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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

[本の紹介]『新採教師の死が遺したもの』

2012-10-24 | 大阪「教育基本条例」

 『新採教師の死が遺したもの』(久冨善之/佐藤博共著 高文研)

 静岡県磐田市立小学校の新任教員木村百合子さんが夏休み明けの2004年9月自ら命を絶った。享年24歳。子ども好きで、4月に赴任したときには希望に胸をふくらませていた木村さんが、わずか5ヶ月で精神的に追い込まれていく様子が、木村さんの日記やご両親の手記、生活指導記録などを通じて伝わってくる。

 この本には、関わったさまざまな教員や児童、保護者が登場する。“事態の真実を明らかにするためで、ある特定の個人を攻撃するためではない”という断りが入っている。この本を読んで、なにか思いこんでいたことと違うことがあった。

 木村さんは、問題行動が多かったAくんの保護者から苦情の手紙をもらった直後に自殺している。その保護者について、自分の子どものことを棚に上げて教員にクレームをつける“モンスターペアレンツ”のように描く報道もあった。しかしその保護者は母子家庭で朝早くから仕事に出ているため子どもと接する機会を十分にとれず、問題行動を起こす毎に学校から連絡が入り、保護者として懸命の対応をしていた。“苦情の手紙”は、もう限界だという叫びのような手紙だったと知った。

 「アルバイトじゃないんだぞ」と言ったと言われる先輩教員も自分の事に精一杯で、木村さんが抱える悩みに十分応じる時間も心の余裕もなく、「自分もそれどころじゃない、自分のクラスのことは自分で解決してくれ」というような気持ちで口走ったこともわかった。しかしそれでもその言葉は決して許される言葉ではなかった。

 木村さんの日記は、ある日から突然変わる。それまでは困難な中でも子どもたちをかわいがり何とかクラス運営をしようと四苦八苦していたが、ある日から「Aはきらいだ」「いなくなればいい」というような、子どもをののしる言葉が激しく書かれるようになる。ついに心が壊れてしまい、完全に自分自身を律することが出来なくなったのだ。
 
 この時点で本来なら校長はじめ管理職は木村さんの重大な変化に気づき、教員集団挙げて木村さんを守る為に全力を挙げるべきだった。他のすべてを投げ出してでもそうすべきだったし、そうすれば木村さんは救われただろう。だが管理職は、木村さんの「心の弱さ」「思いこみの激しさ」などと指導記録に書いている。教育現場の教育活動の問題を個人の資質の問題に解消してしまった。人格否定のレッテルを貼って、本人の問題として放置してしまった。そして悲劇が起こった。

 教員間の信頼関係が崩れた時に一体なにが起きるのか。教員が自分のことばかりしか気にかけなくなったとき教育現場はどうなるのか。この本はそのことを問うている。

 大阪府の教員評価システムにおいて、生徒や保護者が教員を評定する「授業評価アンケート」の試行が開始されている。
 木村さんのクラスは“学級崩壊”状態にあった。仮にそのときに保護者に「授業評価アンケート」をしたら、最低点が並んだだろうと思う。いやその前にアンケート用紙を配布すること自体耐えられなかっただろう。それは、木村さんにとっては文字通り致命的だったに違いない。クラス運営でもがき苦しんでいる教員に対して、相談に乗ったり手をさしのべるのではなく、マークシートで評価をつきつけるというようなやり方は悩む教員をさらに追い詰め、教育現場に深刻な事態を生み出すだろう。

(ハンマー)

 


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