今週の金曜日からある大学で、キャリアデザインの授業が始まります。
私が担当するのは、工学系の4つのコース、3回~8回の連続授業、延べ22コマ。
5月、6月に集中していて、7月上旬で終わります。結構考えるとタイトです。
その第1回目が来週になります。
テーマは 「社会を見る目を養う」
ウーン難しいですね。
教養のない人間が教養的な話をするのは骨がおれます。
講義をする材料をさがしていると、こんな本に出会いました。
「哲学がわかる!」白鳥晴彦著 の中にヘーゲル哲学を解説しています。
その中で「知」について
「・・・われわれは対象を直接的に知ると思っていますが、
実は、対象そのものではなく、自分の中に集積されてきた『知』を
見ているのです。
自分に『知』がなければ、どんなものが目の前にあっても
『このもの』と指示するしかない存在にとどまります。
けれども『知』という経験があるために、それが何であるのか、
どういうものであるのかが自分にわかるのです。」
まあ、私風に解釈すると、自分自身の学習による「知」が
ないと目の前に見えているものが理解できません。
「知」が増えるほど、
目の前のあるもの、現象についての本質に迫る
ことができるということなんでしょうね。
学生さんには、その辺の本当の「知」を積極的に学習によって身につけて
もらいたいし、そんなきっかけになるような授業をしたいと思っています。
材料探しをしているところです。
NHKの大河ドラマ、そろそろ秀吉の「中国大返し」になる。
これが材料にならないかと勉強中。
秀吉が主君織田信長の本能寺の変での死を知った後、
速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、明智光秀を討つため京に向けて
全軍を取って返す。
織田信長の死を素早く知り、毛利との和睦、京への全軍展開、
明智光秀との戦闘。
この判断はやはりいろいろな情報を入手し、決断したのだと思う。
この辺を少し面白くお話しして、いかに情報(知)が大切か、またそれを判断する
「知」が大事かということをエピソードとして紹介することを検討中。
人間自分で考えるというのは本当に大事ですね。
時間に、仕事に流され、本当に自分の「知」を育むことができてないなと
反省しきりです。
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