米作り奮闘記 高齢舎(田中ファーム)

還暦を迎え、ラストチャレンジは米作りです。孤軍奮闘、手探りの米作りは、どうなるでしょうか。

メダカの値段

2014年08月31日 | 風景
南さつま市頴娃町の自然公園『アグリランドえい』には、数種類のメダカを鑑賞出来る施設が有ります。

水槽の中を泳ぐメダカを観ていると、癒やしの一時を過ごすことができます。

その中に、一匹1,000円の値札が付いたメダカがいました。

『みゆき』という名札が添えられていましたが、ビックリの値段です。

愛好家にとっては特別な魅力が有る種類なのでしょうか。




アグリランドえい

2014年08月31日 | 風景
8月の最終日、南さつま市頴娃町の自然公園『アグリランドえい』に立ち寄りました。

ドーム型の管理棟を中心に、温泉、ゴルフ場、遊園地、小動物公園、キャンプ場他の設備が有ります。

のんびりと過ごすには最高の場所ですが、孫のRIO君はエンジン音が刺激的なゴーカートがお気に入りです。

空いていることもあって、赤とイエローのゴーカートで2周も遊んでご満悦の様子でした。


蒲生郷夏祭り

2014年08月30日 | 風景
天候不順のまま、8月も終わろうとしています。

『 蒲生郷夏まつり 』も8月8日(金)に開催予定でしたが、台風接近のため30日に延期となりました。

大楠運動公園でイベントが行われたのですが、喧騒を避けて打ち上げ花火だけを見てきました。

ホテル J's日南 夏休み家族旅行

2014年08月27日 | 旅行
『 ホテルJ's日南 』は、一年ぶりの宿泊です。

設備、料金共に満足感を味わえるバブル時代の置き土産です。

お昼過ぎに到着して、ゴルフ場で孫のRIO君と2サム1ラウンドスルーのプレイをしました。

RIO君は、前半はスコアーも丁寧に書いて13オーバーとそこそこのプレイでした。

後半になると暑さのせいで体力を消耗したのか、廻るのが精一杯の様子でした。

遊ぶのは一苦労ですが、それでも十分楽しんだ様子でした。


服部邸 夏休み家族旅行

2014年08月27日 | グルメ
飫肥城跡の城下町で、ひときわ目立つ屋敷が『服部邸』です。

明治の建造物で、当時の日本三大豪商の居所だったそうです。

食事処として解放されていたので、昼食を兼ねて見学しました。

RIO君は中をうろうろしながら、凝った建物の創りとあまりの広さに驚いていました。

ちらし寿司の服部膳は、お昼にしては十分すぎる程の満腹感を味わうことができました。

抹茶と和菓子で締めくくると、居心地が良く直ぐには立ち去りがたい場所になりました。

飫肥城跡 夏休み家族旅行

2014年08月27日 | 風景
日南市の郊外にある『飫肥城跡』を見学しました。

城門などは再建されたものですが、城壁や城下町の石垣などが見事でした。

外堀はあるもののカラカラ、当時から水が貯まらなかったのだそうです。

飫肥城本丸の跡地には、雰囲気のある小学校が建てられていました。

宮崎市フェニックス自然動物園 夏休み家族旅行

2014年08月27日 | 旅行
25日、『宮崎市フェニックス自然動物園』に出かけました。

夏休み期間中なので、平日にもかかわらず多くの家族連れで混雑していました。

孫のRIO君のお目当ては流れるプールに有ったウォータースライダー、長蛇の列が出来ているのに何度も滑っていました。

呆れるほどプールで遊んだら、ソフトクリームを食べてひと休み。

休憩もそこそこに今度は全機種乗り放題の遊園地へ移動、急がしそうにあちこち駆け回っていました。

体力の限り遊んだRIO君は、すっかり疲れ果てて最後にちょっとだけ動物を見て帰りました。

雀対策 豊留の田んぼ

2014年08月27日 | 稲作
稲穂が出揃い、登熟が進んでいます。

地域で最も早かったので、雀の食害が心配です。

昨年は、かなりの食害が有ったので、雀対策をしました。

キラキラ光る防鳥テープを張りめぐらし、マルチの切れ端を棒に下げた自作のカラスもどきを数本畦に立てました。

効果が無いようなら、防鳥ネットを張る予定です。

夏休み家族旅行 宮崎・日南2泊3日の旅

2014年08月25日 | 旅行
孫のRIO君は、夏休みも残り少なくなりました。

締めくくりのイベントは、恒例のドライブ旅行です。

長距離ドライブは疲れるので、2泊3日でお隣宮崎県を巡ります。

主な目的地は、『フェニックス自然動物園』『ホテル浜荘』『飫肥城』『 ホテル J's日南 』です。

主役はRIO君、楽しんでくれるでしょうか。



農友が逝く

2014年08月21日 | 稲作
50歳過ぎてから牧場に就業した中嶋さんとは、嫁同士が仲が良かったせいで家族ぐるみのつき合いでした。

電話で牛ふんを注文すると、彼がダンプに積み置いてくれたのを思い出します。

酪農に魅せられ、ラストチャレンジで取り組んでいました。

そんな彼が体調を崩したのは6月。回復するのを待っていましたが、20日に帰らぬ人となってしまいました。

享年55歳、道半ばで逝った中嶋さんに合掌。