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手作りアクセサリーショップlu-x(るっくす)の店主ホイミのつぶやきブログ
  ~他ブログよりお引っ越ししてきました~

ぷち旅~京都・奈良編*8 謎は謎のままでも可なり。

2011年02月20日 | ぷち旅
こんにちわ~^0^

ぷち旅~京都・奈良編*8 でぇす!

奈良・平城宮跡地を探索していましたが、
大極殿は2つあり、1つは前回ご紹介しました。

もうひとつは真横(東)に全く同じ配置で建てられていたことがわかり
現在調査中だそうですが、中に入れます。

第二次大極殿跡地

先に紹介した大極殿と全く同じ造りの足場だけがあります。

足場の部分に上がったら、柱の跡がポコポコあります。


石の土台の上に柱になる木を立てて置き、屋根を乗っけて屋根の重みだけで立つ宮島(広島)の鳥居さんみたいな感じなのかしら。。???
建物は寄せ棟造りですけれど。。。

先の記事で、なぜ2つの大極殿があったかというくだりで、40年ほどで老朽化したから、隣に立て直したっていう話ともうひとつの話があるんですよ。。

最初に大極殿を建てて、使ってたんだけど、あの時代の人は、何かあると、すぐに都を移す習慣?みたいのがあってね、
30年ほどはこの平城宮跡地に有ったけれど、一時的に京都府下の加茂(木津川市)の恭仁京に移しちゃったんだって。
で、大極殿は、解体して、恭仁京に移送したんだそうです。
だから、持ち運び便利な組み立て式建造物 大極殿(笑)なんだわ(笑)

でも、恭仁京も5年程でや~めた!ってまた奈良に戻ってきちゃったけれど、元の所に戻すのは気が進まないってで(?)隣に建てちゃえ!みたいな(爆)

で、平城宮が都でなくなる時、またどっかへ移送しちゃったんだって。
それが、京都の平安京へ移送されたかどうかはわからないけれどね。

で、今復元されている建物も想像上の造りなので、復元された=実際に有った建物とは言い切れないんです。
だって、実際の建物のスケッチなど一枚も残ってないのですもの。
想像上の空想の中の建物なのですょ^^;

まぁ、あの時代に建った東大寺大仏殿が、創建当初~鎌倉再興時も江戸時代に建てられた現在のものにいたるまでが、すべて寄せ棟造りだったから、多分、寄せ棟造りでしょう~!みたいな感じかな。
ほかに、入母屋造りってのもあるけれど、どっちかと言えば、寄せ棟造りのほうが格上だから。。かな(。・ω・。)

ま、そんな裏話もあるっちゅう事も楽しいじゃないですか~♪
空想=ロマンは果てしなく有ったほうが、事実を知るよりも面白い気がしてきます。


最後に、平城宮の模式図を。

手前が大極殿、中央の縦に並列しているのが朝堂院、上の中央の門が朱雀門です。

京都でも随分歩いたし、平城宮だけでもかなり歩きましたから、かなり足が・・キテます;;;

  ぷち旅って結構歩いているんですよ^^;

次回は、今回少し触れた東大寺です。
 大仏さんの後光に触れてみましょう(=^エ^=)w

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