4月にお話した癌の叔父の具合がいよいよ悪くなり
見舞いに行って来ました。
暫く連絡が無いのを不審に思った母が家を訪ねた時、
叔父は餓死寸前の状態で、慌てて救急車で病院に運ばれ
そのまま入院になりました。
今は点滴での栄養で何とか一命を取りとめたものの、
余命いくばくもない状態です。
叔父は高校生と中学生の従兄弟2人と暮らしていますが、従兄弟達はろくな看護もせず、
叔父が食欲不振で自力で食べられず餓死寸前になるまで、こんな状態とは思いもせずに
気楽に暮らしていたのです。
夜遊びしたり、外泊したり。入院してもバイトを理由に見舞いにも来ませんでした。
けれど親子の仲が悪い訳では無いのです。
ここまで酷くなる前に救いを求めなかった叔父の強がりと、
現実の病状をキチンと把握しようとしなかった
従兄弟達の甘さが原因なのです。
余命三ヶ月が手術をしたから1年は大丈夫・・・と
従兄弟達は安易に考えていたのでしょう。
”その日”が来るのはまだまだ先の事だと。
1年とは、あくまでも頑張って病気と闘い、周りの看病があってこそなのです。
手術後、自宅に戻った叔父は、それまで通り、
「自分の食べるものは各自自分で用意する」と言う生活に戻りました。
料理をする人間の居ない家庭だったので、それぞれ外食してました。
時々母が気にかけて料理を作って届けたりもしましたし、自炊する事を勧めたりもしましたが、それはその家その家の暮らし方の問題なので・・・
もしも、従兄弟のどちらかが、ほんの少しでも気にかけて父親の食事の世話をしていれば・・・・
従兄弟達の母親が亡くなったのは、彼等がまだ幼い頃でした。
祖父が亡くなった時も物心ついて無かったかも知れません。
「死ぬ」と言う事の悲しさを本当の意味で理解して無かったのかも知れません。
思い余った香が泣きながら
「どうしてキチンと世話してあげなかったの!?
何の為に手術して無理やり寿命を延ばしたの!?
頑張れば1年は生きられた筈なのに!
家に帰らなかったり、病院にも来なかったり、
あと何回お父さんに会えて、あと何回お父さんと話が出来るのか考えてないの?
もしかしたら、明日には会えないかも知れないのに。
そして二度と会えないんだよ」
そう言ったら初めて事の深刻さを悟ったみたいで号泣してました。
悲しくてやり切れない気持ちでイッパイでした。
見舞いに行って来ました。
暫く連絡が無いのを不審に思った母が家を訪ねた時、
叔父は餓死寸前の状態で、慌てて救急車で病院に運ばれ
そのまま入院になりました。
今は点滴での栄養で何とか一命を取りとめたものの、
余命いくばくもない状態です。
叔父は高校生と中学生の従兄弟2人と暮らしていますが、従兄弟達はろくな看護もせず、
叔父が食欲不振で自力で食べられず餓死寸前になるまで、こんな状態とは思いもせずに
気楽に暮らしていたのです。
夜遊びしたり、外泊したり。入院してもバイトを理由に見舞いにも来ませんでした。
けれど親子の仲が悪い訳では無いのです。
ここまで酷くなる前に救いを求めなかった叔父の強がりと、
現実の病状をキチンと把握しようとしなかった
従兄弟達の甘さが原因なのです。
余命三ヶ月が手術をしたから1年は大丈夫・・・と
従兄弟達は安易に考えていたのでしょう。
”その日”が来るのはまだまだ先の事だと。
1年とは、あくまでも頑張って病気と闘い、周りの看病があってこそなのです。
手術後、自宅に戻った叔父は、それまで通り、
「自分の食べるものは各自自分で用意する」と言う生活に戻りました。
料理をする人間の居ない家庭だったので、それぞれ外食してました。
時々母が気にかけて料理を作って届けたりもしましたし、自炊する事を勧めたりもしましたが、それはその家その家の暮らし方の問題なので・・・
もしも、従兄弟のどちらかが、ほんの少しでも気にかけて父親の食事の世話をしていれば・・・・
従兄弟達の母親が亡くなったのは、彼等がまだ幼い頃でした。
祖父が亡くなった時も物心ついて無かったかも知れません。
「死ぬ」と言う事の悲しさを本当の意味で理解して無かったのかも知れません。
思い余った香が泣きながら
「どうしてキチンと世話してあげなかったの!?
何の為に手術して無理やり寿命を延ばしたの!?
頑張れば1年は生きられた筈なのに!
家に帰らなかったり、病院にも来なかったり、
あと何回お父さんに会えて、あと何回お父さんと話が出来るのか考えてないの?
もしかしたら、明日には会えないかも知れないのに。
そして二度と会えないんだよ」
そう言ったら初めて事の深刻さを悟ったみたいで号泣してました。
悲しくてやり切れない気持ちでイッパイでした。