【刀剣ワールド】日本刀の反りとは (touken-world.jp)
内反り(うちぞり):上古代または鎌倉時代
刀身の反りが棟側ではなく、
刃のほうに反っており、一般的に日本刀と言えば、棟側につく物なので、珍しいタイプと言えます。
上古刀では直刀、鎌倉時代は短刀が内反りになりました。
*内反りの効果*
鎌倉時代中期になると、より実戦重視の形状へと変化し、身幅がより広くなって、重ねも分厚くなります。鋒/切先はこれまで細かった物が、中鋒/中切先となり、太くなりました。
反りに関しては、中反りとなり、分厚い甲冑も断ち切ることができるような豪快な日本刀へと進化したのです。どちらかと言うと、1対1での戦いを想定した形状となっています。
ところが、鎌倉時代後期になると事情が大きく変化したのです。大陸から襲撃される対策として、一騎討ちではなく集団戦を余儀なくされ、兜(かぶと)や鎧(よろい)もしっかり断ち切れるように鋒/切先がさらに大きくなり、身幅も細くなりました。
********
菅政友によって発掘された物は、形状は内反り(通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲)の片刃の鉄刀。柄頭に環頭が付いている。全長は記録によって微妙に異なるが、85cm位である。
というところの、内反りが判らなかった。
通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲・・・というので、
曲刀のような姿なのか?
鎌のような姿?
と、調べてきた。
【刀剣ワールド】日本刀の反りとは (touken-world.jp)のほうに、写真があるが、
そこまでは、失敬してこなかった。
どうやら、上古代または鎌倉時代ということで、
一応、時代としては合っているというところだろう。
*布都御魂*
石上神宮
布都御魂はやがて拝殿の裏手の禁足地に埋められるが、明治7年(1874年)に当時の大宮司の菅政友によって発掘され、本殿内陣に奉安され、ご神体として祭られている。その際、刀鍛冶師の月山貞一(初代)が作刀した布都御魂剣の複製2振が本殿中陣に奉安された。
菅政友によって発掘された物は、形状は内反り(通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲)の片刃の鉄刀。柄頭に環頭が付いている。全長は記録によって微妙に異なるが、85cm位である。
石上神宮にはともに天羽々斬(布都斯魂剣)も奉安されている。
鹿島神宮
一方、鹿島神宮にも布都御魂剣または韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀が伝わっている。由来は不明であるが、奈良時代末期から平安初期の制作とされる。国宝に指定されており、鹿島神宮の宝物館にて展示されている。
布都御魂は神武天皇に下される前は鹿島神宮の主神であるタケミカヅチのものであり、布都御魂が石上神宮に安置され鹿島に戻らなかったために作られた二代目が、現在鹿島に伝わる布都御魂剣であるという。
*******
ただし、持っていたと思われる人物を考えると、
矛盾が生じてくる。
**********
熊野に上陸したものの土地の神の毒気を受け軍衆は倒れた。そこへ熊野高倉下が現れ、霊夢を見たと称して天神から授かった神剣韴霊(ふつのみたま)を奉った。これはかつて武甕槌神が所有していた剣である。剣の霊力により軍衆は起き上がることができた。
と、あるのだから、
天神なるものは、すでに鉄の剣(たぶん)を持っていたという事になる。
すると、このあたりの年代にあわせると、
スサノオあたりが、もっていた天羽々斬(あめのはばきり)も考えさせられる。
記紀では、スサノオが、高天原の宝物殿から、持ち出した。と、いうことらしい。
********
須佐之男命(すさのおのみこと)はこの剣で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した。
天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)、布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)、蛇之麁正(おろちのあらまさ)、大蛇麁(おろちあぎと)など、複数の別名がある。羽々とは大蛇の事。
*********
斯
①これ。この。ここ。「斯界」「斯業」 此(シ) ②ここに。すなわち。 ③かく。かように。このように。
布都(←これ)の魂である剣。
では、布都・・って、なに?
どうも、「ふつ」という物を切る時の音・・という解釈がまかり通っている。
これは、消極的な解釈ではないだろうか?
他に見当たらない・・・というか。
調べてみると、
「ふつ」はスサノオが楚の国の人間だとする論から
「ふつ」というのは、父親の名前だという。
で、「ふつし」がスサノオの名前・・・
「ふつ」の嫡嗣で ふつし・・かな?
つまり、「ふつのみたまのつるぎ」と「ふつしみたまのつるぎ」は同じと思われる。
父からもらって、
自分のものになったので、「ふつしの・・・」ということになるのか。
だが・・・
これは、疑問である。
いわゆる、マイ・ソードということになり、同じものをもっても
饒速日剣 神武剣 などというようなことは考えにくい。
馬でさえ、色んな名前を付けられる。
阿久利黒 坂上田村麻呂の愛馬。水沢競馬場では阿久利黒にちなんだ『阿久利黒賞』が開催されていた。
********
逆に、剣を手に入れた経緯や用途?が名前になりやすい。
だとすれば、記紀に準ずれば
「ふつ」ー「父津」と考えられる。
父から受け継いだ、父の魂(精神?)を受け継いだ
と、いう「意味」と音「ふつ―キレる音」が二重になっていると
今までパターンによく合っている。
須佐之男命ー清い精神の男
すー浄化
さー精神・魂
*****
大熊猫をジャイアントパンダと読ませる。
******
音霊をこめていると考えると
「布都」ーぬのみやこ。ー奴の都とも読める。
都=戸と考えると 奴国王の魂剣 という取り方もできる。
****
しかし、問題はこの剣の霊力。
わざわざ、神武にもたらしたり・・・しないと、
どうにもならない状態だったわけで、
起死回生的働きというと、
なんだか、饒速日の十種神宝の中の
反魂(よみがえり)の品物とダブってくる。
*******
ところが、饒速日の剣(十種神宝)は
- 八握剣(やつかのつるぎ)と、なっている。
スサノオの剣は高天原から持ってきたということもあるのか、
十握剣である。
十束剣(とつかのつるぎ)は、日本神話に登場する剣の総称。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される。
*********
奇妙だと思うのは代理だけであろうか?
天孫の印として、十種神宝を受け取っているのだから、
当然、剣も十握剣になるのではないか?
こうなると、同じものを持っていた(弓など)神武も
八握剣だったのではないだろうか?
**********
一つの仮想が浮かぶ。
十=十字=キリスト教
八=ヤハウェ=ユダヤ教
**********
つまり、神武も饒速日も、
ユダヤーヘブライ人によって担がれていて
例えば同じ12支族のそれぞれ・・・
と、いうことにしたのかもしれない。
高天原系・・のほうは、のちに、キリスト教に改宗したか?
***********
同時に、饒速日がもっていたとする 布瑠の言(ふるのこと)
布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。
これが無ければ、死者蘇生・起死回生・・が発動しないだろう。
その 布瑠の言を込めたのが 布都魂剣ということになるのなら
布(?)を 止める (都める) ことで、
起死回生となる。
瑠 七宝の一つ「瑠璃(ルリ)」のこと。 形声。 玉と、音符留(リウ)とから成る。 美しい玉の意を表す。
布 ①ぬの。織物。「布巾(フキン)」「綿布」 ②しく。ひろげる。「布陣」「散布」 ③広く行きわたらせる。「布教」「流布」
漢字からは
布都ー遷都・治世 ということで、
タケミカヅチが、国譲りの時に使ったという「経緯名前」と思う。
**********
しかし、問題はこの剣の霊力。
陰陽師的・スピリチュアル的・古神道などを考えると
人間自体が 一本の剣(この場合)と思える。
実際、スピリチュアル・ヒーラー?などが、
仕組みを理解して、使い始めている手法であるが
亡くなった人間が、自身の「浮かばせなくしている思い」につかまれ
いわゆる、成仏できないとき、
人間を通して、その思いを「断ち切ろう」とする。
で、断ち切るというが、
うっかりすると、人間のほうが その思いにとっ捕まってしまう。
「にくい、殺す」という「浮かばせなくしている思い」を
人間に(憑依?)して、解決させようとする。
そこが判っていれば、はは~~、増幅させよるな。これは自分ではないぞ。
と、なり、
「にくい、殺す」という思いを、行動に起こさず、自分(人間)が乗り越えて見せる、と
亡くなった人間が、いわゆる、断捨離できる。
ところが、なかなか、
自分(人間)が乗り越えて見せる ということが出来にくいため
人間を通して、その思いを「断ち切ろう」とするのを
人間でなく、「剣」を「伝い」にして
その思いを「断ち切る」
*********
これが、布都魂剣の霊力であろうと考えられる。
おそらく、神武軍に毒気?をあてた大元である
「呪縛・呪詛」という「思い」を断ち切るに
必要な剣であったと思う。
********
これを
弥彦神社では、天香久山 ー高倉下ー伊夜彦ー饒速日の子孫
が、武御雷から、(他の者にせよ)受け取ったというのであるのなら
****
同時に、饒速日がもっていたとする 布瑠の言(ふるのこと)
布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。
これが無ければ、死者蘇生・起死回生・・が発動しないだろう。
****
饒速日の子孫が、布都魂剣に 布瑠の言 を込められる唯一の人間であったと考えられる。
もしかすると
瑠 七宝の一つ「瑠璃(ルリ)」のこと。 形声。 玉と、音符留(リウ)とから成る。 美しい玉の意を表す。
- 生玉(いくたま)
- 死返玉(まかるかへしのたま)
- 足玉(たるたま)
- 道返玉(ちかへしのたま)
が、ないと 布都魂剣に 布瑠の言 を込められないのかもしれない。
こういう大事なことは、大和朝廷側の権威を無くさせるためだけなので
書かないのだろう。
ところが、皇室を起死回生に導くほどの「働き」をもっているということは、
いろいろ知れ渡るところになったのか?
弥彦神 天香久山 ー高倉下ー伊夜彦ー饒速日の子孫
かなりの信奉をあつめているし、
一宮にもなっている。
ここも、二礼四拍手一礼
と、
二人?の神を一つにまとめようとしていると思える作法があるので、
なにか、隠されていると思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます