日々雑感

日々の思いを書く

過去の雑記

2013-07-01 21:10:17 | 今日も日ぐれて、思うこと。
2008年3月4日(火)
【退院】
今日妻は退院、8日振りの我が家に帰り嬉しそうな表情を見て嬉しさを共有した。今日の天気は最悪冷たい雨の終日、そろそろ退院を医師に相談しようと思って病院に行ってびっくり、昨日まで隣にいたおばぁちゃん(91歳)が病室を変わっていた。そしてもう一人のこの方も(お年寄り)は二日の外泊で家に帰り妻は昨夜は一人だったそうだ。妻の部屋は4階でどの部屋もお年寄りばかり、看護師さんたちの忙しさを感じさせない患者さんへの応対には頭が下がる思いです。
妻から聞いた話では 回診に来る医師は(患者=妻)と話をするときに座って目線で話をすると聞きさすがだと思った。立ち姿での回診は患者さんを見下ろすようでいい感じはしないのです。上から目線では尊敬と信頼はできません、患者さんは先生の一言とお顔で救われるのです。
現在(2015年現在)妻とひと月の予約で行く先生は妻に話しかける姿勢が素晴らしいのです。信頼関係ですね。人に接する姿勢を学びますね。
メッキは剥げます。


2007年8月18日(土)
最近
6月の後半ぐらいから妻の体調が芳しくなく今まで昼寝などしたことの無い妻が疲れると言って横になるようになる。今年の猛暑の所為と思いたい。年のせいもあるだろう。?
買い物に行くようになり(主夫)最近は買い物にも慣れてくる、妻に書いてもらったメモを見ながらの買い物である。60代の頃は隣町まで二人でリュックを背負って買い物をした当時を思うと夢のようである。
70代も後半になると一年に春夏秋冬で4才年をとるように思う、最近は弱気になったりすることが時々あるようになる。しかし持ち前の負けてなるかとも思ったりする。こうしてパソコンができるのもいつまでだろうかと思うこともあり脳の活性化のためにも頑張ろうと考える毎日である。。妻が元気な頃はこうした思いはあまりしたことは無かった。
スーパーで見かける私と同じ年代の男性がかごを持って買い物をしているのを見かけると、この人の奥さんも体調が悪いのだろうかと思ってしまう。夕食の準備も妻を助成する、もともとやればできるのだが、今まで妻にばかりさせていた献立も難しいものを作らなくても見よう見まねで出来る。一番残念なのは旅に行けなくなった事である。(旅は一人でしても楽しいとは私は思わないであろう)秋になり涼しくなって以前のように元気が出ることを期待し祈る毎日である。


2006年9月5日(火)
【気持ちのよいお話】
今日の西日本新聞の(春秋)で久し振りに素晴らしいnewsにお目にかかった。
福島県矢祭町、人口7000人の小さな町のお話で(住民に何が欲しいか)のアンケートで図書館と揚げた人が多かった。試算してみた蔵書3万冊規模で十億円となった。そんなお金は無い、書籍購入費ゼロで図書館を造れないか。一計を案じた。町のホームページで経緯を説明して呼びかけた、「眠っている蔵書の寄贈をお願いします。大事に保存し活用します」「送料は申し訳ありませんが送り主負担とさせていただきます」
謝礼も無い、続々と本が届いた。
愛知県からはトラックで段ボール80数箱分が送られてきた。送り主は全国に居るそうだ。高価な写真集や、手に入りにくい古書もある。8月末現在で15万冊近い。平成の大合併には参加しません。5年前に宣言、合併は財政的には楽になる。苦しくても自立の道を選んだ。議員定数を減らし、町長の給料も課長並みに下げた。
国には変な顔をされたが応援する人の輪を広げた。本と一緒に頑張れの添え状も届く。山と積まれた本の整理は町民のボランテイアで、分類の指導は県立図書館が買って出た。役場近くの古い武道場の床を補強して図書館にする。開館は来年1月、寄贈者の名前を掲げてお礼に代えるという。


2006年8月1日(火)
【心中】
平成14年5月にあった共に八十歳を超える高齢の夫婦の心中で、リュウマチで苦しみ死にたいと言う妻と共に死ぬことを決意しして、お仏壇にも別れを告げながら、心ならずも生き残った八十四歳の夫に対する判決が、佐賀地方裁判所であったことが新聞で報じられていた。裁判官が判決文の最後に被告に語りかけるように述べた。『お浄土に参られた奥さんを思い出して余生を送ってください』と言う結びの言葉と、息子夫婦をわざわざ法廷に呼び入れ、
「お二人でお爺ちゃんを大事にしてあげてください」と言って席を立つ判事を見て、法廷内の者は皆涙したと言う。
多くの人が、救われた思いがしたと思う。*以上【以上お寺での聴聞(法話)より。
   
             
以下は、平成18年7月26日(西日本新聞春秋)より、
親子や夫婦間の介護をめぐる痛ましい事件が絶えない。介護疲れと生活苦に絶望した果ての殺人、心中が少なくない。行政などの救済が及ばないところで悲劇は起こる。ことし二月初め、京都伏見区の桂川河川敷で起きた『認知症の母殺害』がそうだった。五十四歳の息子が八十六歳の母を、本人の承諾を得て絞殺した。自分も包丁で自殺を図ったが死にきれなかった。
働いていたが介護にかかりきりで職を失った。デイサービスも受けさせ、生活資金は細っていく。介護と両立できる仕事や、生活保護を求めて行政の窓口を何度も訪ねたという。願いはかなわなかった。『困った事があったら連絡を』といってくれた親族には相談していない
「人に迷惑をかけるな」と父から言われて育った。公判では「人になにか頼むのはつらい」と述べている。お金が尽き最後の親孝行をと母を車椅子に乗せて古里の京都市内を巡った。
河川敷での会話「もう生きられへんねん。ここで終わりや」 「そうか、あかんか。いっしょやで。わしの子や」 「すまんな、すまんな」 先週京都地裁は事情を酌量して執行猶予付きの判決を言い渡した。裁判官は「介護に絡む悲しい事件がなぜ続くのか、裁判所も考えている」と言い添えた。生活保護の制度に血を通わす行政努力は十分になされているのだろうか。(平成23年の今でもこれに似たお話を目にします)

(最近(平成23年の今)眼にした記事の中に、【ケアマン】という記事がありました。男性の介護が増えたとありました。女性は強いです。男性は(わたくし)脆いです)でも最近腹を据えました。どんと来いの気構えと、脆い自分と同居です。友人が私の話を聞いてくれる、頷いてくれるだけで救われるのです。甘えではないと思います。(いつも想う言葉です)経験してみて人のつらさを(人のつらさ等は一等理解してはいましたが)勉強しました。
★今日(7月1日)は90代のおバーちゃんに午前、午後の二回寄り添いました。それが、できるようになりました。何故=?妻の病気で、学びました。

                       







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