昨年の12/22に旦那が最近見た不思議な夢です。義父の死後、半年くらいだったと思います。
「自分が(義母の家の)作業場で、木工をしていた。
ふと振り向くと、背後に、でかい植木鉢があって、そこから
親父が生えているのよ。
親父がヒマワリになっているのよ。
いや、ヒマワリつか、
ヒマワリの花の部分あるやろ?あそこが親父の顔なんよ。ガキの絵本みたいな感じで
お花さん、とか絵があるやろ?あんなん。
で、胴体がヒマワリつか、葉っぱとか生えてる。植木鉢から親父が生えているわけよ。
そのヒマワリ化した親父が、なんか俺を見て、にこにこ笑っているのよ。もう、ニッコニコ。
俺は驚いたね。で、二階に向かって(義母が住んでいる)おかんに、
「おいっ!出たぞっ!早く見に来い!!」って言ったのよ。そうしているうちに
親父は体を揺らしたかどうかして、
植木鉢が倒れちゃったらしいんだな。で、もがいてるわけよ。植木鉢から出ようとして」
*************************
旦那はあまり夢を見ません。
見ても白黒だそうで、私はオールカラー総天然色です。
だからどっちがえらいかというのではなく、
たぶん、旦那が睡眠が深く私は浅いので、
私の方が、半意識的に、夢に勝手に色をつけている可能性もあります。
見る夢も、あまり波乱万丈な夢は無かったのですが
(会社で、仕事が間に合いそうに無くてとか、そういう感じ)
義父がなくなって、この一年、意味深な夢を時々見るようになってきました。
原因はよくわかりませんが、旦那の大きな変化としては
「実用」のみだったのが、「美」について価値を見出し始めたということです。
これは私にとってはリンゴが天から降ってくるような、非常に驚愕した出来事でした。
旦那は、そうですね、まあー、ものに例えると
「ドリル」とか「チェーンソー」みたいな人です。
鋼のような神経と、毛の生えた心臓をあわせもち、
悲しいだのうれしいだのという単語を聞いたことがありません。
「××の直径は何ミクロン」みたいな単語は良く聞きます。
しかし、情がないわけではなく、
親が経済的に苦しいとき、黙って一か月分のバイト料を渡したという話を
義母から聞いたことがありますが
旦那によれば
「金が無いんだから、渡すしかしょーがないやろ」
ということらしいです。前振りはナシ。いきなり行動。
このへんは私は結構尊敬しています。
前振りが長いですが、まあ、そういう限りなく現実的な人なのだ、ということが
言いたいわけです。
彼は常々
「日本には工学部しか必要ない」
と豪語しており(工学部以外のみなさん、申し訳ありません。私も文学部でしたので
旦那とは何回もモーレツに喧嘩をしました)
工業国家たる日本を愛し、工業製品を作ることを生き甲斐としていたわけで、
数値で測れないものにはまるきり価値を置いていませんでした。
義父は非常に腕のよい職人でした。
仕事が早く、安く、良心的で、あとのメンテとかも快く無料で引き受けて、
「人ばっかり良くて・・・」
とか、旦那は言っていました。
私も義父の仕事はよく知っていますが、義父に関してのイメージは
「早い・うまい・正確」
というもので、実際的な腕が良い、というものでした。
ところが、義父の死後、遺品から、
掛け軸にするであろう書とか、達磨法師というんですか?そんな宗教画とかが
出てきました。
「あー、それ、なんかおとうさんが本とか見ながら書いた」とか義母は言っていました
(義父は中卒)。
しかし、うまいのです。書も絵も。
ただマネして描いただけではなく、何かひきつけられるものがありました。
旦那は木工をはじめた当初、
「早く正確に」作り、で、出来た完成品(行灯)を見て、
「なにか違う・・・」とか言ってました。
「確かにちゃんと出来ている。出来ているが、一体なんだろう???」
と。
私「工作、って感じだよね」
旦那は、うーむと唸り、「そうか、美が足りないのだ」と言っていました。
それから、京都の工芸品などに興味が向いてきました。
あの夢は、丁度、そういう会話をしたころの夢でした。
「自分が(義母の家の)作業場で、木工をしていた。
ふと振り向くと、背後に、でかい植木鉢があって、そこから
親父が生えているのよ。
親父がヒマワリになっているのよ。
いや、ヒマワリつか、
ヒマワリの花の部分あるやろ?あそこが親父の顔なんよ。ガキの絵本みたいな感じで
お花さん、とか絵があるやろ?あんなん。
で、胴体がヒマワリつか、葉っぱとか生えてる。植木鉢から親父が生えているわけよ。
そのヒマワリ化した親父が、なんか俺を見て、にこにこ笑っているのよ。もう、ニッコニコ。
俺は驚いたね。で、二階に向かって(義母が住んでいる)おかんに、
「おいっ!出たぞっ!早く見に来い!!」って言ったのよ。そうしているうちに
親父は体を揺らしたかどうかして、
植木鉢が倒れちゃったらしいんだな。で、もがいてるわけよ。植木鉢から出ようとして」
*************************
旦那はあまり夢を見ません。
見ても白黒だそうで、私はオールカラー総天然色です。
だからどっちがえらいかというのではなく、
たぶん、旦那が睡眠が深く私は浅いので、
私の方が、半意識的に、夢に勝手に色をつけている可能性もあります。
見る夢も、あまり波乱万丈な夢は無かったのですが
(会社で、仕事が間に合いそうに無くてとか、そういう感じ)
義父がなくなって、この一年、意味深な夢を時々見るようになってきました。
原因はよくわかりませんが、旦那の大きな変化としては
「実用」のみだったのが、「美」について価値を見出し始めたということです。
これは私にとってはリンゴが天から降ってくるような、非常に驚愕した出来事でした。
旦那は、そうですね、まあー、ものに例えると
「ドリル」とか「チェーンソー」みたいな人です。
鋼のような神経と、毛の生えた心臓をあわせもち、
悲しいだのうれしいだのという単語を聞いたことがありません。
「××の直径は何ミクロン」みたいな単語は良く聞きます。
しかし、情がないわけではなく、
親が経済的に苦しいとき、黙って一か月分のバイト料を渡したという話を
義母から聞いたことがありますが
旦那によれば
「金が無いんだから、渡すしかしょーがないやろ」
ということらしいです。前振りはナシ。いきなり行動。
このへんは私は結構尊敬しています。
前振りが長いですが、まあ、そういう限りなく現実的な人なのだ、ということが
言いたいわけです。
彼は常々
「日本には工学部しか必要ない」
と豪語しており(工学部以外のみなさん、申し訳ありません。私も文学部でしたので
旦那とは何回もモーレツに喧嘩をしました)
工業国家たる日本を愛し、工業製品を作ることを生き甲斐としていたわけで、
数値で測れないものにはまるきり価値を置いていませんでした。
義父は非常に腕のよい職人でした。
仕事が早く、安く、良心的で、あとのメンテとかも快く無料で引き受けて、
「人ばっかり良くて・・・」
とか、旦那は言っていました。
私も義父の仕事はよく知っていますが、義父に関してのイメージは
「早い・うまい・正確」
というもので、実際的な腕が良い、というものでした。
ところが、義父の死後、遺品から、
掛け軸にするであろう書とか、達磨法師というんですか?そんな宗教画とかが
出てきました。
「あー、それ、なんかおとうさんが本とか見ながら書いた」とか義母は言っていました
(義父は中卒)。
しかし、うまいのです。書も絵も。
ただマネして描いただけではなく、何かひきつけられるものがありました。
旦那は木工をはじめた当初、
「早く正確に」作り、で、出来た完成品(行灯)を見て、
「なにか違う・・・」とか言ってました。
「確かにちゃんと出来ている。出来ているが、一体なんだろう???」
と。
私「工作、って感じだよね」
旦那は、うーむと唸り、「そうか、美が足りないのだ」と言っていました。
それから、京都の工芸品などに興味が向いてきました。
あの夢は、丁度、そういう会話をしたころの夢でした。