憧れのAudio☆お知らせブログ☆

メインブログアドレス⇔http://longingforaudio.blog.fc2.com/

まだ 紐解けるものがあるような気がして  2023-08-29

2023年09月11日 | 歴婆の勝手な解釈

勝手な解釈で歴史を齧ってみているのだが

こんな 「勝手」が 最近よく読まれていると思う。

(本来はAUDIOなのであるが・・・・・)

なかなか、歴史(勝手な解釈)記事をかけずにいるのだけど・・・

やはり、気にかかるのが 

王の舞

宇波西神社の祭神は ウガヤフキアエズなのであるが・・・

その神社の名前は 「宇」(宇宙の宇・・神と考えてよいと思う)が

西の波に乗ってきてやってきた・・・

と、いうもので

到着地は 日向(こちらは 九州の日向とちがい「ひるが」)と思う。

このウガヤフキアエズの王の舞は 海幸彦山幸彦の争いを彷彿させる神事となっている。

この宇波西神社の王の舞のほかにも

「王」「王の舞」が存在するのですが

―今ちょっと資料が見当たらないー

国常立 猿田彦 武内宿祢  (字が違う・・・)など・・

いろいろな王があり 

山の上の部落では 神功皇后をまつっていたり・・・

ふと、考えるのが

「王朝(政権)が残らず滅びた人」「明確な存在といえない」と、いう

不可思議な「王」たちばかりなのです。

ウガヤフキアエズも72代~74代続いたという話もあるわけで

西の波に乗ってきた という話も 

西方浄土からという、黄泉がえり的解釈も成り立ってくるのが

国常立 日高見王朝説

の、存在だったりもしますが

消えた王朝?の人物たちが なぜ 若狭地方で

「王」として伝承されているのかが 不思議です。

 

西の波に乗ってやってきた・・・と、したとき

素直に日向(ひるが)に着くだろうかと思います。

飛び出している半島 常神半島に たどり着くのではないか?と

思うのです。

その常神半島から 内陸にはいる峠が

塩坂超 と、書いて「しゃくし」と読みます。

この「しゃくし」は

石神井でもあり 石神であるわけです。

 

ミジャクシは 

「み(へび)」と「石神」が 結びついたものではないか?

と、考えています。

ミシャグジと古木・石棒

藤森栄一・今井野菊・宮坂光昭・古部族研究会(野本三吉、北村皆雄、田中基の3人)らの研究により、ミシャグジと石棒石皿との関係が明らかになった。上記の通り、今井の実地踏査で古木の根元に石棒を祀るのが最も典型的なミシャグジのあり方であることが判明した。このことから、ミシャグジは木に降りて、石に宿る神霊と信じられていたと考えられる。

北村は、ミシャグジの神体となっている石棒や石皿のほとんどが縄文中期のものであると指摘し、石棒は本来のミシャグジの神体ではなかったとする宮地直一の説に対して、ミシャグジ信仰のルーツを縄文中期の地母神信仰に求め、石棒の中にその信仰的胚珠をもっていたと捉えた[39]。いっぽう宮坂は神木・石棒信仰を古代の蛇信仰と結びつけ(神木-蛇-男根-石棒)、諏訪大社の龍蛇信仰はやはり縄文中期に遡るといわれるミシャグジ(石棒)信仰と繋がっていると考えた

 

生命の根源 といって良い のが、ミシャグシ あるいは 石神 であると思えます。

すると、話 交錯しますが

瓊瓊杵尊 というのは、 瓊は 美しい珠 それが二つと (瓊瓊)

杵 (口憚るのですが) これは 男性器ととらえると

瓊瓊杵尊もまた ミシャグシ と捉えることができます。

ようは 人間賛歌というか 生命の賞賛というか。

「大元」「根源」であるという 尊い呼び名と考えられます。

一方で

もうひとつの 「ににぎのみこと」

邇邇芸命 これは、赤赤とした「芸」(の者)というような意味にとらえられます

そこで、

最初の王の舞に戻ります。

彼らのほぼ 全員が赤い面に赤い装束で王の舞を舞います。

まさに 邇邇芸なのです。

 

これはどういうことなのでしょう・・・・

滅びた王朝?の者たち=邇邇芸

奇妙に呼び名が違う 瓊瓊杵尊と邇邇芸命

 

穿ってみれば

邇邇芸命もまた 滅びた王朝?の者であると

伝えるための 王の舞????

ウガヤフキアエズ王朝が ウガヤフキアエズ1代に閉じ込められ消滅したとするのなら

邇邇芸命は 閉じ込めた側か 閉じ込められた側かは判らない。

瓊瓊杵尊は大分

邇邇芸命は 福岡あたりかな???

どちらが本物かどうかは定かでないが

大和朝廷が、上手に利用したのは間違いない。

 

王の舞 の王 と

邇邇芸(赤々と装う芸(人))

なにか、まだ 紐解けるものがあるような気がして

記事が止まっている。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿