聖書の話が続いて恐縮ですが、
「復讐するは我にあり」という言葉があります。
これは、復讐する権限は神にあるのだ、という意味です。
あなたが復讐する必要はない、必要があれば適切な時に神があなたに代わって復讐するのだから、あなたは復讐を考えずに、心穏やかに安心して過ごしなさい、という意味です。
「日本最後の仇討」とされている話を再現したドラマを見たことがあります。
江戸時代、子供の時に両親を殺された人が、仇討を果たす話です。
このころにはもう明治になっており、仇討は禁止されていたのですが、
承服しがたく、警察に追われながらも、念願を果たします。
相手は二人おり、仇討される側の人は恐ろしくて逃げて回るのですが、一人を見つけ出して思いを遂げました。
二人目は、一人目が殺されたことを知り、精神を病んでついには自殺してしまいます。
本人は出頭し、法に基づいて裁きを受け、懲役に服します。という内容です。
この人が、仇討をしたことで何か得るものがあったのか、ということはわかりません。
江戸時代の武家の精神は、想像できる部分とできない部分があります。
名誉を回復するためには仇討はどうしても必要だったかもしれません。
しかし、こうまでする必要はあったでしょうか?
あなたが腹を立てたり、復讐を誓ったりする相手は、ほかの人にも似たような態度を取っているはずで、そのうち自分で勝手に失脚するでしょう。
一時的には栄華を手に入れているように見えたとしても、それが長続きするとは限りません。
復讐心に燃えて、自分のあるべき姿、取るべき行動、幸せになる道を見失うよりも、許して、裁きは社会に任せてもいいのではないでしょうか。
私は腹が立ったら「自滅するか、世間が裁いてくれるのだから気にしなくてもよい。どちらも起こらなければ私の方がずれている証拠なので改めるべきだ」と思ってます。人生の修行と思って耐えることもあります(笑)
そう思えば割とすぐに忘れてしまえますよ。