仏様の教えを聞く仏法を学ぶという事は、仏様のお知恵を学ぶという事であり、自分の都合でしか物事を見ていなかった視点が変わる物事を見る視点が変われば己が変わり、自ずから己が人生を変える事が出来るのである。
此処に四コマ漫画がある。一コマ目は魚を釣っている人がいる。二コマ目は魚を釣り上げたところ。三コマ目は今釣った魚を針から外し、元の川に逃がしたところ四コマ目は今さっき逃がしてもらった魚が、針の傷の手当てに病院に通っているところ、
実は私たちの眼は自分にとって都合の良い、三コマ目の良い事をしたと言うところまでしか見えない。四コマ目を見ないで、良い事をしたと思っている。
「朝やけ小やけだ、大漁だ。大ばいわしの、大漁だ、はまは祭りのようだけど、海のなかでは何万のいわしのとむらい、するだろう。の詩を創り、童謡詩人と呼ばれるが仏教詩人と言うべき金子みすずさんは、四コマ目が見えた人である。
幼いときから連れられてお寺に参り仏様のお慈悲とお知恵の視点を授かった人であった。
苦悩の有情の私達凡夫は、自分の都合でしか物を考えない。だから、自分にとって都合の良い人を友達と言い、もっと都合の良い人を親友と言う。
自分にとって都合の悪い人には、あの人は好かんと言う。子供に対しても、孫に対してもそう言う。お嫁さんの評価も、自分によくしてくれさえすれば良い嫁と言う。貧しい時代には、なにをしても親は喜んでくれたから、親孝行者に直ぐなれた。
今は親孝行というのも、なにをしたら良いのか良く分からない。今や、何をして欲しいか、互いに言った方が良いのかもしれない。みんなが自分の都合、自分の勝手でいるから、それが苦悩を生み、みんなを苦しめるのであろう。