
クシヴォクラートに行って来ました!!
(長い文章、ひたすらお城についてです。興味があったら、読んでみてくださいね。)
このお城は900年前に建てられたものです(だったと思います。
)
お城といっても、別荘的なお城矢要塞としてのお城、いろいろあります。
クシヴォクラートは後者。
戦いのために建てられたお城なので、周囲は森に囲まれていて、
高い丘の上に建てられています。
残念なことに2度ほど火災にあい、2度めの火災はかなりひどいものだったらしく、
当時の姿を見ることは出来ないそうです。
それでも、お城の中はとても興味深く、いろんなものを見てきました。
中の写真は撮ってはいけないらしく、しらなかった私が取った2枚の写真。
1枚目は昔のクシヴォクラートを再現した模型。
当時はもっと色も鮮やかで大きかったんですね。

そして、2枚目はお城の2階にある教会。
この教会の両側にある窓には全て、2枚ずつのステンドグラスがあったそうですが、残念ながら火災により紛失。
殺風景に見える周りの壁も、全て絵が描かれていたのですが、それも火災で紛失。
しかし幸いなことに、この部屋はひどい火災の際にも被害の少なかった部屋で、
正面に見える木の彫刻は全て当時のままの姿で残されているそうです。
壁の絵もこの彫刻の後ろだけ、残っていました。
とても鮮やかだったと思われる水色で、何が描かれていたのでしょうね?
またこの彫刻は今では名前も残っていませんが、当時ドイツから呼ばれた彫刻家により作られたものでクシヴォクラート以外にもいくつか彼の作品はあるそうなのですが、その後彼がどうなったのか、名前も一切残っていないそうです。
夫いわく、その後は殺されたのでは??と。
すばらしいものを作って、その後殺されてします、ということは良くあったそうで・・・

お城というところはある意味残酷な場所で、(当時は戦いのために作られていたので、やむ終えないことなのですが、)中にはいろんな拷問の機械がありました。
クシヴォクラートの写真、高い塔が見えますよね??
今はこの中に入ることが出来るのですが、城がたった当初はこのにはドアがありませんでした。周囲の壁は6メートル(だったかな??)と非常に厚く、中ほどに上がると、そこには穴が。この穴から人を落として、餓死させる。そんな刑のために使われていたそうです。初めてここに扉をつけたとき、そこには6体の骸骨があったそうです。
無造作においてあるこの機械も、もちろん拷問用。

お城の中はもちろん他にも王様の部屋や王妃様の部屋もあり(13世紀からの9万冊、もしかしたら6万冊
の本がある図書室でした。しかも17世紀以降のものは借りることも出来るらしい)
また、戦うための城の作りそのものを見ることも出来て、とてもおもしろかったです。
そして、最後にもう1つ。
王妃の部屋に飾られている肖像画の1人の話です。当時、お城の回りはヨーロッパ全体がそうであったように、伐採がすすみ、新たに木を植える、ということをしていたそうなのですが、彼はこれに反対し、伐採をやめさせたおかげで、このお城の周りにはヨーロッパでも数少ない自然の森が残されているそうです。
ユネスコに登録されるとか、されてるとか・・・(うろ覚えですみません・・・)
このお城はガイド付きでのみ中に入ることが出来ます。
チェコ語ガイドのため、私は夫に訳してもらいました。
そうでなかったら、こんなにいろいろ分からなかったでしょうね
ガイドさんの話は結構長いので、ペトルが大丈夫かはらはらしながら聞いていたけれど、
ペトルはすっごくおりこうさん。
説明の間も黙って待ってるし、話すときは小声で話して、
私の説明をじっと聞いてました。
楽しかったのかな?と少し心配したけれど帰ってからも、
また今からお城に行こう!!楽しかった!!とずっと言ってたから
穴見るたびに、ここから悪い人落とすんじゃない?って
高い穴から下を覗いたりしたし、ペトルにも印象的だったんですね。
ところでこのお城の最後の持ち主は第1次世界大戦が終わる直後にこのお城をチェコ国に売ったそうな。当時の大臣の給料は5000コルナ。このお城をそっくりそのまま売って100億コルナ!!大戦後はハプスブルグのお城は全て自動的にチェコのものになったそうなので、なんともいいタイミングで売り払った、といえますね
おまけのペトル写真

お城の中庭にある、子供のお城??


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このお城は900年前に建てられたものです(だったと思います。

お城といっても、別荘的なお城矢要塞としてのお城、いろいろあります。
クシヴォクラートは後者。
戦いのために建てられたお城なので、周囲は森に囲まれていて、
高い丘の上に建てられています。
残念なことに2度ほど火災にあい、2度めの火災はかなりひどいものだったらしく、
当時の姿を見ることは出来ないそうです。
それでも、お城の中はとても興味深く、いろんなものを見てきました。
中の写真は撮ってはいけないらしく、しらなかった私が取った2枚の写真。
1枚目は昔のクシヴォクラートを再現した模型。
当時はもっと色も鮮やかで大きかったんですね。

そして、2枚目はお城の2階にある教会。
この教会の両側にある窓には全て、2枚ずつのステンドグラスがあったそうですが、残念ながら火災により紛失。
殺風景に見える周りの壁も、全て絵が描かれていたのですが、それも火災で紛失。
しかし幸いなことに、この部屋はひどい火災の際にも被害の少なかった部屋で、
正面に見える木の彫刻は全て当時のままの姿で残されているそうです。
壁の絵もこの彫刻の後ろだけ、残っていました。
とても鮮やかだったと思われる水色で、何が描かれていたのでしょうね?
またこの彫刻は今では名前も残っていませんが、当時ドイツから呼ばれた彫刻家により作られたものでクシヴォクラート以外にもいくつか彼の作品はあるそうなのですが、その後彼がどうなったのか、名前も一切残っていないそうです。
夫いわく、その後は殺されたのでは??と。
すばらしいものを作って、その後殺されてします、ということは良くあったそうで・・・

お城というところはある意味残酷な場所で、(当時は戦いのために作られていたので、やむ終えないことなのですが、)中にはいろんな拷問の機械がありました。
クシヴォクラートの写真、高い塔が見えますよね??
今はこの中に入ることが出来るのですが、城がたった当初はこのにはドアがありませんでした。周囲の壁は6メートル(だったかな??)と非常に厚く、中ほどに上がると、そこには穴が。この穴から人を落として、餓死させる。そんな刑のために使われていたそうです。初めてここに扉をつけたとき、そこには6体の骸骨があったそうです。
無造作においてあるこの機械も、もちろん拷問用。

お城の中はもちろん他にも王様の部屋や王妃様の部屋もあり(13世紀からの9万冊、もしかしたら6万冊

また、戦うための城の作りそのものを見ることも出来て、とてもおもしろかったです。
そして、最後にもう1つ。
王妃の部屋に飾られている肖像画の1人の話です。当時、お城の回りはヨーロッパ全体がそうであったように、伐採がすすみ、新たに木を植える、ということをしていたそうなのですが、彼はこれに反対し、伐採をやめさせたおかげで、このお城の周りにはヨーロッパでも数少ない自然の森が残されているそうです。
ユネスコに登録されるとか、されてるとか・・・(うろ覚えですみません・・・)
このお城はガイド付きでのみ中に入ることが出来ます。
チェコ語ガイドのため、私は夫に訳してもらいました。
そうでなかったら、こんなにいろいろ分からなかったでしょうね

ガイドさんの話は結構長いので、ペトルが大丈夫かはらはらしながら聞いていたけれど、
ペトルはすっごくおりこうさん。
説明の間も黙って待ってるし、話すときは小声で話して、
私の説明をじっと聞いてました。
楽しかったのかな?と少し心配したけれど帰ってからも、
また今からお城に行こう!!楽しかった!!とずっと言ってたから

穴見るたびに、ここから悪い人落とすんじゃない?って

高い穴から下を覗いたりしたし、ペトルにも印象的だったんですね。
ところでこのお城の最後の持ち主は第1次世界大戦が終わる直後にこのお城をチェコ国に売ったそうな。当時の大臣の給料は5000コルナ。このお城をそっくりそのまま売って100億コルナ!!大戦後はハプスブルグのお城は全て自動的にチェコのものになったそうなので、なんともいいタイミングで売り払った、といえますね

おまけのペトル写真

お城の中庭にある、子供のお城??



