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キリストが仏教を学んだという説を思う。  歴史の中の経緯・2

2024年03月18日 | 歴史の中の「経緯」

そして、もう一つ、思うものがある。

歴史の中の

氷山の下といっていいか。

 

と、前回、かきましたが・・・

じつは、資料不足の部分と、検証不足があって、

「思うもの」でしかないことを断っておきます。

 

聖徳太子が、仏教をとりいれた、という

その「経緯」について、ですが・・・

あるブログで

ー古代ヘブライ人の宗教と日本の神道よく似ているー

と、言う言葉がありました。

 

ややこしいのですが・・・

代理は、むしろ、古神道がそも最初であると考えています。

古神道とは、なんぞや?

と、思われるかもしれませんが、

これは、日本人の精神であるといえるのですが、

生活に溶け込んでいるものです。

儀式的な意味合いでなく、

その「思想」と考えて頂きたいのですが

たとえば、

いただきます・ごちそうさま

と、いう食事の挨拶・感謝の言葉も

古神道と言ってよいと考えています。

 

「我、を、生かして下さったものへの、感謝」

ひいては

「自分の存在を尊いと意識すること」

と、いうことが、根本だと思うわけです。

 

この古神道を学びに来た人として、

名前が挙がっているのが

(真偽、別にして)

キリストです。

 

日本人というのは、

その精神性の高さから

わざわざ、書にしたためることは無かったと思います。

 

頂きます・ご馳走様を言うべし。

などと、いう「書」はなく

日常で当たり前の礼節であるわけです。

 

そして、ショーペンハウエルが

仏教やキリスト教・他の原本を読んで

(どういう知能なのでしょうwww)

仏陀の教えをキリストがどこかで、

習得したとしか思えない、同じいいまわしがあるというのですね。

このことから、

キリストが行方をくらました13年間の間に

エジプトにいったんじゃないか?

と、いう話が出てくるわけです。

 

当時、インド・スリランカ辺りから

30万という僧侶が団体であちこちにでむいていて

エジプトでも

3万人規模の僧侶集団がくらしていて

ここで、キリストは仏教の教えを得たのではないか?

と、いう噂があります。

 

一方で、日本のほうは、

「教え」という考えでなく

「日常」に溶け込んだ当たり前の考えだったため

それを、教えにいくということはなかったと思いますし

日常的なことは、親から子へ

密儀に当たる部分は、口伝で

これぞと思う人にだけ、伝えていたことでしょう。

 

と、なると、

聖徳太子は

「はっきりと意識化される教え」 

「文字」が必要だったと考えられます。

 

ヘブライ人の宗教が、神道ににているという

具体例は判らないのですが

それは、「神式」という意味合いではないかと思います。

 

そして、そのころの天皇の派閥?の中を考えてみると

単純におおきくわければ

仏教推進派と

神道推進派とに分かれていたと思う。

 

聖徳太子は

その派閥のうしろにいるものを排除しようとしたのではないか?

とも、考えられる。

 

神道推進派というのでなく

物部氏は

「日本には古来から八百万の神がいます」

と、申し述べるわけです。

 

この、発言は非常に重大な意味が含まれていると考えられます。

 

ーーー続くーーー


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