日々雑感

日々の思いを書く

今年も元気で

2012-12-31 22:46:18 | Weblog
新年も二日目残る時間も30分で終わります。今年もいろいろな思いを書くでしょう。たのしいことを探して書きます。しかし、また愚痴にも発展していくかも?
ただ毎日の生活に明るい話題を見つけ、孫たちの100万ドルの笑顔を撮り妻と楽しく生きて行きたいと思います。このblogにお出での方々の皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。


新年を迎えるのに?

2012-12-30 20:28:31 | Weblog
明日一日を残すのみの年末ですね。ほんとうは今年は大掃除もパスしたくないのです。新年な生ってぼつぼつしようと思うのです。何でだろう昨日から出だした咳、膝の痛みは(改善せずゆっくりしよ。妻は妻で私を困らせる。疲れが蓄積してくる。また愚痴っぽくなってしまうが、本当に疲れる毎日です。経験されないと、まず無理だと思います。

残すところ三日。

2012-12-28 22:00:12 | 日記
今年も日々喜怒哀楽の激しい年だった。辛い事は忘れよう、楽しい事だけをさがして毎日を過ごそう。一日に平穏な楽しい時間が、出来事があっただろうか、孫や、ひ孫が来た時だけが心休まる時間だった。繰り言は言うまいと思うがまた来年もこんな日々だろうか。今年ほど年末の掃除や買い物にはもうどうでもいいやの気持ちです。これではいけないと思うけど気持ちは沈んでしまう。たのしい事。うれしい事を探して来年に期待したいと思うがどうだろう?。妻の沈んだ元気のない顔を見るたびに、この病気(認知症)を心から憎む。今日は天候の所為か、ひざの痛みが激しくなる。山登りに夢中だった、20代の頃、10月に亡くなった弟と九重登山の時の記念すべき一枚です。後方に見えるのが久住山です。ここは大船山~~~楽しい年代でした。


聴聞で

2012-12-24 13:58:21 | Weblog
(いのちは終わらない)     
                                                                              
「生きているのが辛いのです」、その少女は真っ直ぐな瞳で私に訴えかけました。[そうかい」とだけ答えた私に、彼女は自らの苦悩をありったけぶつけた後、「だから私はもう
死んでしまいたいのです」と、再び私に詰め寄りました。

ずっと頷いて聞いていた私は、「死にたいのは、エムちゃんの思いだろう。ちゃんと相談はしたのかい」。「誰に?」。「それはエムちゃんのいのちにだよ」。
「私のいのち?」私はエムちゃんの手をそっと握り、「暖かいね、この温もりはどこからやって来たのだろう。そしてどこへ往くのだろう。今迄エムちゃんを生かし続けてくれ
たこのいのちに、もう一度相談してからまたおいで」と、家路につく様勧めました。それから数日後、行き付けのお店には、元気に働いているエムちゃんの姿がありました。

(死は終わりなのか)

普段私達は、お母さんのお腹の中から生れ出て来た時に、自分のいのちは始まり、死をもって終わってしまうと考えながら生きています。ですから、人間は生きている内が
華とか、死んだらお仕舞という人が意外と多いのです。 でも人のいのちは、そんなにははかなく薄っぺらなものなのでしょうか。

(歩みを共に)

人は自分の知識や経験を基に、それぞれが自分の世界を作りながら生活をしています。言い換えれば、自分を超えた世界のはたらきには物凄く疎いのです。例えば人は墓前に
行くと必ず手を合わせます。しかし私の手を合わさせたはたらきについて、思いを巡らせる人は殆どいないでしょう。親鸞様は先にお浄土にお生まれになられた方は、仏様となって必ずこの世に還って来て、あなたの人生を歓び護って下さっているのですと教えてくださいました。

死は終りではありません。あなたにとって、何よりも大切で掛け替えのなかったあの人は、今あなたのいのちと一つになり、あなたの中に生き続けていらっしゃるのです。人生に疲れ果てた時には立ち止れば良い、そしてまた少しだけ歩んでみようと思ったならば、それはきっと、あなたを護りながら、、ともに歩もうという先だったあの人の願いの表れそのものなのですから。



妻の毎日

2012-12-20 21:32:46 | Weblog

昼間の妻は私が外出(買い物~用件)で長い時間の外出(3時間)で心細くなるのです。用件もそこそこに終わらせねばなりません。それも最近は学習できてきました。
趣味のデジカメ持参の撮影行の時間もとれなくなったのです。デイがせめて週に(2~3日)してくれれば、すこしは時間が出来るのですが、
(デイの増やしを話すと寂しそうな顔をするので)言えないのです。周りからは私の決断のみと言われるが、まだ決断できないのです)でも来年はそうなるだろう。
妻の起きたり、寝たりに耐えられずに昨夜も私は隣りの部屋に移動。勿論ドアは開放です。将来はパソコン部屋を改造してベットを移動しようと思っている。

時々妄想の話を私にするのです。お父さんこの家に何時までいるの、おられるの?、家賃はいくらなの。お父さん大変だろうね?子供たちはどこにいるの?ここはどこなの?
会社に行かないの?ほかいろいろです。気長に話して聞かせるのです。しかし疲れる対話である。ますますひどくなるんだろう。宝くじでも当たれば故郷(戸畑)に帰ろうと思うのです。家内も戸畑の事は忘れていないのです。時々思うことに(せめて15年でも若ければ、この家を処分してと思う)話をしながら、思うのです。(お墓も、お寺も)故郷戸畑にあるし、いつでも墓参り、お寺参りもできるのです。こんなことを書かせる妻を見ていると、抱きしめてやりたくなります。

年を取るって本当に寂しいものです。時々思うことに、博多にいる妹、ホームにいる姉、屋敷内に部屋を作り一緒の生活すると賑やかでいいだろうな?妻のためにも
なるだろうな?歩いて7~8分の所に家を立てた息子たち(二人)せめてもう少し広い屋敷だったら、同居じゃない別所帯がもてたのです。私の思いですが、
こんな社会になることがわかっていれば(50年先の今を見ていた政治家もいたでしょう)年寄りの一人社会、二人社会は少しは解決できていたでしょう。すべてに
言えるのです。50年先の世の中を見てもらいたい。終戦から67年、車社会(一軒に2台~3台)の車、誰が予想をしたでしょう。中学生時代に自転車ももてない
時代だった。家の中を見渡せばないものなしです。医学の進歩でまた食べ物で長生きしました。故に認知症などの酷な病気、昔は70才。80才の老人は見かけません
でした。私も家内も82才と83才です。うれしいような、悲しいような毎日です。このままいつまで生かされるんでしょうかね。命は尊いと言います。
一度限りの命で当たり前のことぐらいはまだまだ気持ちと脳は考えてはいます。故にいのちの重さ、尊さは。仏の慈悲で重々わかってはいます。然しですよ。、認知症の家族を抱えて大変だと思います。在宅介護が叫ばれているようです。認知症になっても我が家ほど休まるところはありません。本当に大丈夫でしょうか。ますます老老介護が重く
のしかかってくるのです。其れかと言って安価なホームはありません、あったとしても入れない現状です。テレビで見る、聞く僅かな年金では入れません。社会福祉ほど
難しい政治はないでしょう。北欧の国の様にバラ色の人生は来るでしょうか。その時のために、高齢者はその時を考えて僅かな蓄えに願生っているのです。明るい将来が
あれば、誰が我慢しますか。お金が使える楽しさが解らない人はいません。年寄りにお金を使っていただきたい、自衛手段でわずかな貯蓄をしているのです。無理な話だ
と私は思います。私と家内もいずれはお世話になる施設に入らねばなりません。話に聞くとなまじっかなお金では入れません。難しいことは解りませんが、どこの自治体
にも有り余るほどの建物を地震対策を施して使えるものは使う知恵を市民と協働で意見を出しあいましょう。(夢ですかね)

書き出すと次々にいろんなことが湧水の様に湧いてくるのです。〇どうしたんだろう?今夜の妻は21時過ぎに寝て、まだ一度も起きてきません。睡眠剤は飲ませました。
(いつもです)最近に見ない嬉しい夜です。(嬉しい夜だなんておかしですね)本当です。経験しないと絶対に理解できないでしょう。明日妻はデイサービスの日です。
今夜も目覚まし時計を枕元に置いて寝ます。私が目が覚めないと大変です。妻は今日の事は全然わからないのです。完全無欠だった頃の妻を寝顔に思い出します。
現役の交代勤務を良くぞ支えてくれたと思います。正月休みなんて無縁でした。残りの2年ほどの出向で正月ができました。それも30日まで仕事。3日からは仕事
なにかに付けては親会社のあり難さを経験しました。私は愛社精神が身に染みる年と恵まれた現役時代でした。北九州市八幡区のJRスペースワールド駅から見上げる製鉄
マンでないと理解できない誇らしげに天空に聳える八幡製鉄第一号高炉を見るのが楽しみです。愛社精神を持てる、誇れる社会を政治の力でお願いしたいと思います。