パチンコ屋さんが、営業再開?というニュースの中に
入店するお客さんのコメントがあった。
パチンコ屋さんも、それなりに稼がなきゃ食ってゆけない。と、いう
事情があるゆえ、
休業せよ、とは、言いにくい。ことだけど
休業せずに乗り切ろうともくろむ裏には
やはり、入店するお客さんの存在がある。
誰も、来なければ、開けておく電気代だけでも馬鹿にならないだろうし・・・
休まざるを得ない。
そのお客さんのコメントを読んでいると
この事件を思い出す。
神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年に入所者19人が刺殺された事件の裁判員裁判で、横浜地裁は16日、殺人などの罪に問われた元職員植松聖(さとし)被告(30)に死刑を言い渡した。
この裁判に当たり、
被害者の家族が
「あなたの大切な人は誰ですか」
と、被告に尋ねたとき、植松被告はなにも答えられなかった。
と、言う。
パチンコ屋さんに通う人に同じ質問をしたら、
もしかしたら
植松被告のように、答えられない・・のかもしれない。
大切な人を失ってから
後悔することよりも、
もしかして、
大切な人という、存在を認識していないことのほうが重大に思える。
大切な人というなかに、
「自分」も、含まれる。
「自分」が「大切な人」と、認識されない構造は
いったい、どこから、生じてきたのだろう?
文化が華やぎ、その隆盛を極めたときに
文化は崩れ去るという。
文化を支えていた人間の
その後ろで
存在の希薄が、病魔より
たちわるく、人間を侵していた。
と、いうことなのだろうか?
誰一人、大切じゃない人など、居やしない。
日本の中で、世界の中で
あなたも、わたしも
「大切な人」
そのことを、胸に刻んでほしい。
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