Wind of Mind

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時空を超えた男の浪漫 最終話

2008年05月09日 | プロレス館
その後はお互いにメールをやり取りし、この年の8月8日に30年ぶりに彼と再開しました。
あった瞬間に思わずベアハッグ!
昼過ぎから深夜まで時間無制限のデスマッチとなったことはいうまでもありません。
今までのお互いの歩んできた人生を語り合い、特撮、プロレスと話題は尽きませんでした。
そして意外だったのは彼も音楽をやっていて夜の部は焼肉を焼きながらほろ酔い加減でギターを持ち出してのフォークバトル!

30年の時を埋めるにはこの1日では足らず「我々の第2部をはじめよう!」と翌年も再開を誓ったのでした。

さらに、この時彼はブログを始めており、そのブログで私達は小学生に戻って遊びました。
そしてそこでも新たな出会いがありました。。
その人たちに後押しされ、私は学生時代から作っていたオリジナル曲をMDやテープに入れ常連さんに送りました。
さらに、話が弾み、未録音の曲を録音することにまでなりました。
その時録音したのが2nd Stageです。

私が音楽活動をしばらく止めていたのにはもちろん理由があります。
この話はまたの機会にすることにしましょう。

そして、この彼のブログがきっかけとなり、後に立ち上げたのがこの「Wind of Mind」です。
このブログも発展し、念願であったオリジナル曲の配信までするようになりました。
30年ぶりの奇跡の再会から、私の生活は確実に変わりました。S君はもちろん本当に皆さんに感謝しております。

あの夏以来、我々は毎日のようにブログやメールで連絡をとるようになり、夏に函館に帰省する度に彼と会うようになりました。

去年は行けなかったけれど、今年は行きます!
首を洗って待ってなよ~!

本当に大好きなプロレスが時空を超えて我々を再び引き会わせてくれました。
まさに時空を超えた浪漫!まさに奇跡!
そしてインターネットってやっぱすごい!!!

時空を超えた男の浪漫 その2

2008年05月08日 | プロレス館
この時までのウルトラファイトさんの書き込みは力道山のことに関する質問など私から見ても古い話題が多かったので、私より年配の方だろうと思い込んでいました。

ですからこのコックスのときも、まさかという感じでこんな風に書き込んだと思います。

「私もこの試合を函館で見ています。まさか一緒に行ったS君じゃないですよね。(苦笑)」

もちろん違う人だと思っていましたし、30年も音信不通の友人に数多くあるHPの中でしかもハンドルネームで書き込んでいるのに会えるはずがない。
しかし、その反面、私がこのHPを知った時、すぐに頭に浮かんだのはずっと会っていなかったはずの彼の顔でした。
私が熱中するこのHPを彼もどこかで見ているに違いない。いや必ず見てるはずだ。
何故かそんな思いが頭をよぎったのです。

そして、私が書き込んだ次の日だったと思います。

私は軽く飲んで家に帰り、ほろ酔い気分でPCを開きました。
そして例の掲示板を見てみると、なんと、そこには信じられないコメントが書いてあったのです!

「僕はあの時一緒に行ったSです。あなたはMさんですか?

私はこの書き込みを見て酔いが醒めました。
鳥肌が立ちました。

そして、さらに次に書かれていた言葉は彼がS君だと決定づけるものでした。

「僕はあなたが考案したオートバイ固めを今でも覚えています」

オートバイ固め!!!
自分でもこの時まで忘れていたぐらいの技の名前をこの年になって聞くとは!?しかもなんとも冴えないネーミング。

オートバイ固めに戸惑いながらも私は感激してすぐに返事を書きました。

「本当にS君なんだね!・・・」あとはなんと書いたかよく覚えておりません。

S君は掲示板に名文句を書き込みました。

「嗚呼、プロレスは時空を超えた浪漫なり。。。」

最終話へ続く。

時空を超えた男の浪漫 その1

2008年05月07日 | プロレス館
さて、お陰様で、このブログもあと3日で丸2年になります。
2年目の締めくくりにプロレスが縁で30年もの時を超えてしまった男達の話をしようと思います。

あれは、今から4年前の5月の連休明けでした。。。

私は会社から帰って、いつものとおりお気に入りのミック博士のプロレス研究所というHPを見ていました。
このHPは数あるプロレスのHPの中でもその内容の充実ぶりから今や200万に達しようかというアクセスを誇る超メジャーなサイトです。
私はこのサイトをこの3年ぐらい前(2001年頃)に知り、その内容のすばらしさと掲示板に書き込まれるプロレスマニアの昔話が興味深く、毎日閲覧するのが日課となっていました。

最初のうちは私も掲示板に書き込んでいましたが、この頃は少し落ち着き皆さんの書き込みを見て楽しんでいる状態でした。
3年ぐらい掲示板を見ていると誰が常連で誰が新規かはすぐわかります。
ある日、掲示板でキラー.カール.コックスの話題になり、私も好きなレスラーだったので興味深く見ていると、数ヶ月前からこの掲示板に来るようになったウルトラファイトという方が「私は函館でコックスの試合を見たことがあります。」と書き込んでいるではありませんか!
私はこれを見てなにかピンときました。

これは私が中学生のときに見に行った試合に違いない!

この試合を一緒に見に行った親友がいました。
彼とは小学校からの同級生で、小学生のときは昼休みや学校が終わってからプロレスごっこや怪獣の話を毎日していました。二人とも妙に気が合い家にも毎日のように行ったり来たりしていました。

中学校も同じところへ進学したのですが、クラスが別々になり、私は新しい友達が出来たり部活などに夢中になり、自然と彼と会う機会が少なくなりました。この頃彼が学校を休みがちになっていたことはあとで知りました。
プロレスを見に行ったのは2年生のときですが、このときもクラスは別々でした。今思えばこのときだけ何故一緒に会う機会があったのか不思議です。
そんな彼とは中学卒業以来全く会っていませんでした。
母親から彼は就職してなかなか大変だというような話を聞いたことがありますが、会うことはありませんでした。

もしかしてウルトラファイトさんは一緒に見に行った彼では
そう思うとHNも怪獣好きの彼らしいような気がしてきました。
私の脳裏には彼と見に行ったプロレスと一緒に遊んだ日々が鮮明に蘇っていました。

ゴングのポストカード

2008年03月22日 | プロレス館
昔の別冊ゴングにはレスラーのポストカード(カラー)とミニブロマイド(モノクロ)が折り込み付録で付いていました。
私はこのポストカードが好きで毎月、密かに楽しみにしていました。

一度、ゴングのバックナンバーを頼んだ時、私が欲しかった号が品切れということで、お詫びに?出版社からこのポストカードとブロマイドを送ってきてくれたことがありました。
まあ、ゴングに付いているものなのですが、ちょっとした心遣いが子供心に嬉しかったなあ~

トップ画像は人間発電所ブルーノ・サンマルチノ!カッコイイ

ウイルバー・スナイダー


ボボ・ブラジル


エル・サイコデリコ

ドリー・ファンク・ジュニア引退試合

2008年03月02日 | プロレス館
元NWA世界チャンピオン、ドリー・ファンク・ジュニアの引退試合を昨日観てきました。場所は両国国技館。

会場に入ると、正面にドリーの使用したコスチュームやレスリングシューズなどが飾られている。試合終了後のパーティでオークションに出展されるらしい。


それにしてもすごい人だなあ。。。とよくよく人垣の中を見てみると、なんとテンガロンハットを被ったドリーが立っているではないか!!!
隣には西村、金髪の女性は奥さんだろうか。
グッズにサインをしているようだが、人で見えない。
私もグッズを買ってサインをもらいたいところだが、その列は階段までず~っと続いていて今からでは並んでも無理だろう。

しかし、今の若いファンはドリーなんて良く知らないという話を聞いていたが、これだけ行列ができると嬉しいものだ。たとえ引退という2文字があっても。。。

私はせめてドリーを間近に見ようと行列とは別の写真を撮っている人だかりを掻き分けた。ちゃんとした写真は撮れなかったが、ドリーを間近で見ることができた。
67歳とは思えない堂々とした体格、プロレスラーらしからぬ紳士然とした風貌は昔と変わらない。そして色が白い~


さて引退試合は、西村と組み天龍、渕と対戦。
客の入りは。。。良くない。

ドリーは赤いTシャツを着たままで試合をした。
驚いた。想像以上に動けない。。。

しかし、時折見せるエルボーアッパー、スマッシュは切れ味鋭く昔のままだ。
その他にもコブラ・ツイストや馬場の得意技河津落としも披露。
そしてNWA世界戦で馬場を投げ捨てたダブル・アーム・スープレックスもやってくれた!


最後は伝家の宝刀スピニング・トーホールド!
ドリーが2回3回と回っている。

思えば40年近く前にはじめてドリーの映像を見た時もこの技で回っていたなあ。。。

試合後の引退セレモニーでは「本当にありがとうございました」と日本語で挨拶をしたドリー。
セレモニーは、マサ斉藤、門馬忠男氏、なぜか坂口憲二も登場。
門馬さんは杖をついていたが、ドリーの引退に感無量の様子であった。
坂口憲二はTV番組でのインタビュー繋がりという話である。
最後はリング上で記念写真。しかしこのメンバーなぜか全日に見ない。


この日、国技館ではドリーへの10カウントのゴングが響き渡っていた。
レスラー生活45年!?
ドリー、お疲れさん。そして、夢をありがとう。

ドリー引退!

2008年02月29日 | プロレス館
グレート・テキサンこと元NWA世界チャンピオン、ドリー・ファンク・ジュニアが明日引退します。
http://www.all-japan.co.jp/news_topics_details.html?id=62

我々の世代はドリーの若きNWA世界チャンピオン当時をリアルタイムで見ることができて幸せでした。
若くてタフで素晴らしいテクニックにさすがNWA世界チャンピオンと思ったものでした。
今夜は世紀の名勝負として語り継がれる昭和44年のアントニオ猪木とのNWA世界戦をお送りします。
私はプロレスの世界にノーフォール、フルタイムドローという結末がありえるのだということをこの試合で知り感激しました。
出来ることなら猪木ともっと何度も戦って名勝負を見せて欲しかった。そう思っているのは私だけではないはずです。

カブキ健在!

2008年02月09日 | プロレス館
先日、プロレス仲間5人でザ・グレート・カブキさんのお店へ行ってきました!私は今まで行く機会に恵まれず初めての参戦でした。
店内は平日にもかかわらず満席。
カブキさんはカウンターの中で仕事をしながらお客さんの話に耳を傾け、時折嬉しそうに微笑みながら、話に加わったり。。。
時折見せてくれる馬場さんの口真似は面白かった。

私が直にカブキさんと対面するのは約35年ぶり。
あの頃私は中2、カブキさんは日プロから全日に合流した頃で、ちょうどその頃の話になったので、私は「その頃、高千穂さんのサインをもらってるんですよ」と昔もらったサインを見せると懐かしそうに嬉しそうに微笑んで見てくれました。
他にも我々の色々な質問に丁寧に答えていただき、本当に気さくな人柄がうかがえ時間の経つのが早かったこと。
写真をお願いし、デジカメを向けるとすぐさまファイティング・ポーズをとってくれました。
このサービス精神こそがザ・グレート・カブキとして全米を震撼させるほどの人気を勝ち取ることが出来た大きな1つの要素であったと思います。

カブキさんの話を聞きながら、毒霧チャンコ(キムチチャンコ)に舌鼓を打ち、お酒を飲んで、しかも料金もリーズナブルで大満足なひと時でありました。

このインタビューからも人柄がうかがえますね。↓
http://career.biglobe.ne.jp/dokuritsu/keymans/01/keyman_01.html

ちゃんこ居酒屋カンちゃん

2008年01月20日 | プロレス館
昨日は仲間内の新年会で、ちゃんこ居酒屋カンちゃんへ行ってきました。
お店のドアを開けるとすぐに元プロレスラーのキラー・カーンさんが立っていてびっくり!相変わらずでかい!
久々でしたが元気そうでした。

昨日は1人3,500円のコースを注文。
・カンちゃん鍋
・冷やしトマト
・手造り豆腐
・刺身盛り合わせ
・焼きトン
・鶏の唐揚
・おでん
・だし巻き玉子
・ポテトフライ
大体こんな内容です。
しかし、いつ見てもカンちゃん鍋の迫力には驚かされます。
昨日は鍋のあとのスープにご飯をいてれ雑炊にしてもらいました。
他の料理もボリュームがあり、焼きトン、鶏唐、だし巻も美味しかった~!

仲間内からの「タッグパートナーで上手かったレスラーは誰?」という質問に「タッグは嫌い、だって俺パートナーに気を使うからダメなんだよ、俺はシングル向き」と照れくさそうに苦笑いしながら話す様子になんとも人の良さがにじみ出ていたカンちゃんでした。

オコーナーの人間ミサイル

2008年01月01日 | プロレス館
子供の頃見たプロレスの写真の中でも一際印象的だったのが、このパット・オコーナーのドロップ・キックの写真でした。

このドロップ・キックは当時、一発必殺の「人間ミサイル」と呼ばれ、これを喰ったらひとたまりもない!そういう説得力のある写真だったと思います。
しかもメチャクチャかっこいい!

突き上げるように真っすぐ1直線に伸びた両足。
これほど美しいドロップ・キックを私は未だに見たことがありません。

実はウルトラ記念館の容量がいっぱいになり、書籍化して閉館しようと思いこの写真を探し回っていたのですが、意外にゴングにもネットでも見つからずいよいよプロレスマニアの方に相談しようと思っていた矢先に、もしやと思ってオークションで落とした昭和44年の「少年マガジン」にやっと見つけることが出来ました!ヤッタ-!
しかし、当時は定番だと思っていたこの写真を探すのにこれほど苦労するとは思いませんでした。。。

というわけで、ウルトラ記念館は時間を見て記事を整理していきたいと思います。
ある程度記事を削除した後、新たに怪獣大百科等の写真を撮りなおしアップしようと思いますのでご了承ください!

ゴング1970年12月号

2007年12月31日 | プロレス館
表紙はロッキー・ジョンソンの弾丸ドロップ・キック!
しかし、この号はなんといっても国際プロレスが日本ではじめて行ったラッシャー木村VSドクター・デスの「金網デスマッチ」につきます!
私はテレビでこの試合を観戦しましたが、予想通りの大流血戦となり、デスのパイル・ドライバーで木村がさかさまになったときに木村の額から鮮血が滝のように滴り落ちたシーンは子供心に計り知れないショックがありました。
テレビ放送翌日に小学校のプロレスファンの友人とそのシーンについて語り合ったほどショッキングな試合でした。40年近く経った今でも脳裏に焼きついております。

詳細はウルトラ記念館で!!!

ゴング1969年11月号

2007年11月25日 | プロレス館
表紙はA猪木VSザ・レモラ、と精密機械、沼田義明。
カラーピンナップと冒頭モノクロ特別グラフは8度目の来日を果たすザ・デストロイヤー。この頃の魔王は迫力がある。
他にカラーグラビアはザ・コンビクト、猪木のバック・ドロップ、ミスター斉藤とキンジ渋谷。
この頃の猪木のバック・ドロップはまだ相手の足を持って投げていたが、これはこれでなかなかカッコよかった!

詳細はこちらから!ウルトラ記念館