Wind of Mind

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フォーク編:因幡晃「わかって下さい」

2006年10月01日 | 邦楽のルーツ
私の音楽のルーツ。
高校時代に影響を受けたアーティストがまだ2人いました。(苦笑)
まず1人目はこの人、因幡晃。

因幡晃といえば「わかって下さい」。「わかって下さい」といえば因幡晃というぐらいの代名詞的な曲だと思います。

1975年ヤマハのポプコンで最優秀賞受賞。翌76年デビュー。
その後多くなる地場中心型フォークシンガーのはしり的存在だったと思います。
ちょうど私は高校生でその独特の高音と節回しにあこがれ、自作の曲にも影響を受けたものです。
あとで、民謡をやっていたと聴いて納得しました。

その次の「別涙(わかれ)」もマイナーからメジャーに移行する前奏のコード進行が洒落ていて、前作に迫るセンチメンタリズムとさびの盛り上がり。
そして因幡晃ならではの歌唱法を生かしたエンディング。
この2曲はフォークのスタンダードでしょうね。
しかし、この後「都忘れ」以降はあまりヒットに恵まれなかったと思います。

そういえば、フランス語の「わかって下さい」というのもあって、以外にあっているので驚いた記憶があります。彼や五輪真弓の曲はフレンチ・ポップスやシャンソンに合っているようです。
そのためフォーク路線からは少し方向転換したのかなと私には思われました。それが結果的には良かったのでしょう。その後も活動を続け、昨年デビュー30周年を迎えたようです。

最近もコンサート活動を中心に活躍中。
1度、ライヴを見たいアーティストの一人です。

フォーク編:さだまさし4(関白宣言騒動~印象派)

2006年09月06日 | 邦楽のルーツ
アルバム「夢供養」を発表した1979年はシングルでは「関白宣言」、「親父の一番長い日」など話題作も多く、すっかりお茶の間の人気者になってしまいました。が、とくに「関白宣言」はその内容を批判する声もありました。
しかし、「関白宣言」は大晦日の紅白歌合戦の1人の持ち時間3分という枠を始めて破り話題を集めました。これは快挙でした!

80年に「印象派」(写真)発表。ここぐらいまでが、私的さだまさしの世界かな。
このアルバムは結構良く聴きましたが「距離(ディスタンス)」「検察側の証人」「聖野菜祭(セント・ヴェジタブル・ディ)「推理小説(ミステリー)」「0-15(ラヴ・フィフティーン)」など前作に比べるとちょっと物足りない気がします。
しかし、「検察側の証人」のイントロのギターを覚えたくてテープを何回も何回も聴いて遂にマスター!出来たときは嬉しかったのに、忘れるのはあっという間です。(苦笑)
この曲のような詩の構成も好きでした。

また、79年、80年と札幌でコンサートにも行きました。
札幌のジーンズショップからミッキーマウスのキャップをかぶって出てくるさださんらしき人を見かけましたが、本人だったのでしょうか。。。
コンサートの話はまた後日触れたいと思います。

それにしても、これから後がまた色々な作品を出してるんですね~
やはり映画「長江」の借金返済のために頑張ったんでしょうね~それにしてもすごい数です。まだまだまさしんぐワールドは続きます。

フォーク編:さだまさし3(帰去来、夢供養)

2006年09月04日 | 邦楽のルーツ
さて、大学に入りようやくファースト「帰去来」を聴いたと思います。
ジャケットのイメージや2枚目3枚目がよかったこともあり、1枚目は大したことないと勝手に思い込んでいた結果、聴くのが遅くなりました。

聴いてみてビックリ!
多情仏心から始まる叙情的でちょっとお洒落で、それでいて素朴な世界がそこにはありました。
2枚目3枚目に比べてまだあか抜けていない分、私は好きな曲が多く「線香花火」「異邦人」「夕凪」「童話作家」「絵はがき坂」「胡桃の日」と私的名曲がずらり!
だんだんポップになっていく傾向があっただけに逆に新鮮でした。後から聴いてよかったのかもしれません。

特に「夕凪」と「胡桃の日」は好きで、コンサートでの「胡桃の日」のマリンバは最高の盛り上がりを見せ圧巻でした。
ジャケットも良く観るとセピアカラーでさださんの人柄が良く表われていて、次の2枚より良い感じだったと思います。

79年、「夢供養」(×写真)発表。
「帰去来」の導入部を思い出させるような「唐八景」-序で始まるこのアルバムは、前3作に比べるとシングルが少ない分少し地味な感じがします。
「風の篝火」「パンプキンパイとシナモンティ」「まほろば」といったところが思い浮かんできます。この頃、私は大学二年目。グリークラブで伸び悩んでいた時期でもありました。



フォーク編:さだまさし2「私花集」(アンソロジー)

2006年09月03日 | 邦楽のルーツ
78年3月にアルバム「私花集(アンソロジー)」(写真)が発表されます。
前作にも増して少女趣味のジャケットがまたしても気になります。(苦笑)

しかし、曲は名曲ぞろいで、この中では「最後の頁」「檸檬」「魔法使いの弟子」「フェリー埠頭」「秋桜」「加速度」といったところがお気に入り。
しかし、他も「天文学者になればよかった」「案山子」「主人公」といい曲が揃っています。

特に「主人公」はファンの間では人気が高い曲だそうです。
この辺になると、私も曲作りにかなり影響を受けてきます。
曲だけでなく歌詩も「魔法使いの弟子」にはかなりインスパイアされました。(苦笑)
自作の曲で明らかにパクリという曲がありますが、童話のような曲をどうしても作ってみたかったのです。

そして「フェリー埠頭」のセンチメンタリズムはさださん独特の繊細なもので、こんな詩が書けるようになりたいと、いまだに思っています。
やはり、詩がいいと曲は自然に付くものなのだと思います。

いい詩はいいメロディ、リズムを生まれながらにしてすでに持っているというのが私の持論です。
それを自然な形で引き出せるかどうか、それが、アーティストとしての腕の見せ所なんだと思います。

フォーク編:さだまさし1(精霊流し~雨やどり)

2006年09月01日 | 邦楽のルーツ
おはようございます。今日から9月ですね~
みなさんいつも来ていただいて、そしてコメントありがとうございます。
こちらはもう秋の陽射しです。日中はまだ暑いですが。。。
風も涼しくなりました。

ということで?
久々にフォーク編です!

私がさださんの曲を初めて聞いたのはやはりグレープ時代の大ヒット曲「精霊流し」、中学3年生の時でした。

この曲はすごく好きでしたが、やはりグレープの「無縁坂」、「縁切寺」等の影響もあり暗いイメージがあり、とくにグレープのLPを買ってまで聴きたいとまでは思いませんでした。そんな中でも「朝刊」はとても明るい曲で好感が持てました。
高校に入り、音楽部にはいった頃ソロになったさださんの「雨やどり」がヒットしていて音楽部の女性陣を中心にとても人気がありました。

私は「雨やどり」は単なるおもしろ系の曲と思いあまり興味がありませんでした。
しかし、アルバム「風見鶏」(写真)がでて、さだファンの後輩から良いから聴いてみたらと言われ、ちょっと少女趣味のジャケットに戸惑いながら聴いてみますと、これが本当によかったんです。

風見鶏の中では「つゆのあとさき」「飛梅」「きみのふるさと」「セロ弾きのゴーシュ」「もうひとつの雨やどり」「晩鐘」といったところが私のお気に入り。

この中の「もうひとつの雨やどり」は私のような「雨やどり」を聴いて勘違いしている人のためのアンサーソング。この曲を聴いてはじめて「雨やどり」が単なる面白いだけの曲でないことが解りました。さださんは「雨やどり」だけでさだまさしを判断されることを心配したのです。もうひとりの心配性、とさださん本人が解説していたように思います。

そのほかの曲もさださん独特の詩とメロディの世界で特に「つゆのあとさき」は音楽部では人気が高く私も好きでした。しかし、キーが高いので高校生ではなかなか歌いこなせる代物ではありませんでした。

それから、このアルバムではさださんの憧れのジミー・ハスケルがストリングスアレンジを手がけています。
さださんはサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」のストリングスに魅せられいつか自分の作品に起用したいと思っていたのでした。そのストリングスを担当していたのがジミー・ハスケル。
さださんの願いが叶った1枚でもあります。

フォーク編:ふきのとう2(人生・春・横断)

2006年07月03日 | 邦楽のルーツ
私の好きな曲は「白い冬」「初夏」「南風の頃」「やさしさとして想い出として」「水車(みずぐるま)」「雨ふり道玄坂」「五色のテープ」「雨はやさしいオルゴール」「思い出通り雨」「春雷」「赤い傘」「淡雪」「青空」などで、素朴で親しみやすいメロディーが心地よく穏やかな気持ちになれます。
写真は 「人生・春・横断」(79年)「011」(83年)です。
「人生・春・横断」からは春雷が久々の大ヒット。
このアルバムには「赤い傘」「淡雪」「青空」といった、初期のふきのとうを思わせる叙情的な曲が多く中後期の名盤だと思います。
デビューから6年、ジャケットの2人の表情の変化も楽しめます。
「011」はデビューして10年が経ち、11年目を迎えた二人が「原点」である札幌に戻りスタジオライヴのような感じでレコーディングした11枚目のスタジオ録音のアルバムで、ふきのとうのステージの音に近い録音となっています。タイトルの「011」は札幌の市外局番でもあります。

彼らの活動はやはりライヴが中心で、1978年には年間250本のコンサートを行ったそうです。多分、この年だったと思いますが、私は函館でコンサートに行っています。その話はまた後日ということで。。。
ふきのとうは、なぜか沖縄で人気が高く「ここは沖縄」という沖縄限定シングルを1978年に発売しています。それは、この年沖縄においてすべてのシングルが有線リクエストで1位になり、その感謝の意を込めて作ったシングルでした。
そんな彼らも、1992年5月8日の北海道札幌厚生年金会館でのコンサートを最後に18年間続いた「ふきのとう」を解散。
現在山木さんはライヴハウス中心の活動、細坪さんはユニットを組むなど活動を続けています。

フォーク編:ふきのとう1(白い冬)

2006年07月02日 | 邦楽のルーツ
中学のときロックに傾倒する一方で陽水、かぐや姫についで気になるフォークグループがデビューしました。
それが北海道出身のフォークデュオ「ふきのとう」(山木康世さんと細坪基佳さん)です。このグループにも触れないわけにはいきません。
北海道ではデビュー曲の「白い冬」などかなりメジャーなグループだと思います。
といっても、今の若い人は判らないかもしれませんが(苦笑)
デビューは73年ですから、私は中学2年、「白い冬」を初めて聞いたときの衝撃は今でもはっきり憶えています。
ふきのとうの魅力はなんと言っても細坪さんの透明感のある甘く切ないボーカルと山木さんとのハーモニーですね。
山木さんの素朴な曲とギターには細坪さんの声がよく似合っていました。
同じ北海道出身で親しみやすい素朴な曲が多いということもあり、とても身近な存在でありました。
最近、細坪さんは元オフ・コースの鈴木康博さんハイファイセットの山本潤子さんとユニットを組んで活動をしているようです。


フォーク編:かぐや姫(2)フォーエバー

2006年06月03日 | 邦楽のルーツ
余談ですが、昔から私は「かぐや姫」のメンバーのポジションというかグループの中での位置が、大胆にもビートルズに似ていると思っていました。
それは正やん=ジョージ。ギタリストで寡黙でかっこよく、グループの歴史に残る名曲を何曲か残す。正やん(22才の別れ、なごり雪、アビーロードの街等)、ジョージ(ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイープス、ヒア・カムズ・ザ・サン、サムシング等)山田パンダ=リンゴ。ウッドベース、ドラマーと縁の下の力持ち的存在。優しそうな雰囲気で鼻声で歌はいまいち(苦笑)
そして、こうせつはグループの中心的存在で、ジョンとポールを併せて2で割った感じ。でも、ジョンが強いかな。鋭い声の感じ、ヒットメーカーとしての才能。ただルックスは。。。なんてことを考えては一人で楽しんでおりました。まあ、こうせつはかなり苦しいですが、すいません。私の勝手な仮説です。(苦笑)。
1975年、「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート イン つま恋」を最後に解散しますが、ちょうど、私が大学に入った頃に、再結成してアルバムを出します。
これ私、大学の生協の懸賞かなんかで当たっちゃうんですよね。「かぐや姫・今日(Today)」(写真)でしたかね~嬉しかったな~
この前テレビでこうせつが、あのつま恋コンサートで壊したギルドのギターが修復されたと言って見せていました。ギターを壊しちゃいかんとコメント(苦笑)直すのに30年懸かった!?
そして、今年、9月にまた拓郎とつま恋でのコンサートが開催されます。
すでにチケットは手に入らないとか。拓郎の人気も相変らずすごい。
この2大アーティストに拍手!そして、かぐや姫フォーエバー

フォーク編:かぐや姫(1)

2006年06月02日 | 邦楽のルーツ
さて、中学校に入りロックを聴きまくる一方、フォークでも気になる曲がありました。
それが、かぐや姫の「神田川」です。
記憶にあるのは、教室で弾き語りをしている奴がいたんです。そのときは歌詞がよく聞き取れなかったのですが、ちょっといい曲だなあと思いました。
その後、「神田川」は大ヒット。南こうせつの素朴で温かみのある声が好きでした。
陽水にも「あどけない君のしぐさ」のように4畳半フォークのようなものはありましたが、また違う暗い世界でした。二人で行った横丁の風呂屋なんて歌詞は今まで聞いたことがなかった。(苦笑)
猫も杓子も弾き語りをするようになったのもこの頃からでしょうか?
私も、類に漏れず。。。まあ、陽水の影響で少し前からやってはいましたが。。。この曲は弾き語りがし易かったのです。その後の「赤ちょうちん」は必死になって練習しましたね~スリーフィンガーをこの曲で何とかマスター。でも、普通のスリーフィンガーと違って難しかった。
かぐや姫は中学後半から高校にかけてよく聞きました。
ざっと思い浮かべただけでも「神田川」「赤ちょうちん」「僕の胸でおやすみ」「加茂の流れに」「アビーロードの街」「妹」「ペテン師」「置手紙」「あの人の手紙」「僕のお父さん」「星降る夜」「22才の別れ」「なごり雪」。。。正やんの名曲も多いな~(苦笑)
アルバムでは「かぐや姫さあど」「三階建ての詩」「かぐや姫LIVE」が好きですね~。特に「かぐや姫LIVE」はすばらしいLIVEだと思います。ベスト版ともいえる選曲で全ての曲がすばらしい出来ですが、特に好きなのは「置手紙」。曲の合間のこうせつのちょっとしたお話も鼻歌も楽しいし小曲「海」もいい、そしてここでの「妹」は完璧。この曲は何度もコピーしようとして挫折した曲でした。
ところで「星空」って、かぐや姫ではやってませんかね。なんか聴いたことがあるような気がしていたんですが、風のレコードは聴いてないはずなんですが。。。あ、カセットかな!?

フォーク編:井上陽水(エピローグ)

2006年05月21日 | 邦楽のルーツ
陽水のエピソードを、ひとつ思い出しました。
いつのラジオ番組だったか忘れましたが、陽水との対談で甲斐よしひろ(だったと思います)が、こんな話をしていました。
陽水がまだ若い頃、甲斐が、どこかの道端?で陽水に会ったことがあるそうなんですが、その時に、何か1曲やってくれと頼んだそうです。
多分甲斐自身まだアマチュア?
要するに陽水がファンに頼まれたという感じなんでしょうね。
そうしたら、陽水は何もいわずにしゃがみこみ、持っていたギターの弦を張り替え始めたそうです。
たった1曲のために、しかも道端で見知らぬファンから頼まれただけなんですよ!
「その時、俺は負けたと思った。まさに陽水はプロだと思ったね」と甲斐。
陽水は照れくさそうに「覚えてないな~」と笑っていたような気がします。

この話を聞いたときちょっと鳥肌が立ちました。
そして、また、陽水が好きになりました。

※この話の内容について、細かい部分は私の記憶が定かではありませんのでご了承ください。

フォーク編:井上陽水(フォー・ライフ~)

2006年05月21日 | 邦楽のルーツ
さて、私の音楽のルーツ、陽水の話も今日でおしまいです。
その後の「二色の独楽」からはあまり聞いてないんですよね~、一番勢いがあった時代なんでしょうが、なんか、妙に洗練されたという感じで。。。大麻事件などもあり。。。「なぜか上海」など意味不明の曲を出すようになり、その頃ラジオでセンチメンタリズムが美しいと思えなくなった。というようなことを言っていた記憶があります。ああ、そうなんだ、もう昔のような陽水の曲は聴けないんだと寂しく思った覚えがあります。しかし、その後、陽水のバックバンドだった安全地帯が大ブレイク。これには、もちろん陽水自身が歌詞を提供した「ワインレッドの心」の大ヒットによるところが大きかったのですが、これが、陽水の眠っていたセンチメンタリズムに火をつけたのか昔のような叙情的な歌が戻ってきます。「恋の予感」「飾りじゃないのよ涙は」「いっそセレナーデ」「ダンスはうまく踊れない」私の好きな「新しいラプソディ」。また、ボーカルの玉置浩二とコンサートをするようになり「夏の終わりのハーモニー」「帰れない二人」が大ヒット!など、この辺が第2次陽水ブームと呼ばれているようです。「夏の終わりのハーモニー」東京にいる頃よく歌いましたね~メロディ、ハモリどっちもOKです。あ、スイマセン話を戻します
その後、「ニューヨーク恋物語」の主題歌「リバーサイドホテル」、セフィーロのCMで「お元気ですか~」を流行らせ90年代に入ると「少年時代」が大ヒット!これは陽水らしいいい曲でした。
さらに、「Make-up Shadow」、PUFFYの「アジアの純真」は奥田民生との共作、同じく奥田との「ありがとう」がヒット。
今年、サントリーオールドのCMソングにもなった「新しい恋」をリリース、より円熟味を増した温かみのあるいい曲に仕上がっていると思います。
陽水健在は我々の世代にとっても元気の基なんです。

フォーク編:井上陽水(氷の世界・断絶)

2006年05月20日 | 邦楽のルーツ
大ヒットアルバム「氷の世界」に行く前に...「センチメンタル」に陽水の手書きの歌詞カードと一緒にメッセージ文が掲載されていたと思います。
その中で、印象に残っているのは「僕は不器用なので、結婚式で指輪の交換なんかすると、緊張して指輪を落としてしまってその指輪を探しているうちに結婚式が終わってしまうんじゃないかと真剣に考えることがある」というような一節があったような気がします。
ちょっと記憶違いかもしれませんが、当時、意外で、こんなことを書く陽水がとても身近に感じたものです。
「氷の世界」は大ヒットした「心もよう」よりも、オープニングの「あかずの踏み切り」から「はじまり」そして「帰れない二人」へと続く構成が私的に圧巻!
この辺が陽水の第一次ピークだと思います。
私的に好きなのは「帰れない二人」「チエちゃん」「待ちぼうけ」「Fun」かな。
全体的に「センチメンタル」よりも洗練されている印象を受けるのは、海外でのレコーディング、外国人アーティストの起用などが影響していると思われます。
そして、元々ロックっほい感性を持っていた陽水がその色を出し始めたアルバムでもあるのではないかと思います。最初の三曲はビートルズの影響も感じられるような構成で、さらに、当時同じ事務所だったRCサクセションの忌野清志郎との共作「帰れない二人」「待ちぼうけ」はこのアルバムで重要な位置を占めていると思います。いずれにしても、すばらしいアルバムですね。

陽水としてのデビュー作「断絶」は私は後から聴きます。
地味ながら、いい曲が揃っていて好きなアルバムです。
「人生が二度あれば」「愛は君」「限りない欲望」「断絶」そして「傘がない」。
まだ初々しい、感情むき出しで歌う陽水がここにいます。
「断絶」「センチメンタル」「氷の世界」この三部作が私にとっての陽水の全てといっても過言ではありません。
後に、陽水自身が好きなのは「白い船」だという話を聞いて、作者にしかわからない評価?確かにいい曲ですが、聴く方と作る方の感覚の違いを感じました。

あ、それから忘れてはいけないのが星勝さんの存在!陽水には欠かせない存在ですね。
そして、陽水は拓郎、泉谷、小室と中心になってフォーライフ・レコードへと時代は進んでいきます。

フォーク編:井上陽水(センチメンタル)

2006年05月19日 | 邦楽のルーツ
さて、いよいよ陽水です!
私が陽水をはじめて聴いたのは、中学1年生の時だったと思います。
友達からいいから聴いてみたらといわれ、ラジオから流れてくる陽水の曲を心待ちにしていました。
最初に聴いたのは「東へ西へ」だったと思います。
日常的な歌詞に少しビックリ、メロディも面白いと思いましたが自分の好きな感じとは少し違いました。でもインパクトは強かったですね~
私の中の陽水の地位を不動にしたのは、やはり陽水Ⅱ「センチメンタル」です。
友達からレコードを借りて聴きました。
最初のなんか不思議な音楽、これは後でオーケストラの音合わせのときの音だとわかるのですが、私のような素人にはプロローグとして十分効果的でした。
そして間髪をいれずにアルペジオの前奏、名曲「冷たい部屋の世界地図」です。
この1曲で私は陽水の世界に引き込まれました。
この曲と「能古島の片思い」は、高校生の時に学園祭で後輩と2人でステージで歌い、私にとって忘れられない曲になりました。他の曲も、前奏を一生懸命練習したシンプルな「あどけない君のしぐさ」前述の「東へ西へ」これも基本になるようなギターストロークでした、じりじりした暑さが伝わってくる「かんかん照り」、優しい詞とメロディの「白いカーネーション」、なぜか寒々とした函館の夜のバスを思い出させる「夜のバス」、シュールな?感じの「神無月にかこまれて」これも前奏はフォークギターのお手本のようなものでした。夏祭りのなぜか感傷的な部分が繊細に歌われた「夏祭り」、坦々とした感じの「紙飛行機」、そしてここでけだるい感じの「たいくつ」、思いを込めた「能古島の。。。」、最後は意外にあっさりした「帰郷」、初めて聴いた時拍子抜けしたというか、もうどうしようもない悲しみを表現するとこうなるのかと、その悲しみの大きさを理解するのに色々考えさせられました。
私は陽水の初期しか語れませんが、この「センチメンタル」とファースト「断絶」ライヴを挟んで「氷の世界」までが、今の陽水の土台になっていることは間違いないのではないかと思っています。
「センチメンタル」は私のフォークの教科書のようなものです。全ての曲のギターを練習して歌いましたね~今でも全曲歌えます。ギターはちょっと忘れてますね。もう30何年も前の話ですから(苦笑)「氷の世界」「断絶」については、また、次回に...

歌謡曲編:南沙織

2006年05月16日 | 邦楽のルーツ
いよいよ南沙織様の登場です。
とにかくかわいい!つぶらな瞳と長い黒髪、小麦色の肌。私の理想の女性でした。
いや、50を超えたいまでも、ますますお美しい。。。
あ、歌の話でした。いかんいかん。。。
一番好きな歌は「哀愁のページ」です。
ちょうど中学1年の秋だったと思いますが、なんともいえない切ない感じのメロディーがあの頃を思い出させます。
最初の英語の台詞といい彼女にとても合っている曲だと思います。
デビュー曲の17才から潮風のメロディ、ともだち、純潔、哀愁のページ、早春の港、傷つく世代、夏の感情、色づく街、ひとかけらの純情、人恋しくて、春の予感、哀しい妖精、街角のラブソング、バラのかげり、想い出通り、女性。。。こうしてみるとヒット曲も数多くありますね。
純潔、傷つく世代のようなアップテンポの曲もいいですね。
ただ、彼女はアイドルが馴染めなかったようで、なりたくないのになってしまったはじめてのアイドルだったという話もあります。
誕生の星座が同じ蟹座というのも不思議な縁?
でも、まだ一度も会ったこともなければ生で見たこともありません。
私の知り合いにものすごいシンシアファンがいまして、会うとよくシンシア情報を提供してくれるのですが、いつか会う機会を提供してくれるのではないかと密かに期待しております。
あの世に行くまでに一度はお会いしたい方ですが、いつまでも遠くからそっと見守っていたい気もします。

歌謡曲編:尾崎紀世彦

2006年05月15日 | 邦楽のルーツ
さて、小学校の頃大ファンだったキーヨ(尾崎紀世彦の愛称)の登場です。
なんと、この人GS出身なんですよね~ザ・ワンダース。その頃から歌唱力には定評があったそうです、全く知りませんが。。。
私的にはなんといっても「また逢う日まで」ですね。
布施明がちょっと陰のあるヨーロピアン系だとするとキーヨは明るいラテン系という感じがします。
この曲は、圧倒的な歌唱力というのか、聞いていて実にすっきりする歌です。
歌詞もメロディもわかりやすく、覚えやすい。阿久悠、筒見京平のまさにこれが歌謡曲という感じの歌でした。
この曲で71年のレコード大賞を受賞、これが、デビューして2作目。
次の「さよならをもう一度」はスケールの大きい、いいバラードでしたが、その後の「愛する人は一人」などは曲調も暗く、メロディも難しいアップテンポの曲でした。
あまりに早く歌謡界の頂点を極めてしまったせいか、私も何か物足りない感じがしました。
ある時期、曲に恵まれないというのは布施明にも通じるところがあると思います。
ただ、スバル「レオーネ」のCMソングは明るいいい曲だったと思いますが、レコードにならなかったのかな?LPに入っているのかもしれませんが。。。
私の記憶もこの頃から曖昧で、「こころの炎燃やしただけで」も何かのCMに使われていたような気もしますし、久々に初期のキーヨらしい曲だった「二人は若かった」はもっと後のような気がしますが、2曲とも72年のリリース。これもヒットにはなりませんでした。
しかし、「こころの炎燃やしただけで」のB面「ゴッドファーザー愛のテーマが」期せずして?大ヒット!その後は「5月のバラ」(77)、「Summer Love」(87、曲は井上大輔)と大人のメロウなLOVE SONGを聞かせてくれました。
私にとって忘れられないのは94年頃の番組「夜もヒッパレ」に出演して、ミスチルなど新しいアーティストたちの歌を歌ったことでした。キーヨが歌うと同じ曲がまるで別物に聞こえ、新鮮で解かり易く、自分が歌うのにも大変参考になりました。
ミスチルのほかにもスピッツやサザンなども歌っていましたが、やはり印象に残っているのはミスチルの「イノセント・ワールド」です。
豪快かつ繊細な歌と長いモミアゲと彫りの深いマスク、小学校の頃その男らしさに憧れました。最近、本人が、「また逢う日まで」この曲は化け物ですね。とテレビで話しておりましたが、歌えば歌うほど難しい曲だそうです。私も苦手な曲です(苦笑)シンプルな曲だけに難しいのだと思います。