象渡り日程表 象渡り説明板
象渡し説明板
1)佐渡川(揖斐川)
あらかじめ象船が用意されていましたが、川の水が比較的浅かったので、
象は気持ちよさそうに歩いて渡りました。
しかし、残りわずかなところで象は深みにはまってしまい、沈んでしまいました。
象は自力で這い上がり、なんとか渡りきることができました。
2)墨俣川(長良川)
水量が多く、佐渡川(揖斐川)のように歩いて渡ることができないので、
「象船」が用意されました。
しかし象は機嫌が悪くなかなか船に乗ろうとしませんでした。
足に綱を巻つけて、20人がかりで象を引っ張り船に乗せたものの、
渡りきったところで対岸の大勢の見物客の歓声に驚いて逃げ出してしまいました。
全力疾走した象は村の外れまで来て、ようやく捕えることができました。
3)小熊川(境川)
この川にも象船が用意されていましたが水が少なかったので
浅瀬を選び歩いて渡りました。
墨俣川(長良川)のような事件もなく4つの川の中で一番楽に
渡ることができました。
4)起川(木曽川)
今までの河川とは規模が異なり、墨俣川(長良川)の二の舞にならない様に、
細心の注意が払われました。 墨俣川(長良川)での経験を活かし、
象使いの「てんてんほんほん」の掛け声に合わせて象を船に乗せ、
落ち着いた象は川を無事に渡りました。
こうして、美濃街道(美濃路)最大の難所を越える事が出来ました。
船で木曽川を渡る像 起宿を歩く象
起宿を歩く象 象行列
*江戸時代の象! (尾西歴史民俗資料館内)
江戸時代の中頃、8代将軍「吉宗」は、象を大陸では軍用しているという話聞いて、
興味を示し、象を見てみたいと言いました。その事を知った清国(今の中国)の商人の、
「鄭太威」はベトナムから牡牝一頭ずつ合わせて2頭の象を連れて享保13年(1728)
に長崎にやって来ました。 牝象は長崎の「唐人屋敷」で死んでしまいましたが、
牡象は翌年3月13日に長崎を出発し、江戸までの長い旅が始まりました。
長崎街道・山陽道を通り、京都で天皇に拝謁しました。
その後、草津宿から中山道に入り、 垂井宿を経由で美濃街道(美濃路)に入りました。
木曽川を船で渡り「起宿」に到着したのは5月3日の事でした。
起の本陣敷地内あ「象小屋」が建てられ、そこに象が一泊しました。
翌4日、次の宿泊予定地である「清州宿」に向かいました。
象行列は象使いをはじめ30数人の役人村役人が同道した記述が、起宿にも残されています。
その後、象は5月25日に「江戸」に到着、将軍・吉宗にお目見えして、
その役目をは果たしました。