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「一度きりの大泉の話」を読んで

2022-04-22 00:44:00 | 読書
たしかラジオで著名人がおススメしていたので、この本をよんだ。
萩尾望都の漫画は読んだことはないけど、「ポーの一族」や「トーマの心臓」などの話題作は気になっていた。けど、なぜか読む気が起こらない。その理由が今更ながらわかった。私には、文学的すぎて知的レベルが間に合ってなかったのだ。萩尾望都先生の作品は、カフカやヘッセ、三島由紀夫などの文豪たちの作品に影響を受けていると書かれてる。どうりで、私の手には負えんわ。恋愛を夢見る少女マンガとは、違うと思った。

ところで、そんな格調高い作品を描いてきた、紫綬褒章までいただいた先生が、
なぜ、今こんな告白本を書くことになったのか?ー

それは、大泉サロン(若き少女マンガ家たちが集った場所、東京の一軒家)での日々を竹宮恵子先生と対談をしてほしい、とメディアから依頼されことから始まる。しかし、萩尾望都先生は大泉サロンで過ごした2年目にはとんでもない災難に見舞われたのだ。それはとてつもない辛い日々のはじまりだった。なので、どうしても対談なんかしたくない、する気がしない。それなのに、メディアがしつこく何度も頼みにくる。そこで、しかたなく意を決して本にすることにしたと書かれている。


読んで最初の感想は正直、萩尾先生は頑固だなあ、と思った。
たしかに、竹宮先生と萩尾先生の間に確執があったと思われる。萩尾先生の傷は深く辛かっただろうと想像もできる。けど、竹宮先生も苦しかったんじゃないだろうか?

大泉時代といえば1970年。それからもう五十年も経っている。少し語り合うぐらいなら、いいのでは?と浅はかな私は思った。

しかし、先生の心はそんなに簡単なものではなかった。読み進めるにつれ、真摯な態度で漫画に取り組む萩尾望都先生の姿。漫画への深い愛。そしてアーティストとしての矜持が伝わってくる。

結果、うわべだけの対談なんか必要ない。それよりも才能同士のぶつかり合いや人のこころの闇が、正直に描き出された「一度きりの大泉の話」が本になったのだ。


実は私も大切な友達を何人も、自分の浅はかな心の態度で失ってしまった過去が思い出される。

先生はご自分の世界観を大切に、そしてなによりご自分の心を大切にしている方なんだ。単純なそのことに気がついている萩尾望都先生は、幸せとは何かを知るやっぱり知的で素敵な人なのだと思った。


「風と共に去りぬ」と「カンバセーションウィズフレンズ」

2022-04-20 23:30:00 | 読書
フランシスというば、「カンバセーション ウィズ フレンズ」の主人公でスカーレットはもちろん「風と共に去りぬ」の主人公。

この二つの物語は、時代も場所もまったく違うけど、なんとなく似てるんじゃないか?と(長きにお付き合いしていると)私は思うようになってきた。

風と共に去りぬの舞台は、アメリカ南北戦争時代1860年代。ジョージア州。
カンバセーションウィズフレンズの舞台は、現代のアイルランド。たしかに年代はちがうけど、主人公スカーレットの父はアイルランド生まれで、カンバセーション〜の主人公もアイルランド生まれ。

2人の性格。フランシスは、内省的でやや病弱(子宮内膜症に悩まされる)、物事を深く考える。石橋叩きながら渡る。一方スカーレットは、まず行動で深く考えない。体は丈夫(多産)。とくに都合の悪いことは意図的に考えない。計算高さ早さは、天下一。はたして、2人は、性格はまったく違うけど、人生を上手く乗り切る点では同じでは?と思った(スカーレットの半生が良かったかどうかは別の話だが。財を築き生き延びたという点で)。この2人の違いは、先祖がアイルランドに残った人と移民としてアメリカへ渡った人の違いとは言い過ぎ?

そして、最大の共通点は、私だけの視点になってしまうが、難しくて、読みにくい。(風と共に去りぬはnhkの番組「100分で名著」でも取り上げられていて、番組紹介では誰でも読めてしまうエンターテイメントの本。と書かれていたが、私の読書レベルでは、中学生だったけど、とても読めたものでなく、ましてやエンタメではなかった。考えたら、小学生までマンガしかよんだことなかったし。唯一の読書タイムは、たしか国語の時間で好きな本を黙読。そこで初めての読書体験をした。それは「ガラスの靴」で、面白かった。)

次に主要登場人物が男女合わせて4人。風と〜の方は男2人、女2人。カンバセーション〜の方は、女3人男1人だけど、女たちはバイセクシャルやレズビアンなので、4人のなかで、恋愛関係が発展したり、壊れてたりして、話が進んでいく。

あと、やはり女性の自立問題が扱われているということ。名言がたくさんある。

たとえば、母親からフランシスがアル中の父を愛するように言われ、
"私は人に親切だろうか?(略)この問題がきになるのは単に、私が女性で自分よりも他人を優先させるように求められていると感じているせいなのか?「親切」というのはつまり、対立を前にした服従を表す別の言葉にすぎないのでは?(略)フェミニストとして、私には誰かを愛さない権利がある。"
(最後の一文が少し私には分かりにくいのであるが。)

ほかにもいっぱいあるが、長いので印象的なこれだけにするけど、

今、上の文を写すために数ページ読んでしまったが、やはりフランシスの独白やひとつひとつの行動が内省的でとても好感のもてる魅力的な人物描写が続く。やっぱりベスト100冊にはいるかなあ、と思えてきた。

風と共に去りぬの方も女性の自立をスカーレットが実践ばかりするから、世間から総スカンをくう場面がたくさん出てくる。これはこれであっぱれなので豪快に面白い。

また、nhkのプロデューサーの解説の中に
"運命に翻弄されるスカーレットとバトラーの姿を通して「本当の心に気づけない悲劇」(略)といった現代人にも通じるテーマ"とあるが、これは、本当にそうだなと深くうなずいた。
本当に自分はこの選択間違ってないか?と立ち止まる大切さ。
がしかし、スカーレットに関しては、開拓者の血が立ち止まることを許さないのだとラストシーンを読んでもそう思う。
いや、スカーレットはバトラーと別れた時がまだ28歳。いつか考える余裕がくるのかなとも思う。