(11月17日)私のお寺の、永代経法要のお参りに用意をしているときに、妹から電話で、娘が亡くなったとの電話が入る、心の隅には覚悟はしていたのだがいざ
訃報を受け取ると動揺したのである。2月から入院、手術の繰り返しでふっくらしていた体、顔もやせて食欲もなくなり8月には余命も3ヶ月とか聞いた。
姪には教えられる事が今になって思へば沢山ありました。それは遠く北九州までお墓参りをしていいたことです。
お墓で見るお花の枯れ方で姪のお参りを気付いていたのです。帰りには私の家にご仏壇参り、きっとお祖母ちゃんの後姿を見法話を聞きまた母も話して聞かせたのでしょうね。嫁入り先のお墓もよく夫婦でお参りしてきたと話してくれました。
お寺の法座にも連れたこともありました。いまからまだまだ色々な楽しみ、経険をしたかったことでしょう。早すぎた浄土への誕生でした。
2月にも一時危篤状態で夜半の連絡を受けたことなどあり、心の準備はしていたのです。仮通夜~本通夜、告別式、火葬場での別れ、その時の瞬間はいつ思い出しても無念、無常を感ずるのですね。いずれのその時を覚悟しなければ今からの人生は生きていけないのだろうと思います。
係りの人からただいまお骨になりましたの案内で対面するお骨に、この世の無常をいやと言うほど思い知るのです。
【御文章】の中の・
夫(それ)人間の浮生なる相を・つらつら観ずるにおおよそはかなきものは・この世の始中終(しちゅうじゅう。まぼろしのごとくなる一期なり、**************
朝には(あしたには紅顔あって・夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風ふきぬれば・すなわちふたつのまなこたちまちにとじ・ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔(こうがん)むなしく変じて・桃李(とうり)のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまって・なげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて・野外におくりて、夜半(よわ)のけむりとなしはてぬれば・ただ白骨のみのこれり、あわれというもなかなかおろかなり、されば人間のはかなきことは・老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば。たれの人も・はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて・念仏もうすべきものなり、あなかしこあなかしこ】
(御文章)より引用。まさしくいつも思いを持ち生きて行きたいと思うのである。
5年前には(甥)姉のひとり息子を見送り、今度は姪を見送る運命にこの世の
無常をひしひしと痛感します。火葬場の台の上にてお骨を壷に入れるときのあ~~~人の終わりを(浄土に生まれてはいるのだが)そして浄土に誕生したのだといつも自身に言い聞かせる葬儀である。
訃報を受け取ると動揺したのである。2月から入院、手術の繰り返しでふっくらしていた体、顔もやせて食欲もなくなり8月には余命も3ヶ月とか聞いた。
姪には教えられる事が今になって思へば沢山ありました。それは遠く北九州までお墓参りをしていいたことです。
お墓で見るお花の枯れ方で姪のお参りを気付いていたのです。帰りには私の家にご仏壇参り、きっとお祖母ちゃんの後姿を見法話を聞きまた母も話して聞かせたのでしょうね。嫁入り先のお墓もよく夫婦でお参りしてきたと話してくれました。
お寺の法座にも連れたこともありました。いまからまだまだ色々な楽しみ、経険をしたかったことでしょう。早すぎた浄土への誕生でした。
2月にも一時危篤状態で夜半の連絡を受けたことなどあり、心の準備はしていたのです。仮通夜~本通夜、告別式、火葬場での別れ、その時の瞬間はいつ思い出しても無念、無常を感ずるのですね。いずれのその時を覚悟しなければ今からの人生は生きていけないのだろうと思います。
係りの人からただいまお骨になりましたの案内で対面するお骨に、この世の無常をいやと言うほど思い知るのです。
【御文章】の中の・
夫(それ)人間の浮生なる相を・つらつら観ずるにおおよそはかなきものは・この世の始中終(しちゅうじゅう。まぼろしのごとくなる一期なり、**************
朝には(あしたには紅顔あって・夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風ふきぬれば・すなわちふたつのまなこたちまちにとじ・ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔(こうがん)むなしく変じて・桃李(とうり)のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまって・なげきかなしめども、さらにその甲斐あるべからず、さてしもあるべき事ならねばとて・野外におくりて、夜半(よわ)のけむりとなしはてぬれば・ただ白骨のみのこれり、あわれというもなかなかおろかなり、されば人間のはかなきことは・老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば。たれの人も・はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて・念仏もうすべきものなり、あなかしこあなかしこ】
(御文章)より引用。まさしくいつも思いを持ち生きて行きたいと思うのである。
5年前には(甥)姉のひとり息子を見送り、今度は姪を見送る運命にこの世の
無常をひしひしと痛感します。火葬場の台の上にてお骨を壷に入れるときのあ~~~人の終わりを(浄土に生まれてはいるのだが)そして浄土に誕生したのだといつも自身に言い聞かせる葬儀である。