短大では、授業の最後に各自振り返りの作文を書いてもらうことがあります。
どんなことが心に残ったか、
これからこの授業の内容をどのように活かしていきたいか等、
自由に書いてもらっています。
今年の学生にはいないのですが
例年、不思議な文字の崩れ方をする学生がいます。
きたない文字、というのとは違う
崩れた文字なのです。
そしてそういった文字を書く学生の中には
いわゆる「発達障害」を疑うような人もいることがあります。
たとえば段取りをつけられない、
どんなに具体的に注意をしても
お辞儀の修正ができない(注意をされても姿勢の改善ができない)。
不器用という一言では片づけられないような様子なのです。
そしてそんな学生は
決して不真面目なのではなく、
むしろ真面目で一生懸命取り組むんでいます。
私の授業は、参加態度も点数に入れているので
きちんと出席して、できないなりにも頑張っていれば
とりあえず落とすことはありません。
ただこの学生たちが社会にでていったとき
どうなってしまうのかな、
この学生の真面目さをしっかりとみてくれるところだといいのだけれど・・・と
心配になることもあります。
ひとつずつ具体的に、
できるだけ曖昧な表現をさけて伝えれば
少しずつではあるけれどできるようにはなります。
伝わらないから、できないから、で排除するのではなく
伝わるように、できるようにこちら側も努力をする、
これからはそんな態度が大切になってくるのではないでしょうか。
どんなことが心に残ったか、
これからこの授業の内容をどのように活かしていきたいか等、
自由に書いてもらっています。
今年の学生にはいないのですが
例年、不思議な文字の崩れ方をする学生がいます。
きたない文字、というのとは違う
崩れた文字なのです。
そしてそういった文字を書く学生の中には
いわゆる「発達障害」を疑うような人もいることがあります。
たとえば段取りをつけられない、
どんなに具体的に注意をしても
お辞儀の修正ができない(注意をされても姿勢の改善ができない)。
不器用という一言では片づけられないような様子なのです。
そしてそんな学生は
決して不真面目なのではなく、
むしろ真面目で一生懸命取り組むんでいます。
私の授業は、参加態度も点数に入れているので
きちんと出席して、できないなりにも頑張っていれば
とりあえず落とすことはありません。
ただこの学生たちが社会にでていったとき
どうなってしまうのかな、
この学生の真面目さをしっかりとみてくれるところだといいのだけれど・・・と
心配になることもあります。
ひとつずつ具体的に、
できるだけ曖昧な表現をさけて伝えれば
少しずつではあるけれどできるようにはなります。
伝わらないから、できないから、で排除するのではなく
伝わるように、できるようにこちら側も努力をする、
これからはそんな態度が大切になってくるのではないでしょうか。