昼間の妻は私が外出(買い物~用件)で長い時間の外出(3時間)で心細くなるのです。用件もそこそこに終わらせねばなりません。それも最近は学習できてきました。
趣味のデジカメ持参の撮影行の時間もとれなくなったのです。デイがせめて週に(2~3日)してくれれば、すこしは時間が出来るのですが、
(デイの増やしを話すと寂しそうな顔をするので)言えないのです。周りからは私の決断のみと言われるが、まだ決断できないのです)でも来年はそうなるだろう。
妻の起きたり、寝たりに耐えられずに昨夜も私は隣りの部屋に移動。勿論ドアは開放です。将来はパソコン部屋を改造してベットを移動しようと思っている。
時々妄想の話を私にするのです。お父さんこの家に何時までいるの、おられるの?、家賃はいくらなの。お父さん大変だろうね?子供たちはどこにいるの?ここはどこなの?
会社に行かないの?ほかいろいろです。気長に話して聞かせるのです。しかし疲れる対話である。ますますひどくなるんだろう。宝くじでも当たれば故郷(戸畑)に帰ろうと思うのです。家内も戸畑の事は忘れていないのです。時々思うことに(せめて15年でも若ければ、この家を処分してと思う)話をしながら、思うのです。(お墓も、お寺も)故郷戸畑にあるし、いつでも墓参り、お寺参りもできるのです。こんなことを書かせる妻を見ていると、抱きしめてやりたくなります。
年を取るって本当に寂しいものです。時々思うことに、博多にいる妹、ホームにいる姉、屋敷内に部屋を作り一緒の生活すると賑やかでいいだろうな?妻のためにも
なるだろうな?歩いて7~8分の所に家を立てた息子たち(二人)せめてもう少し広い屋敷だったら、同居じゃない別所帯がもてたのです。私の思いですが、
こんな社会になることがわかっていれば(50年先の今を見ていた政治家もいたでしょう)年寄りの一人社会、二人社会は少しは解決できていたでしょう。すべてに
言えるのです。50年先の世の中を見てもらいたい。終戦から67年、車社会(一軒に2台~3台)の車、誰が予想をしたでしょう。中学生時代に自転車ももてない
時代だった。家の中を見渡せばないものなしです。医学の進歩でまた食べ物で長生きしました。故に認知症などの酷な病気、昔は70才。80才の老人は見かけません
でした。私も家内も82才と83才です。うれしいような、悲しいような毎日です。このままいつまで生かされるんでしょうかね。命は尊いと言います。
一度限りの命で当たり前のことぐらいはまだまだ気持ちと脳は考えてはいます。故にいのちの重さ、尊さは。仏の慈悲で重々わかってはいます。然しですよ。、認知症の家族を抱えて大変だと思います。在宅介護が叫ばれているようです。認知症になっても我が家ほど休まるところはありません。本当に大丈夫でしょうか。ますます老老介護が重く
のしかかってくるのです。其れかと言って安価なホームはありません、あったとしても入れない現状です。テレビで見る、聞く僅かな年金では入れません。社会福祉ほど
難しい政治はないでしょう。北欧の国の様にバラ色の人生は来るでしょうか。その時のために、高齢者はその時を考えて僅かな蓄えに願生っているのです。明るい将来が
あれば、誰が我慢しますか。お金が使える楽しさが解らない人はいません。年寄りにお金を使っていただきたい、自衛手段でわずかな貯蓄をしているのです。無理な話だ
と私は思います。私と家内もいずれはお世話になる施設に入らねばなりません。話に聞くとなまじっかなお金では入れません。難しいことは解りませんが、どこの自治体
にも有り余るほどの建物を地震対策を施して使えるものは使う知恵を市民と協働で意見を出しあいましょう。(夢ですかね)
書き出すと次々にいろんなことが湧水の様に湧いてくるのです。〇どうしたんだろう?今夜の妻は21時過ぎに寝て、まだ一度も起きてきません。睡眠剤は飲ませました。
(いつもです)最近に見ない嬉しい夜です。(嬉しい夜だなんておかしですね)本当です。経験しないと絶対に理解できないでしょう。明日妻はデイサービスの日です。
今夜も目覚まし時計を枕元に置いて寝ます。私が目が覚めないと大変です。妻は今日の事は全然わからないのです。完全無欠だった頃の妻を寝顔に思い出します。
現役の交代勤務を良くぞ支えてくれたと思います。正月休みなんて無縁でした。残りの2年ほどの出向で正月ができました。それも30日まで仕事。3日からは仕事
なにかに付けては親会社のあり難さを経験しました。私は愛社精神が身に染みる年と恵まれた現役時代でした。北九州市八幡区のJRスペースワールド駅から見上げる製鉄
マンでないと理解できない誇らしげに天空に聳える八幡製鉄第一号高炉を見るのが楽しみです。愛社精神を持てる、誇れる社会を政治の力でお願いしたいと思います。
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