米作り奮闘記 高齢舎(田中ファーム)

還暦を迎え、ラストチャレンジは米作りです。孤軍奮闘、手探りの米作りは、どうなるでしょうか。

白浜地区に避難勧告

2015年06月11日 | 風景
姶良市は6月11日21時30分、白浜地区26世帯41人に対して避難勧告を発表しました。

避難勧告 該当地域に居住する方は計画された避難場所などへの避難行動を開始してください。

梅雨入り

2015年06月02日 | 風景
今日の予報は、断続的に雨。

10時前から、予報通りに雨が降り出しました。

思川の堤防沿いでは、紫陽花が満開です。

鹿児島地方気象台は、県本土が梅雨入りしたとみられると発表。

昨年と同じ、平年より2日遅いそうです。

サルビアを植えました 住吉池棚田を守る会

2015年05月30日 | 風景
午後から雨の予報が当たって、雨が降り出しました。

苗作りも一段落したので、溝辺の花屋さんに出かけました。

今回は、池下地区の花壇に植えるサルビアとカレンジュラを購入。

ここの主は、適切なアドバイスをくれるので頼りになります。

明日植え付けるつもりでしたが、雨の切れ間をみて植え付けを済ませました。


秋桜

2015年05月26日 | 風景
秋桜は、メキシコ原産の外来種だそうです。

渡来したのは明治時代で、秋に咲き花弁が桜に似ているところから秋桜(コスモス)と名付けられました。

繁殖力が強く、一度植栽すると毎年一帯から芽が出て来ます。

庭先の芝桜の中からも、秋桜が育ちました。

驚くのは、夏前のこの時期に開花してしまったことです。

南風で噴煙が湾奥へ

2015年05月20日 | 風景
沖縄県も梅雨入りしたけど、湾奥の姶良市は2日連続の好天気でした。

昨日ほどの湿気は無かったので、過ごしやすい一日のはずでした。

ところが風は南風、桜島の噴煙が流されて来ました。

桜島は灰雲に覆われて、山裾しか見えません。

梅雨入り

2015年05月19日 | 風景
停滞していた前線が南下して、お天気が回復しました。

最高気温も29℃になり、蒸し暑い一日でした。

鹿児島地方気象台は、19日奄美地方が梅雨入りしたと発表しました。

平年より、8日遅い梅雨入りとなりました。

県本土は、31日頃だそうです。

桜島

2015年05月09日 | 風景
朝からのしとしと雨が止んで、夕方には日が射すお天気になりました。

夕日に照らされて、キリッとした桜島が見えていました。

少し前の噴煙は、鹿屋方向に流れているようです。

今年は既に500回を越える噴火で、活発な火山活動が気になります。

桜島と大隅半島が陸続きになったのは101年前、1914年1月12日の大正大噴火です。

噴煙は高さ1万8千メートルまで達し、現在の昭和火口のように中腹から噴火したのだそうです。

同窓会

2015年05月07日 | 風景
高校の同窓生6人が集って、久しぶりに飲み会をしました。

3年前から山村暮らしをしている東君の家が宴会場でした。

クラスメートばかりなので、まるで休み時間のような雰囲気になります。

記憶の糸をタグって行く会話、人柄は何十年経ってもそれ程変わらないようです。

あの頃を懐かしんで、楽しい時間は夜中まで続きました。


降灰禍

2015年04月27日 | 風景
活発な噴火活動を続けている桜島、湾奥は南風に乗った火山灰に見舞われました。

お天気は良いのに、桜島の稜線は霞がかかったようになりました。

明日も南からの風が吹くそうです。

エアーメモリアルinかのや2015

2015年04月27日 | 風景
26日、鹿屋航空基地で開催された『エアーメモリアルinかのや2015』に出掛けました。

2組の娘夫婦と孫4人、総勢10人の大所帯なので乗用車3台に分乗しました。

これほどの人数だと何をするにも出費がかさみますが、精一杯面倒をみようと覚悟を決めました。

加治木インターから車専用道路を利用して1時間余りのドライブ、信号機に患わされないので快適です。

日曜日の朝ということで鹿屋市内は閑散としていました。

ところが、航空基地周辺はどこから湧いてくるのかと思うほどの大混雑でした。

今回は、2万3千人が来場したそうです。

基地内は照り返しが強いので、格納庫脇の日陰にシートを広げて居場所を確保します。

何度も訪れているRIO君は、スタンプラリーに飛び出して行きました。

幼い孫たちは航空ショーや楽隊の演奏などはそっちのけで遊んでいました。

お昼を挟んで6時間位の滞在、いっぱい飲んで、いっぱい食べて、大きなトラブルもなく楽しい一日を過ごしました。



零式艦上戦闘機二二型 鹿屋航空基地

2015年04月26日 | 風景
エアーメモリアルinかのやのイベントを見に行きました。

第3格納庫には、3分割された『零式艦上戦闘機』が展示されていました。

鹿児島空港の航空機整備センターから移送され、組み立てを待っているそうです。

この零戦は、パプアニューギニアで墜落し戦後に発見されたものです。

日本の技術力を世界に知らしめた名機、貴重な出会いができました。