新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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日韓併合から100年

2010年08月24日 | 政治・経済・労働組合
 「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」(石川啄木)

 韓国併合条約調印から100年め(調印は22日、公布は29日)。

 8月21日の日経新聞の「こどもPLUS1」がおもしろかった。「ニュースにチャレンジ」は「韓国が『近くて遠い国』って……?」と題した国際政治問題の記事。

 菅首相のお詫び談話については、村山談話か、日韓基本条約締結の原則を確認しただけにすぎないともいえる。しかし最近こじれ続けた日韓問題を、元に戻しただけでも前進だった。

 「何度謝罪したら済むのか」という声もある。しかし管談話にもあるように、痛みを与えた側は忘れることはできるが、受けた側は容易に忘れることができないものだ。

 企業不祥事があった場合などを考えたらいいと思う。仮に個人・一部の人達(ときに仕入先・協力会社などの過失)であっても、最後は経営者の責任であり、会社全体の問題である。しかし社会的批判に「自分は関係ない」とはいえない。たとえば多数の死傷者を出した重大過失の場合、遺族や被害者のぶつけようのない怒りや悲しみを、どう受け止めていくのか。一度失われた信頼を回復するのは並大抵のことではない。誠意をもって対話を続ける中にしか解決はない。

 日本だって米ソによる分割統治の可能性があったことも忘れてはならない。陸軍を中心にした徹底抗戦派が、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下にもソ連参戦にも屈せず、本土決戦に訴えていたら、西日本にはアメリカに占領され軍事独裁開発政権が、東日本はソ連にの占領されスターリン主義収容所国家が誕生していただろう。朝鮮半島やヴェトナムのように、米ソ代理戦争の戦場になっていたかもしれない。

 もちろんこれはIF。ヤルタ会談の米ソ密談で対日参戦の見返りにソ連が認めさせたのは、千島列島の領有や大陸での権益であり、北海道や本州は含まれていなかった。核兵器開発ではアメリカの後塵を拝し、2千万の戦死者を出して疲弊しきったソ連が、日本本土にまで戦線を展開できたかといえば未知数ではある(スターリンならやりかねなかったが)。

 いまここで確認しておくべきことは、朝鮮では分断支配も内戦も、独裁政権の恐怖支配も、『五分後の世界』や『太陽の黙示録』のようなフィクションではなく、現実に起きたのだということ。植民地支配から解放されたのに、それは新しい歴史の悲劇の始まりにすぎなかった。こうして、わが身に置き換えて考える姿勢は必要だろう。

 さて、どうしたらいいのか。この「こどもPLUS」の記事にあるように、何度も戦争をしたドイツとフランスのように、日本・韓国も話し合って、共通の歴史教科書を作ったらいいと思う。すでに日本・韓国・中国の歴史学者が共同執筆・編集した3国共通の歴史教科書もある『未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(高文研)だ。

 この教科書を作った、その志は評価したい。韓国・中国では知らない歴史上の重要人物も大勢いた。しかし「未来をひらく」とは思えなかった。チベット問題や台湾問題はスルーされているし、竹島(独島)の領有問題や日本海(東海)の呼称問題についても触れようとしない。

 もちろん、もめるだろう。しかしそこが相互理解を阻む最大のボトルネックではないのか。

 日本では韓流ドラマやアイドル、韓国では日本のアニメや漫画が流行して、お互いの文化は近づいてきた。しかしそれもここ10年ほどのことだ。

 竹島問題で、古文書や古地図を持ち出すのもいいけれど、紛争の原因になるだけの「排他的経済水域」とは何なのか見直すことのほうが先決ではないのか。「国家」や「主権」といったものまでラディカルに踏み込まなければ、ほんとうの意味での解決はありえない。歴史を学ぶことの意味は、他の民族、他の文化、他者と付き合うことのむずかしさとおもしろさを学ぶことだからだ。

 教科書といえば、同じ誌面に、田原総一郎『デジタル教育は日本を滅ぼす』(ポプラ社)の広告が掲載されている。意見広告風のコピーを引用してみる。

 「検索すれば「正解」が提示されるデジタル教科書。先生にも友人にも聞く必要がありません。
 人間関係とは「言葉の共有」によって初めて成立するものです。子どもたちから「コミュニケーション能力」と「議論の場」を奪って良いのでしょうか? 」


 デジタル推進派も、デジタル反対派も、どちらもどちらだ。文部科学省検定の「教科書」を仲立ちにして成り立つ現行の教育制度、、教師と生徒の関係そのものが問い直さなければならないように思う。「デジタル教科書反対」なら、「紙」でなければ表現できない、魅力ある「アナログ教科書」を作ってみたらいいということに尽きる。

 日本・韓国が「歴史の共有」をめざして、双方の子どもたちと教師たちに、「コミュニケーション能力」を高める「議論の場」を提供すること。今は一般書も手がけるポプラ社は、児童書の名門なのだから、そんな仕事を期待したい。一朝一夕には、「正解」など出てこないだろう。しかし何が間違いであるかには、比較的合意は形成しやすいはずだ。竹島問題でも、領有問題は保留して、漁業資源の共同管理に取り組むことが望ましい。お魚さんには国境など関係ない。しかしそれは未来の子どもも同じなのである。


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