「素戔嗚尊(別名:武塔天神)が南海に結婚相手を探しに行った際に、日が暮れたので宿を借りようとしたが、裕福な巨丹将来(こたんしょうらい)はこれを断り、貧乏な蘇民将来(そみんしょうらい)は素戔嗚尊を喜んで泊めた。8年後、素戔嗚尊は蘇民将来の家に来て、彼に茅(かや)の輪を授けた。その夜から疫病が大流行して多くの人が死んだが、蘇民将来は無事だった。」というものです。(『東亜古俗考』( 藤原相之助:著、春陽堂書店:1943年刊)より)
福山にも、同じ伝承がある。
ところが、蘇民将来の名前はきくが、
巨丹将来の名前をきいたのは、
東北に上がるときの武塔神(素戔嗚)のはなしの時だった。
巨丹・・・聞きなれない名前だが
コタンといえば、カムイコタンとか・・・
さては、コタンはアイヌ人?もしくは縄文人、
その縄文人を追撃する素戔嗚(弥生人)?
北海道にyapp遺伝子のC(だったか・・)が多いのは
このせいか・・・
と、半ば、納得していたのだが・・・
巨丹?
ネットを探すと
巨旦
に、なっています。
丹と旦 では、意味合いが違うのでは?
意味 |
①「あした(朝)」、「よあけ」、「早朝」(例:平旦、元旦) ②「夜が明ける」 ③「檀の略字。」(例:旦那) ※「檀」とは、他人に財物などを与えたり、相手の利益になるよう 教えを導く事を言います。 ④「女形(おやま-歌舞伎において若い女性の役を演じる役者)」 |
【 丹 】 [音] タン
どうしたものでしょう?
巨丹でも巨旦でも
③「檀の略字。」(例:旦那)
※「檀」とは、他人に財物などを与えたり、相手の利益になるよう
教えを導く事を言います。
③
“阿蘇山”の「蘇」ですね。
「蘓」という、左右が逆になった文字もありますが、
字意は全く同じで、完全な同字と解釈して良いでしょう。
字の意味としては、「魚」は文字通り「さかな」。
「禾」はイネ科の植物を示す会意文字です。
魚とイネ、全く関連性の無い物を二つ並べて、
〈全く関係がないこと。隙間が空いていること〉
又は〈別々に分ける〉という意味の文字が
「穌」で、音読みは「ソ」です。
この文字だけでも「よみがえる」という意味です。
〈別々に分ける〉という意味から、
〈詰まったところを振り分けて道を通す〉という意味合いが
派生しました。
息の詰まった人間が、息の通り道を通して息を吹き返すこと。
つまり〈よみがえる〉という意味になります。
この文字に「艸(くさ)」の冠が付くことで、
同じく〈よみがえる〉という意味だけではなく、
葉と葉の間に隙間が空いている植物を表す文字になりました。
派生しました。
“阿蘇山”の「蘇」ですね。
第一回は、ワノフスキーの火山神話論の本丸、スサノオについてです。
スサノオ=火山説を言い出したのは、物理学者であり、有名な随筆家でもる寺田寅彦であるようですが、ワノフスキーもその先駆者のひとりです。そして、スサノオの火山的性格についての、最も詳細な議論は、ワノフスキーの著書『火山と太陽』で展開されています。
岩戸隠れという有名な神話があります。アマテラスの領国である天上世界で、スサノオが大暴れして、田んぼの畦を壊したり、御殿にウンコをしたりする場面です。スサノオのあまりの乱暴狼藉に、ブチ切れるアマテラス。太陽の女神が、岩の穴に隠れてしまい、世界は永遠の夜のような暗黒につつまれる。困った神々はあれこれと策を弄して、アマテラスを岩穴から引き出し、ようやく世界は明るくなった──という結末です。古事記、日本書紀などにかかれた神話のなかでも最も有名な話で、ひとつのクライマックスとされています。
ワノフスキーは、この神話におけるスサノオを、火山の巨大な噴火として解釈しています。ものすごい噴煙が空を覆い、太陽を隠してしまうほどの噴火を目撃した古代人の記憶が、この神話のいちばん深いところにあるというのです。火山の神スサノオと太陽の神アマテラスの闘争として、古事記神話を読みすすめ、第二次世界大戦の戦時下の東京で、「火山と太陽──古事記神話の新解釈」と題する論文にまとめています。この論文をメインとする『火山と太陽』という書籍が刊行されたのは1955年のことでした。
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素戔嗚が火山であった。
と、いうのであれば、
確かに「阿蘇」である。
阿蘇という名前はアイヌ語の「火を吐く山」という意味の言葉からともいい、日本書紀の中には、景行天皇18年6月16日条に《阿蘇の国に来られた。その国の野原はひろく、遠くまで人が住んでいる気配はまったく無い。そこで天皇はおっしゃられた。「この国には人は居ないのだろうか」そのとき、阿蘇津彦(アソツヒコ)・阿蘇津姫(アソツヒメ)の二神が人の姿になって現れ「われら二人あり、何ぞ人無しとおっしゃられるのです」と言われた。》とあります。何ぞという「何」は「阿」にも通じ 阿そ 即ち阿蘇という呼び名が生まれたともいうのです。
肥後国風土記には肥後の国閼宗(アソ)の県(さと)と記されています。また日本後記には、肥後国阿蘇郡山上に沼あり、その名神霊地(シンレイチ)という。と書かれ郡の名を示しています。
また和名抄(ワミョウショウ)という書物には阿曽とかかれています。このように「アソ」という発音に文字をあてはめているようです。中国の書物、随所にも「いわれなく阿蘇山に火がおこって石が天までふき上がり、人々は不思議な思いと、おそれの気持ちで祭ごとを行った。」といった意味のことが書かれています。
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ここで、アイヌ語がでてくるとは・・
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