サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
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廃線跡を歩く(姫路モノレール)

白鷺城として広く知られている姫路城、その城下に姫路市が広がります。城から1キロ余り南下すると姫路駅、山陽鉄道により1888年に設置された山陽線の要衝です。この夏、この姫路を訪れることが決まり、子ども達の勉強をかねて姫路城を訪れることは早速決まりましたが、それ以外にCABEZÓNの心に響く、色気のある物件は無いかと(笑)・・・。その物件は姫路駅を起点として存在しました。
<<姫路モノレールとは>>交通混雑の緩和と市勢拡大を目指して、市南部の工業地域や市北部の住宅地域と都心を結ぶ目的で企画され、1966年、手柄山で開催された「姫路博」会場への輸送機関という名目で、姫路(仮)駅~手柄山駅間を先行開業させた。姫路博終了後は利用者が激減、累積赤字が膨らみ路線が延伸されないままわずか8年で営業休止となった。その後1979年に正式に廃止された。
関東周辺ならいざ知らず、遠くの地でこの様な物件に肉薄する機会はそうあるモノではありません。しかも、今回は通常の鐵道ではなくモノレール。廃線跡があるとすれば、非常にわかりやすい形で残っている期待もありました。
姫路駅北口の西方面、右に見えるビルの辺りに姫路(仮)駅はありました。あくまでも仮駅で、東側まで延ばす予定だったとか。そこを発した路線は、道路に沿って一路西へ向かいます。再開発されてしまって、面影は全く見あたらないように見えますが、実は、この写真に遺構が既に写っています。どこだかわかりますか?
上写真の左側、細長いビルの影にある煙突のような影、レールを既に撤去されてしまった橋脚です。レールは保守を維持できなくなった以上、落下の危険が伴います。都市部では可能な限り撤去の方向に動いているようです。
しかし、それもつかの間、いきなり末路を断たれた路線が現れます。モノレール廃線跡と言えばドリーム交通モノレール大船線が思い出されますが、路線の強度不足によって廃止されたドリーム交通線に比べ、行政が主体になって建設された姫路モノレールは心なしか、頑丈で安心感を覚えます。
その路線は、暫くすると軌道の向きを南に転じ、突然ビルの中に飛び込みます。実は、このビルはそのまま駅として機能していました。その名も大将軍駅。姫路らしい戦国を感じさせる名称です。
この導入部分を車両が風を切って入っていく、、、そんな姿を想像してしまいます。実は、この駅、当時のまま残っているらしいのですが、一般の方は立ち入ることが出来ません。こちらにその状況を伝えるページがありますョ。この線路、鐵道と同じように傾いていますね。この路線の方式はロッキード式という、軌道上にある鐵道と同じ一本の鉄路の上を走る方式で、最高時速100kmも可能だったとか。しかしながら、地面の上の鐵道と異なり騒音はかなりのモノで、末期にはそのロッキード社がこの事業から撤退してしまい、保線用の物資にも欠ける状況になってしまったそうです。
草むした線路、しびれますね~(笑)。先の大将軍駅からいきなり寸断された路線は、すぐに復活します。JR姫路線を越えて南下してくると、川に沿うように進み、写真のような良い雰囲気が・・・。。立ち止まって、暫く想いを巡らせてみたかったのですが、座敷童達が、のど乾いたと orz... 暫く、近くの自販機やコンビニで休憩です。
そして、更に大通りを超えると最後のサミット、手柄山駅へ向かいます。この姿、CABEZÓNの心に響きます。実は、若い頃に見た夢、廃線に関する最初の夢はモノレールだったのです(笑)。
ところがここを境にして、路線は完全に消失します。終着の手柄山駅は何処に存在するのか?暫く、座敷童達と栄養補給にチョコレートなどをほおばりながら、地図とにらめっこすること暫く・・・。
恐らくターゲットは手柄山の中腹にあると睨みをきかせ、途中の巨大駐車場もスルーして突入!
これだ・・・
ここは車両が出入りしていた所、この中に噂に聞く車両達が現存する・・・。実は、ここにある車両、その筋では既に著名だったのですが、当時の様子そのまま駅と共に現存するそうです。しかも、姫路市の事業として、これらは2011年度に公開予定だとか。自分の様な変人が受け入れられたようでちょっとだけ嬉しかった(笑)。
手柄山駅から寸断された路線を臨んでみました。遙か彼方、でも往時は手前まで路線が存在し、沢山の人々が行き交ったのです。しかし、これを創った人々の想いは市民に届かなかった。歩いてみて思ったのですが、温暖化の結果、厳しい真夏日ならこの交通機関の利用価値も結構あったのでは?と思った今回の調査でありました。この後、市営水族館に吸い込まれていったのは先日の記事にあったとおりです。
姫路は熱かった
Editor CABEZÓN

