家紋と苗字というのを、きにしだしたのは、
高橋による。
実際の高は、
口高でなく、梯子高であるが、
髙橋(環境依存文字)のため、
文字化けをおこしがちになる。
ネットのなか、特にサイト登録などには、
使用出来ず、高(口高)を使うようにしている。
とりあえずは高を使うが、梯子高(髙)であると考えて頂きたい。
その髙橋の方のルーツというと
物部氏になるという。
同じ梯子高でも
巫(かんなぎ)のような宗教的側面をもつ高橋と
橋をつくるような、技術側面をもつ高橋とがあり
どうも、
今の様子をみていても、
技術系・高橋であったと思われる。(高橋DNAの仕業?)
とは、いうものの、
洞察力というのかな?
兆し的なものに、わりと敏感なところがあり
不思議と、まわりが、事故にならずにすんでいるところがあるので、
あるいは、巫的素質にも、「洞察力」が資質にあるとするのなら、
巫高橋も技術高橋も紙一重というか、裏表でしかないきがする。
ただ、仕事になってくると
「勘?」「第6感」では当てにならないので、
データを重んじる。
その技術の集大成で、技術的な勘がみにつくのも
当然で、
まあ、OHなど・・丁寧で正確なはんだましを
かなりのスピードでしあげていくから・・
同じ「勘」であっても、会得の領域になっていると思うと
やはり技術高橋のルーツであると思えてくる。
一方、家紋であるが・・・
これが、茶の実であるということでしたが・・・
今もあるのか、どうかわかりませんが、
橘吉という陶芸屋?さんの茶碗・皿には
橘の紋?商標・ロゴマーク?が入っていました。
橘というのは、お雛様の飾りにもあり
左近の桜・右近の橘として、飾られています。
右近橘(うこんのたちばな)は、平安京の内裏にある紫宸殿正面の階段から見て右にあった橘の樹。
左近桜に相対したものである。
『天暦御記』によれば、もとは秦河勝の宅にあったのを、内裏建造の際に紫宸殿があたかも宅の故地に相当するから、旧によってこれを植えたもので、天徳年間(957年-961年)まであったという。
『日本紀略』によれば、天徳3年(959年)12月7日あらたに橘樹1本、高さ1丈2尺を植え替え、これは東三条殿の樹で、勅命によった。のちに、皇居の炎上その他でしばしば植え替えが行なわれたが、里内裏の際にもまたこれを植え替える例となった。橘を植えるのは、秦河勝宅地の縁だけではなくて、橘が古くから「トキジクノカクノコノミ」といわれ、その葉が寒暖の別なく常に生い茂り栄えるから、長寿瑞祥の樹として珍重されたからでもあるともいう。
現在の京都御所にも古式に則って再建されたものが伝わっている。
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まあ、吉祥木というものでしょうね。
お宝・鑑定団を見ている人は
「しょんずい」という言葉を知っているとおもいますが、
これも祥瑞(しょうずい)という、おめでたい柄が描かれたものったと思います。
ですので、
橘のほうが、生活のなかで、傍らにあるにくらべ
茶の実は、みたことがないし、
おまけに、パッとみたら、
橘と茶の実の違いが判らない。
![]() 一つ茶の実 |
丸に一つ茶の実 ![]() |
![]() 橘 |
![]() 丸に橘 |
茶の実ということをしらなければ、
橘紋の一種だとおもってしまう。
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そして、代理の父親の方は
「わしんとこは、剣かたばみ、じゃ」
と、いうわけです。
どうも、このあたりは、
昔昔
家系図・由緒書き辺りを作る時に
「源氏の出にしといてくれ」
(おい!!)
などというのがあり、
剣かたばみも
うろおぼえながら、源氏系列とか
素戔嗚系列(神紋が三柏でよく似た感じ?)のせいか?
![]() 剣片喰 |
![]() 丸に剣片喰 |
![]() 三つ柏 |
![]() 丸に三つ柏 |
柏の葉に神への食撰をもって、
お供え?するとか、
柏手をうつ(神様のところで、手をうつのは、
拍手(はくしゅ)でなく、柏手(かしわで)を打つと言います。)
家紋のところに書いてありましたwww
柏餅といえば端午の節句ですね。古代から柏の葉は、神前に供物を供えるとき器代わりに用いられ、神聖なものとして尊ばれたそうです。鎌倉時代には、すでに武家が文様として用いています。三葉よりなる三つ柏がよく知られていますが、とてもバリエーションの多い家紋の一つです。
素戔嗚は武塔神ともいわれ(同一視?)
オロチ退治や治水・たたら製鉄?あたりで、
智と力をかねそなえた神(人物)として
三柏の紋によくにた
かたばみ、これに剣をいれるとしたようなところがあって
素戔嗚系列という話になってきたのかもしれません。
ところが・・・
ーーー続くーーー
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