中国大返し(ちゅうごくおおがえし)
ご存知のように、備中高松城の戦いをしていた羽柴秀吉が
織田信長の本能寺の変での知った後、速やかに毛利氏との講和を取りまとめ、
仇明智光秀を討つため京に向けて全軍を移動させた。
高松城(岡山県岡山市北区)から山城山崎(京都)までの約200 kmを
移動し、明智光秀を撃破した。
これで豊臣秀吉の天下になる、きっかけです。
この辺はよくドラマにもなるし、有名な場面なので皆さんご存知のところです。
時系列にすると
6月1日深夜(あるいは2日未明) 本能寺の変により信長横死
6月3日夜 秀吉本能寺の変を知る
6月4日 高松城主清水宗治ら切腹
6月6日 秀吉陣を払い退却
6月7日 秀吉姫路城に帰城
6月8日 秀吉姫路城を出発
6月13日 摂津・山城国境の山崎で明智軍と決戦。
この秀吉の中国大返しでの秀吉の軍勢は約2万人と言われる
2万人がこの移動凄いですね。
NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」でこの「本能寺の変」あたりは
ネット情報では7月頃の放送になるのではという噂が
あるようです。
いずれにせよ、この辺の歴史は面白いですね。
織田信長、豊臣秀吉と凄い人物だと思います。