の秋、金主様にそういわれて、はじめは何をいわれているのか、理解できませんでした。

「ガンジーですか?」

ライターとしての私は何でも屋ですが、まさか私に「源氏物語」の仕事を依頼する人がいるとは、思えませんでした。これからは、ガンジーのように非暴力直接行動路線で行きなさい、といわれているのかと思ったのです。

しばらく、金主様とは会話が噛み合いませんでした。源氏物語の仕事を依頼されるなんて、全くの想定外でしたからね。

金主様の同窓生に、折口信夫の高弟がいて、私がその方の著作を某所で引用していたのが、『源氏物語』の仕事をやらせようと思ったきっかけだったようです。

私は『源氏物語』を読んだことはなかったものの、母親が源氏ファンだったこともあって、知らないうちに源氏の世界に慣れ親しんでいたようです。金主様の着眼は、さすがだったというほかはありません。

たちまち、源氏にハマったようで、こんな文章を書いています。





薫の理解しがたい難解な優柔不断さ。一千年前にこんな人物を造型した作者に戦慄さえ覚える。

「宿木」の一節。大君を亡くした後、すでに匂宮の妻室になっている中の君に(それは自分の計らいだったのに)、姉の身代わりを求めて迫り続ける薫。中の君はその妄執が疎ましく(たぶん恐怖も感じて)、異母妹の浮舟を話題に持ちだして逃れようとする。薫はその話を聞きたがる。

「思ひ寄りはべる人形(ひとがた)の願ひばかりには、
山里の本尊にも思ひはべらざらん」
(大君の身代わりの人形程度にはなるって。その子を宇治の山寺のご本尊と考えたらさ)

生きた人間を「人形」「本尊」といってはばからない冷たさ。しかし薫の中では大真面目な「道心」(仏の心)の計らいなのだ。薫はその異常さに気が付いていない。薫の女たちに対する冷たさと鈍感さは、身分やジェンダーの問題だけでは片付けられない何かがある。

不義の子として父には認められず、母には拒絶された。そして幼い頃から好奇の眼にさらされ続けた。薫の〈真面目さ〉は、恐らく源氏一門の大人たちに強要された仮面であり、幼い頃に身につけた処世術である。ほんとうの愛を知らない薫は、女たちを人形のようにしか愛することしかできないし、気に入らなければ平気で壊してしまう。

出生の秘密の証拠を握る老女房の弁(弁の尼君)は、過去からの脅迫者だった。薫は秘密の漏洩を防ぐために、宇治の山荘を監視下に置かねばならなかった(宇治通いのもう一つの意味)。女たちの運命を翻弄し、その口を封じ、いのちさえも奪っていく運命の黒い影法師が、自分であるとは薫は知らない。


大塚ひかりさんは、『源氏の男はみなサイテー』という著作を書きましたが、このフェミニズム視点は、原作者の紫式部のものでもあります。

原作では唯一「まとも」な男である、源信をモデルにした「横川の僧都」も、浮舟の弟(美少年)に色目を使い、「今度遊びに来ちゃいなYO!」とジャーニズ的な発言をしているところを、紫式部はしっかり描いています。源信のような高僧も、叡山の悪習の衆道から自由ではなかった、と。

『源氏物語』の男たちは、結局、誰かの「形代」(代理・人形)、愛の幻を求め続けてきたにすぎません。

源氏物語の最初のヒロイン・桐壺更衣は、全物語中ただ一人、「死にたくない」と叫び、生を願った、唯一の女性でした。彼女以外のヒロインは、「死にたい」とか「出家したい」とか祈るばかりです。

桐壺更衣の死をもって、桐壺帝・光源氏・薫の三代にわたり、「形代」を求める、男たちの虚妄の愛の遍歴が始まります。

この無限ループを強制終了するのが、最後のヒロイン・浮舟です。

浮舟は桐壺更衣とは正反対に、自らの意志で死を実行に移し、「私を殺してよ」と叫びます。

父に認められず、義父に疎まれ、男たちに弄ばれて、運命に流されるだけだった浮舟が、雛流しの雛のように女の業をわが身に一切合切引き受け、最後に手習歌、すなわち書くことを通して、この救いのない世界からたちあがろうとするのです。

その浮舟が、かぐや姫に喩えられている意味は決して小さくありません。

このエピソードは、八月十五日に荼毘に付され、光源氏が紫の上の手紙を焼き捨てさせるエピソードとと、決して無縁ではないでしょう。この物語は、終局において、「物語の出で来はじめの祖」に立ち返るのである。

「世の中になほありけり、といかで人に知られじ。聞きつくる人もあれば、いといみじくこそ」と泣きたまふ。あまり問ふをば、苦しと思したれば、え問はず。かぐや姫を見つけたりけん竹取の翁よりもめづらしき心地するに、いかなるもののひまに消え失せんとすらむと、静心なくぞ思しける。

(「この世にまだ生きていたなんて、誰にも知られたくないのです。もし聞きつける人がいたら、あまりにも惨めで」と浮舟の君は泣き出してしまう。妹尼も、無理に聞き出すのはかわいそうで、それ以上尋ねることもできない。かぐや姫を見つけた竹取の翁よりも世にも不思議な気がして、いかにも眼を離した隙に姿が消え失せてしまいそうだと、はらはらしないではいられなかった。)


月の明るい夜、老女たちは歌を詠み、華やかな都の思い出話に興じます。しかし東国育ちで宇治にすぐ移された浮舟には、都の思い出はない。ひとり見知らぬ異国にいるような孤独のなかで、浮舟はこう歌うのです。

われかくてうき世の中をめぐるとも
 誰かは知らむ月のみやこに

地上の愛に傷ついたかぐや姫が最後に月に帰るように、浮舟は薫の俗情を拒み抜きます。地に残された男たちは、空に愛の幻を求めるばかりです。後にはただ山伏の涙も涸らす風が吹きぬけていくだけのことです。

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