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茶の湯 徒然日記

茶の湯との出会いと軌跡、お稽古のこと

12の大切なもの

2013-04-19 11:27:30 | m-tamagoの物想い
 季節が変わる度、嬉しいこと悲しいことがある度に、母を意識し、いなくなっての6か月を、もう?と思ったり、まだ?と思ったりしています。でも、母が生前言っていた通り、日々の生活、娘の世話に追われて、悲しんでいる時間はない、のです。有難いことに忙しい日々は悲しみから遠ざけてくれます。
 先日、遠くの墓地に入っていた弟も母の元へ改葬し、大きな役割をひとつ終えて、ほっとしているところです。母が長く望んでいたこと、これで母も弟も寂しくないはず。改葬には弟の恩師や母の友人も立ち会って下さり、それぞれの想い出を語りあい、私の知らない二人の一面を伺うことができて、久しぶりに涙の一日となりました。

 人はいつか死ぬ、それはいつか分からない。弟が急にいなくなったときから、私の中にはそんな冷静な思いがあり、死んでも弟がいるところに行くだけだと思うと小学生の頃から死は決して怖いものではありませんでした。ですが、母を亡くしたことは、また、全く違った思いを体験するものでありました。弟の元に長くひとり占めした母を返したのだと納得すると同時に、本当に大切なものがなくなった、もう会えない絶望のような気持ちと、いままでそばにいて愛情をかけ、しっかり生きていくだけの力と自信を身につけさせてくれたことへの深い感謝。様々なものへの気持ち、見方が、母の死の前と後では違ってきました。子を持った今では、私もしっかり生き、娘をしっかりと育てなくてはと強く思います。これが私が与えてもらった愛情を返す先です。

 少し長くなりますが、以前、感じ入るものがあってとっておいた新聞記事をご紹介したいと思います。最近は、祖父母と別居していることもあってか、死に接する機会も少ないのでしょうが、若い頃から死についてもっと考えてもいいと思っています。
 私も40を超えて、母の死にも直面して、色々思うことの多い年齢となりました。


朝日新聞より引用  2008年4月18日 金曜日 ************

関西学院大「死の疑似体験」授業
21歳の「私」 重病 12の大切なものを次々手放し―

 若く、健康であれば自分の死について考えることなど、めったにないだろう。しかし最期に何が待っているかを知れば、今の生き方が違ってくる。そんな理念に基づく、関西学院大学(兵庫県)での死生学の参加型授業はユニークだ。教師の実体験に根差した試みである。(磯村健太郎)

 今年度の初授業。人間福祉学部の准教授、藤井美和さん(48)が約250人に語りかけた。「死生学は、死に近い人だけのものではありません。死も含めてどう生きるかを考える学問です」
 6月に「死の疑似体験」を行う。21歳の「私」が重病にかかり、死へ向かうという想定だ。過程をつづった日記があり、それに沿って「大切なもの」を次々とあきらめることになる。
 学生たちは、まず小さな紙12枚に、自分にとって「目に見える大切なもの」「大切な活動」「目に見えない大切なもの」を三つずつ、「大切な人」を3人書く。
 教室の照明が落とされ、日記が読み始められる。「2週間前くらいからずっと、胃のあたりが気持ち悪い・・・」。
 「私」は病院へ行く。食欲は落ち、がんだろうか、と悩む。深呼吸のあと、最初の3枚を選んで破る。手術後、さらに3枚。季節が変わって、また3枚。紙を破るのは、「元に戻らない」という意味がある。「今日がおそらく私が日記を書く最後の日になるだろう。いろいろあった私の人生・・・・」。2枚を破る。

 「最後に残った大切なものを手に持って、目を閉じて下さい」。間を置いて「さようなら」。いよいよ一番大切なものが書かれた紙を破る。静かな曲が流される。受講者は疑似体験とは思えないほど感情を日記に重ね、毎年、大勢が泣きだす。過去の授業で、一人の女性はこう書いた。
 「それはただ『母』という一文字が書いてあるだけの紙片なのに、握りしめずにはいられなかったし、なかなか破ることができなかった。『紙を破る』。ただそれだけなのに、私の頬には涙がつたい、その涙はとても冷たかった」
 重い障害のある男性は震える筆跡でこうつづった。「さずかった命、障害があってできないことをなげかず、とらわれず、今この時を正直に生きていこうと思った」
 最後に残るのは圧倒的に「母」が多い。大切なはずの「携帯電話」などのモノは、ほとんど前半で消える。授業を終えたあと、学生たちはどこか、これまでと世界が違って見えているかのようだ。

 藤井さんは「生と死は決して分断されたものではありません」と語る。彼女自身の体験に裏打ちされた言葉だ。
 新聞社に勤めていた28歳の時、3日で全身が動かなくなる病に襲われた。急性多発性根神経炎。そのまま死ぬ恐れがあった。まばたきさえできないが、意識ははっきりしている。涙や鼻水を流れるままにしながら脳裏に浮かぶのは、生きがいと思っていた仕事ではなかった。
 「私は何のために生きてきたのだろう!」
 何か人のために尽くしたことがあっただろうか。自分を愛してくれる家族に対しては?人間として美しく生きただろうか―。
 クリスチャンである藤井さんは、それまでの人生を丸ごと神に問われていると感じた。天国に持って行けるのは、あくせくして得たものではない。人を許し、人を愛する。そうした「たましいの中に蓄えられた豊かさ」こそ、自分の最期を平安にしてくれるのだと思い知らされた。
 一命はとりとめたが、翌日、「一生寝たきり」も覚悟するよう告げられた。今度は「生きる意味はあるのか」と自分に問う日が続いた。しかし、家族や病院のスタッフらから「あなたはそこにいるだけで貴い」というメッセージを受け取ることができた。

 3年のリハビリののち、会社を辞め、死生学研究が進む米国に留学した。「死の疑似体験」はその時に学んだ方法を日本流に改良したものだ。
 「大切なものをうまく手放すのが人生の課題だと知ってほしい。『奪われる』と思っては悲劇です。何一つ持たずに生まれてきたのだから、得たものは返さなければなりません。神様へ、宇宙や自然へ、あるいは愛する人たちの間へ・・・・。返す先を見つけることも大切です」

************************************

 私にとっての「目に見える大切なもの」「大切な活動」「目に見えない大切なもの」「大切な人」、書き出してみました。結構難しい。でも、一枚一枚破って、確実に残るのは、「大切な人」。この3人は誰一人破りたくない。
 20歳の頃と40歳を超えての死への感じ方は、独身と結婚出産という環境の違いも相まって、随分違います。母が言っていた通り、その年齢にならないと見えないことがまだまだ沢山あるのです。
 毎日過ごしていると、ちょっとしたことに不満を持ってしまいますが、全ては生まれた後に与えられたもの、今と、周囲の人を大切にして、感謝して生きていきたいと切に思います。

時代
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4 コメント

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迷って・・・ (春旦)
2013-05-03 17:00:28
むつかしい題を選ばれましたね…
このブログは毎朝・毎夕必ず開いてチェックしています
更新があれば、なるべく早めにコメントを・・・
ですがさすがにこの更新は、すぐにコメントできませんでした
何度も読み返してなんとコメントしようのそればかり
書き込みたいことはたくさんある
だが両親は健在で、一番身近な死を体験していないし、自分の死を目前に意識したこともない
禅の修業と一緒で悟りを開いていないものが、「無」をいくら説明しても魂には響かない・・・届かない
「疑似体験」の教育ですか・・・?
一つ間違えば危険な方向に行きかねないし、真剣に考えるのも大切なことのような気がします
書きたいことはたくさんあるのですが、まとまりません
返信する
ありがとう (m-tamago)
2013-05-15 22:06:27
春旦さん、いつもながらコメントをありがとうございます。
そして、今回難しい話題にもこうして正直なお気持ちをおよせ下さり、感謝です。
読んで下さる方がどう思うのか、知りたいと思って書きましたので、本当に嬉しかったです。

死ぬことを意識せずいられるのであれば何より幸せなこと。でも、死を身近に感じ、今の生を考え直すことができれば、更に大切に日々を過ごせるような気もします。
と思いつつ、日々流されしまう弱い自分から抜け出せてはいません。時折、立ち止り、自分が生かされている意味を考えながら進んだらいい人生が送れるかな。
深く考えすぎると生きること自体がつまらないものになったり、自分を追い込むことにもなるので、おっしゃる通り、難しい問題です。





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Unknown (hanasaku55)
2021-03-18 20:14:18
小さな感動は日々あるのですが、この記事は格別で、いつもそして何度でも読み返したい、心に沁みるお話でした。
死を意識することは、この年齢になっても、 とても怖くて 頭をよぎると無理やりその思いを振り払ってしまいます。
独りだったら、充分人生楽しんだ様に思うので満足なのですが、子どもの成長を見たい、子ども自身が家族を持って幸せになってくれて、安心してから死にたい、と欲が出てしまいます。 日々病気や事故や事件で亡くなる方、残された家族の方々を思うと、たまたま自分ではなかっただけなのだ、と申し訳ない気持ちと感謝の気持ちと半々になります。
m-tamago さんのもそうですが、お母様も とても素敵な方ですね。
「出来る時に人に親切にする」 尊敬する先生の言葉で似た言葉があって、「気前よく、できる範囲で」
生かしてもらっているのだから、一人でも多くの人に喜んでもらえる様な行いがしたいです。
深い投稿、ありがとうございました。
返信する
コメントありがとうございます (m-tamago)
2021-03-27 20:13:34
hanasaku55さん、古い記事にコメントをありがとうございます。

本当に、独りだったら死は怖くないけれど、大切な誰かがいたら欲が出ますね。私もそうです。

「気前よく、できる範囲で」
「出来る時にできる親切を人にする」という母の言葉と共に、心に留めておきます。
私も人に喜んでもらえるような行いをできるように生きていきたいと改めて思いました。
ありがとうございました。
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