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幕末の日本も経験した「大地震後のパンデミック」 (柳原 三佳・ノンフィクション作家)2020-04-03

2024年03月07日 | コロナ・ウィルス

どこで、読んだか、忘れてしまったが

南海トラフでは、徳島に50mを超す津波が来ることだってあり得る。

と、いうものを読んで

辺りの活断層を調べた。

すると、四国を見て、仰天!!

四国の北部を縦断する活断層がある。

https://indeep.jp/caldera-eruptions-could-be-soon-in-somewhere-include-japan/

に、

鬼界カルデラは約7300年前に噴火を起こし、九州南部の縄文文化を滅ぼしたとされる。

と、いう1文がある。

この辺りが、ウガヤフキアエズ王朝の滅亡と関係あるのではないか?

と、勝手な事を思っているが、

このあたりも、いろんなサイトを読み漁ると

九州南部どころではなく、九州全域に余波があり

あまつさえ、四国は、(死国)と化すほどの甚大な被害を受けていた。

九州とともに、むこう、1000年は住めなかっただろう。

と、いう内容が有った。

その四国に大きな活断層があり、

阿蘇山あたりまで、続いている。

果たして、鬼海カルデラだけの問題だったか

調べていないけれど・・・

南海トラフでは、徳島に50mを超す津波が来ることだってあり得る。という

信じがたい超ド級の津波も

阿蘇山あたりまで続く活断層と連動したら、起きえるのかもしれないとおもってしまう。

先日も、地震などの災害がおきたらということも考えに入れて

コロナウィルスの拡散を出来うる限り、押さえないと…と、言うことを書いたが

今回、取り上げた記事も、そのあたりを、提起していると思う。

●1854年12月24日『安政南海地震』 最大震度6/マグニチュード8.4
・紀伊半島から四国にかけて甚大な被害。高知で高さ16メートルの大津波発生

高知で16mとあるが、南海トラフと四国活断層ならびに連動して阿蘇・鬼海カルデラが破壊されれば、50m級の津波がきてもおかしくないのかもしれない。

神戸新聞 NEXT 2016/11/18
神戸大学海洋底探査センターは18日、九州南方の海底に広がるくぼみ「鬼界(きかい)カルデラ」を調べた結果、熱くて濁った水が海底から湧き出る「熱水プルーム」を5カ所で確認した、と発表した。
海底からの高さは最大約100メートルに上る。現時点では噴火予測はできないが、カルデラ直下のマグマが活動的であることを示しているという。
同センター長の巽好幸教授(マグマ学)のチームは10月13~27日、大学保有の練習船「深江丸」を使い、鹿児島県の薩摩半島南約50キロに位置する鬼界カルデラ(直径約20キロ)内で、ドーム状に盛り上がっている場所などを調べた。
音響測深装置で、水深約200~300メートルの海底に向けて船から音波を出し、反射波を観測。少なくとも5カ所で、海底からの高さ数十メートル~100メートル程度の熱水プルームを見つけた。
鬼界カルデラは約7300年前に噴火を起こし、九州南部の縄文文化を滅ぼしたとされる。
巽教授によると、こうした超巨大噴火は日本では過去12万年で10回発生。実際に起これば国内で死者が最悪約1億人と想定している。

*********

(柳原 三佳・ノンフィクション作家)
 3月11日、WHOのテドロス事務局長は新型コロナウイルスについて、「パンデミックといえる」と評価をしたことを発表。感染が世界中でさらに拡大するという見通しを示しました。
 この日は奇しくも、東日本大震災の発生から9年目にあたり、ニュースでは今後起こるであろう南海トラフ地震の話題も頻繁に出ていました。
 そんな中、13日未明には能登半島で震度5の地震が発生・・・。
 感染症も大地震も、人の力では予測ができないだけに、一連の報道に触れながらこれまで以上に今後への不安を抱いた方も多かったのではないでしょうか。
 実は、幕末の日本には、現在の状況と非常によく似た時期がありました。
 大地震や津波が各地に甚大な被害をもたらし、その傷が癒えぬまま、今度は大陸から入ってきた感染症(コレラ)のダブルパンチを受け、多くの人命が奪われたのです。
 今から約160~170年前のことです。
「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」(1829~1877)は、この頃、20代半ばでした。幕末を生き抜いた彼らの目には、「国難」ともいえる当時の事態が、どのように映っていたのでしょうか・・・。
明治維新の14年前、巨大地震が4日で3回襲来
 幕末、1850年代(嘉永~安政期)に日本列島を襲った大地震は、通称「安政の大地震」と呼ばれています。しかし、これは1回の地震を指すのではありません。
 特に、1854年の年末は、東日本大震災と同じクラスの巨大地震が、震源地を移動させながら連日のように発生し、大変過酷な状況にありました(以下西暦で表記しています)。
<1854年末~1855年に日本で発生した大地震>
●1854年12月23日『安政東海地震』 最大震度7/マグニチュード8.7
・静岡、伊豆半島で甚大な被害。駿府城、掛川城なども倒壊
●1854年12月24日『安政南海地震』 最大震度6/マグニチュード8.4
・紀伊半島から四国にかけて甚大な被害。高知で高さ16メートルの大津波発生
●1854年12月26日『安政東予地震』 最大震度6/マグニチュード7.4
・愛媛、大分周辺で甚大な被害
●1855年11月11日『安政江戸地震』 最大震度6/マグニチュード6.9~7.4
・直下型地震で人口密集の江戸に甚大な被害
 佐野鼎は富士山の麓、駿河国(現在の静岡県富士市)の出身ですから、故郷に甚大な被害をもたらした「東海地震」のときには、特に心を痛めたことでしょう。鼎はこのとき江戸にいたと思われ、自身が被害に遭うことはありませんでした。
 
© JBpress 提供 安政の大地震絵図(Wikipediaより) 
 また、翌年、江戸で直下型地震が発生したときには、ちょうど長崎の海軍伝習所で行われた航海実習に参加していたため被害は免れています。
 それにしても、こうした過去の発災状況を見てみると、近い将来予想されている「南海トラフ地震」も1回では済まないのではないか・・・、心配になってしまいます。
大地震連続の後、日本で大流行した感染症「コレラ」
 地震や津波で甚大な被害を受けた幕末の日本列島、しかし、この時期に被った災難はそれだけではありませんでした。
「安政江戸地震」が起こった翌年の1856年、今度は世界的に流行していたコレラが日本にも上陸し、感染が一気に拡大したのです。
 人口密集地である江戸では、わずか1カ月で12000人もの人が死亡。さらにその後、約4年間にわたって感染は続き、死者は江戸だけでも合計10万人を超えたと言われています。
 このときのエピソードについては、本連載の第31回『幕末、感染症に「隔離」政策で挑んだ医師・関寛斎』にも書いた通りです。

(参考記事)幕末、感染症に「隔離」政策で挑んだ医師・関寛斎
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59485

 安政の大地震から5年後の1860年、佐野鼎は幕府が差し向けた遣米使節団の随員としてアメリカへ、翌1861年には遣欧使節の随員としてヨーロッパへ渡航しました。そのため、日本国内でコレラに罹患することはありませんでした。
 とはいえ、感染症のリスクはいつの時代も世界中のいたるところにあります。今とは違って情報の乏しかった当時のこと、世界一周の航海に大きな夢を抱きながらも、きっと命がけの覚悟も必要だったに違いありません。
 幕末に2度の海外渡航を経験した佐野鼎が、現在の「開成学園」の前身である「共立学校」を創立したのは、1871(明治4)年のことです。
 彼が維新を見届け、明治の世で教育への志をかたちにするまでには、幕末に起こった数々の地震や感染症の危機をくぐりぬけてきた結果なのだということを改めて感じます。
 それだけに、1877(明治10)年、再び起こったコレラの大流行で命を落としたことは残念でなりません。
過去の災害と歴史から防災意識を高める
 ちなみに、1854年12月に静岡や伊豆半島を直撃した「東海地震」については、元沼津藩士の山崎継述(つぐのぶ)という人物が、『地震之記』に詳細な見聞録と写生画を残しています。
 自身が遭遇した激しい揺れ、直後の建物倒壊や火災、また、沼津城内の被害状況等を記録しているほか、下田で停泊中に津波被害を受け、最終的に駿河湾で沈没したロシア軍艦「デイァナ号」の提督・プチャーチンや乗組員らの姿もリアルに描いており、大変興味深い内容です。
 
© JBpress 提供 『地震之記』に描かれたプチャーチンらの姿(沼津市明治資料館編『地震之記』より) 
 沼津市明治資料館が翻刻した『地震之記』のまえがきには、以下のような記述がありました。
『(東日本大震災の)津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前で止まっているとの調査報告が確認されました。
 
© JBpress 提供 『開成をつくった男、佐野鼎』(柳原三佳著、講談社) 
 仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いとのことです。(中略)先人の実践に基づいた経験と教えが生きた一例なのでしょうか』
 そして、こう締めくくられています。
『薄れがちな災害の経験や記憶を、子孫に引き継ぐことの大切さを痛感する中、本書を手に取る方の防災意識を高める一助となることを願ってやみません』
 過去に同じような苦難を乗り越えてきた先人たち。
 こうした時期だからこそ、歴史の記録を紐解いてみることに、大きな意味があるのではないでしょうか。


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