話をもとにもどして、
神武天皇が東方遠征をおこなったというあたりの件で、
流刑された?らしい鵜草葺不合命との接点がおかしいとかいたわけですが、
兵庫県みみはま?で、船をつくらせるのに
1か月以上、もっと?滞在していたとあるのも、
奇妙におもえるのです。
日向から出発して、なのか、
近畿地方に落ち着いてからの話なのかも判らないのですが、
仮に東方遠征のときであったら、
平定していない土地に長い間造船の為にとどまっていられるのだろうか?
造船の技術者並びに材料をあつめるのも、
大変な苦労であるなか、
東方遠征を阻止するものもあらわれ、
一か所にとどまっていることは不可能に思えるわけです。
それが、出来るとすれば、
逆に耳川やみみつはま、日向をなつかしむ存在である
鵜草葺不合命が、あたり一帯をすでに掌握していたとしたら、
可能であり、
この鵜草葺不合命を神武だとすり替えたとも考えられるわけです。
で、なければ、奇妙な地名の一致はありえないきがしてしまうのです。
そして、もうひとつの奇妙な存在として、
饒速日があらわれてきますが、
この饒速日
「最初に日本(大和)に降臨した天孫である」
と、いうことですから、
「鵜草葺不合命」と、同じ状況ではないか?
と、いうことです。
つまり、東方遠征は実はにげのびた鵜草葺不合命を討伐しにいったとも考えられます。
ここも、鵜草葺不合命を討伐しにいったでは、まずいので、
饒速日をスケープゴートにしてしまったとも考えられます。
そう考えるのは、逆に奇妙な大鮫、天狗のような存在に救われるというのも、
海戦でまけがこんでしまい
ーほら、みろ、やっぱり、正統な跡取りでないから負けるのだー
と、いう見方やムードを払拭するためにも、
奇妙な存在の加護があるのは、やはり、正統な後継者ということだ。
と、うえつけていくような弁明と発布を目的にしているかのように見えてくるのです。
そして、ましてや、鵜草葺不合命を追討するとは、
おかしなことですから、
絶対、ほかの人でかぶせなければならず
かつ、惨殺などあってはならず
あくまでも、神武天皇の御威光にひれふした
先の天孫も神武こそが正統であると認める。
と、言う筋書きになってきたのではないかと思えてくるのです。
そして、饒速日という人物もまた、素性がさっぱりわからないのですが
こちらは、むしろ、素戔嗚系列に考える人が多く
実際、出雲の国譲りの地、美保埼・三保埼の地では
諸田舟神事のなかに、饒速日が書き込まれているという話があるわけです。
と、なると、この存在はむしろ、神武天皇の所業を良しとしていなかったところがあり
神武天皇にとっても、打ち破っていかねばならない相手だったと思えます。
この名前を借りて、鵜草葺不合命をうつのは、都合が良かったのではないかと思えるのです。
そして、ある文献によれば
饒速日もまた別のシュメール・ヘブライの民族ではなかったか?
と、いうことで、
むしろ、鵜草葺不合命の一族ではなかったのか?
と、言われているわけですから
絶対的に殺戮などおこなえなかったということでしょう。
(実際の問題でなく、文章に残す、史実として考えたら)
一方で、大和族が漢民族、朝鮮系列だという話もあり、
さる宗教の創始者によると
「うえつひと(上津人)は、みな、からびと(唐人)じゃ」
という、透視?のようなことを言っているわけです。
その考えもありだなというのは、
非常に真似事がうまい。
と、とらえる所に拠ります。
仮にからびとであるのなら、
ウガヤフキアエズ王朝の神話からなにから、そっくりまねてきたと言う事に成るからです。
ですが、
今までの天皇の生きざまを思いますと
国のために、人のため
と、いういきざまは「からびと」では、背負いきれないと思ってしまうのです。
ヘブライ・シュメール人であれば、
神官をあおいで、神の宣託をおろしてもらい
神の指示に従う。
神を1番におくという意味では、ある程度「無私」に徹することができるわけですから、
日本人古来から持っていた「人に尽くす遺伝子」いわゆる親切遺伝子の真似は出来るでしょう。
そして、縄文遺伝子と弥生遺伝子が融合し
天皇制は確立していったのでしょう。
人に尽くす、国がたちゆき、民が安心して生活できるように考えてしまう遺伝子と
絶対的な存在に対し忠誠を示すという遺伝子とが
くみあわさって、
いまだに、天皇は天に祈るわけです。
この国が平であるように、民が安息であるようにと・・・。
今の世からその昔から
天皇が天皇たろうとしてきたのは事実であり、
アークがどうのこうのなど、正統がどうだろうとか
実際はどうでもいいことです。
まあ、いわば、産みの母より育ての母というように
産みの母という本物であるかより
この命を守り育ててきた母の姿が
大切なわけです。
けして、天皇制への批判文書ではなく、
あるいは、
天皇がどういう由緒であっても
天皇のその姿を見る限り
今の日本人の心のよりどころ
磐緒であるのは、事実です。
その天皇という存在を作っていった基に
鵜草葺不合命・ウガヤフキアエズ王朝があるのなら、
この古代王朝も隠されてはならないという思いがあるのです。
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ながながと、まとまらない仮説で、資料不足な話を書き続けて来ました。
年代の考証も、事実はわからないと言う事と、
代理自身も書きながら考え直しているという
非常に不確かな論理展開(論理になっていませんが・・)で
自分でも、何をつかみ取りたくて、書いているのか
ここに来るまで、わからなかったところがあります。
今、かきおえてみて、
自分で納得している有様です。
まだ、いろいろと、歴史の中では、
事実と精神の違いやら
普通に考えたら判らない、矛盾した出来事も多くあるのだと思い
逆にそこに謎を解くカギがあるのではないか?
と、考えていて
事実や年代などより、
感情部分優先で考えてみたところがあります。
かえって、歴史にお詳しい方の逆鱗にふれる間違いだらけであるところは、
ご容赦くださいますようにお願いいたします。
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