2005年7月2日(土)=8年前の昨日。
恵みの慈雨
昨日から梅雨らしく雨が来た。やっと降ってくれた、人も、植物も、動物もやっと息がつけた。庭の片隅に植えたゴーヤが妻が数えたら9個なってるそうだ、この雨でぐんぐん大きく育つてくれるだろう
隣組長(防犯部)で今日で4回目の夜警で区内をパトロール、雨も小康状態で助かったがまだ雨が欲しい、明日も降ってくれるだろうか。
2013年7月3日(水)雨ところにより豪雨
妻もまだまだ、このころは元気だった。忘れ物ない楽しいころを思い出す。今年ですでに妻の病気も5年目になり、最近は日に日に病気の進行を見る。
2006年8月22日(火)
浅原才市さん
丹羽文雄著 「親鸞」より、
大正時代石州小浜の下駄屋の主人で才市なる男がいた。若い頃は博打もやったが田舎の若者に過ぎなかった。二十歳~五十歳までその間に・・・念仏聴聞を続けた。その後才市はノートブックに二十年間にわたり心の動きを克明に書くことになった。それが六十冊以上になった。
ようやく、いろはが書きうる知識であった。宗教的な感情が高潮してくると
才市は律動的な文学的表現をとらずに居られなかった。・・・・知的教養のない才市としては、詩の形態に表現された。 六十冊以上にも上る才市の
告白の中に、 「わしがねんぶつを、となえるじゃない。ねんぶつのほをからわしのところにあたる、ねんぶつ、なむあみだぶつ」
文庫本の3巻目-p.61
(文庫本の忘れられない所を抜書きしたところより写す)。
才市さんの住居は(島根県)山陰本線温泉津駅の温泉津町(ゆのつ)です。
山陰線で京都まで行って見たかったのを定年で(フルムーン切符で)実現した。特急=列車名は忘れたが、山陽線と大違いで、下関を過ぎて汽車弁当の注文を取りに来たと思う、悠長な旅だった。萩を過ぎいよいよ才一さんの住居の(温泉津駅)海を望む小さな駅を思い出す。そのうち、そのうちに一度、才一さんに会いに行きたいと思いながら、実現できなかった。妻が元気な頃出かけておくべきだった。今では二人での旅どころか、家族とも行けない。
(宿と家が混同してしまうのです)一度見てみたかった、有名な【餘部鉄橋】も写真を写す間もなく通過してしまった。こうして山陰線で京都までの夢を実現したのでした。京都には両親も大谷本廟に納骨しており、私ら夫婦も納骨を子供に頼んでいる。(いつでも会いに来てくれと)