Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

ゴング1971年10月号別冊

2007年10月28日 | プロレス館
このゴングはなんといっても鉄の爪フリッツ・フォン・エリックが馬場、猪木に挑戦した2大タイトルマッチに尽きます!
1971年9月3日、ザ・シークのピンチ・ヒッターとして来日したエリックは翌4日、東京・田園コロシアムで馬場のインター・ナショナル選手権に、さらに6日札幌中島スポーツセンターで猪木の持つユナイテッド・ナショナル選手権にそれぞれ挑戦。
エリックはこの2試合でその実力を遺憾なく発揮、プロレスファンにとってはエリックを通して馬場と猪木のどちらが強いかをも見極めるような2試合であったと思います。
個人的には猪木戦の1本目に決めたエリックのストマック・クローに猪木が白目を剥いて悶絶してギプ・アップしたシーンが強烈に印象に残っています。
詳細はウルトラ記念館で!ドーゾ!

ゴング1973年9月号別冊

2007年09月24日 | プロレス館
今日は1973年の別冊ゴング9月号です。
この号は、なんといってもNWA世界王者のレイスからブリスコへの交代劇!
第48代のNWA世界チャンピオンとなり感涙に咽ぶブリスコの写真が印象的でした。
若くてカッコいい、正統派世界王者の誕生です!
この試合からベルトが新しくなりました。

詳細はウルトラ記念館で!!!

懐かしのビッグマガジン

2007年09月16日 | プロレス館
1970年まんが王4月特大号の付録です。
この表紙!先日ヤフオクで見つけあまりの懐かしさに思わず落としてしまいました~キャハ

内容は、
プロレス必殺技、名勝負、怪奇物語、デスマッチそしてプロレス漫画など。
今読むと間違いやらいかがわしい部分も多いのですが、それがまたプロレス雑誌の魅力で当時はよくあったこと。
そんなことすらも懐かしく、しかもどれも当時熟読した記事ばかり思わずノスタルジーな世界に入り込んでしまいました。

詳細はウルトラ記念館で!ドーゾ!

夢の対決 ゴッチVSロビンソン

2007年08月11日 | プロレス館
今日は先日亡くなったプロレスの神様ことカール・ゴッチさんの私的名勝負を振り返ってみたいと思います。

1971年、国際プロレスの第3回IWAワールドシリーズに1,2回連続優勝者の人間風車ビル・ロビンソンとあのプロレスの神様と呼ばれるカール・ゴッチが参加するというではありませんか!?
以前から原爆固め(ジャーマン・スープレックス・ホールド)は私の大好きな技で、日本ではアントニオ猪木が時折その美しいブリッジを見せてくれていましたが、元祖といわれるカール・ゴッチの原爆固めを是非この目で見たいと思っていました。

当時のゴッチはハワイで清掃かなんかをやっていてセミリタイア状態だったらしく、年齢からいっても当時全盛期ともいえるロビンソン有利というのが戦前の下馬評でした。私も若いロビンソンが有利だと思っていました。

このWシリーズでは計3回ゴッチとロビンソンはシングルで戦い、全て引き分けという結果でしたが、テレビで見た限りではなんと、ゴッチがロビンソンを押していた印象を受けました。

当時はトップ外人レスラー同士の対戦は珍しく、とても新鮮でこの両雄のテクニックの応酬に手に汗を握ってテレビにかじりついいていたように思います。

このシリーズはほかにモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)も参加していてなかなか豪華なメンバーでした。

結局、最終戦ではゴッチがロビンソンについにジャーマンを決めたものの1対1のまま両雄決着がつかず、得点で上回るM・ロシモフが優勝をさらってしまいました。
ゴッチはリーグ戦の公式戦でもこの2mを超す巨体のロシモフにジャーマンを決めており、実力世界一の面目躍如、大いに我々を楽しませてくれたのでした。

同じ時期、日本プロレスではWリーグで惜しくも優勝を逃したアントニオ猪木が控え室でジャイアント馬場に挑戦を表明。
日本プロレス界は大きく揺れ始めていました。

ウルトラ記念館に写真をアップしていきます。

カール・ゴッチ氏逝く

2007年07月29日 | プロレス館
プロレスの神様、カール・ゴッチ氏が亡くなったようです。
かなりショックです。

日本の試合で印象に残っているのは対ロビンソン、ロシモフ戦。
そしてテーズ氏と組んで猪木・坂口の黄金コンビと戦った、世界最強タッグ戦です。
去年見たビデオでは食欲もあり大変元気そうでしたが。。。

私の大好きなジャーマン・スープレックス・ホールドの創始者、日本での神格化をよく話題にされますが、やはり偉大なレスラーだったと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070729-00000039-spnavi-fight

ゴング1973年7月号別冊

2007年07月29日 | プロレス館
NWA世界王座交代劇!
ドリー・ファンク・ジュニアとハーリー・レイスが表紙を飾るこの号は、新しい時代の始まりを告げていました。
当時はアントニオ猪木がタイガー・ジェット・シンと毎週のように抗争を展開して、私もNWAからは遠ざかっていましたが、それでもNWA世界チャンピオンの動向はやはり気になっていて、この王座交代劇は当時かなりショックな出来事でした。

詳細はウルトラ記念館で!ドーゾ!

ゴング1969年6月号

2007年06月24日 | プロレス館
1969年、この頃のゴングは面白い!
このブラジルの表紙のゴングはインパクトが強かったです。
まだカラーグラビアが4ページしかない時代で、冒頭は第11回Wリーグを前にがっちり握手をする馬場・猪木・坂口のスリー・ショット。もう2度と見られない夢の顔合わせでした。
また「マスカラスの正体を暴く」というこの頃のファンにとってはたまらない記事などなど。

詳細はウルトラ記念館で!ドーゾ!

1969年ゴング5月号増刊

2007年05月27日 | プロレス館
ゴング写真画報とも呼ばれた増刊号は私にとって最高のプロレス本でした。
この増刊号は当時持っていなかったのですが、その内容のすばらしさから最近オークションで入手しました。
時は1969年(昭和44年)第11回Wリーグが華やかに開催されていました。
Wリーグの10年という一区切りを振り返るべく特集が組まれています。
その他にも国プロ、女子プロはもとより、日本に呼びたい50人の殺し屋、世界の怪奇レスラーなど。

詳細はウルトラ記念館でご覧ください!

大好評!?マスカラス・ハンカチ

2007年05月05日 | プロレス館
マスカラス、ドス・カラスをはじめメキシコのマスクマンがデザインされているハンカチです。
色は数種類ありましたが、好評のため友人・知人にプレゼントして今手元にあるのはこの1枚だけです。
この色合いもなかなかよいです!
実はこのハンカチ、盛岡の光原社で売られているものなんです。


ゴング1971年4月号別冊

2007年04月28日 | プロレス館
今月ご紹介するのは、1971年マスカラス初来日時のゴングです。
別冊にしては分厚く、当然のごとくマスカラスのカラーグラビア中心の豪華版です。
ピンナップもマスカラス!カラーと白黒で2枚付いていますが、複数枚付くようになったのはこの号からか?
他にはバション兄弟、Bミラー、M井上など。

詳細はウルトラ記念館へどうぞ!

鉄人ルー・テーズ

2007年04月18日 | プロレス館
鉄人ルー・テーズのサインです。
20世紀最高のプロレスラー、6度の世界チャンピオン、レオ・ノメリーニに敗れるまで936連勝。
そしてバック・ドロップの名手。

これは1995年に自伝出版のために来日した際に自伝に書かれたサインでオークションで落札しました。
その後、テーズ氏も帰らぬ人になってしまいました。
裏表紙には自伝を訳した流さんのサインもあります。
このときのトークショーは行きたかったです。





バック・ドロップ

レオ・ノメリーニ戦

若馬 ドリー・ファンク・ジュニア

2007年03月31日 | プロレス館
1969年2月11日タンパで戦うチャンピオンといわれたジン・キニスキーを破り第46代NWA世界ヘビー級チャンピオンとなる。
当時27歳の若き世界チャンピオン、ドリーは新しいタイプの世界チャンピオンとも呼ばれたが、リアルタイムで見ていた印象はタフでテクニシャン。さすがNWA世界チャンプというイメージであった。
得意技はスピニング・トー・ホールド、バック・ドロップ、ダブル・アーム・スープレックス、ドロップ・キック、エルボー・スマッシュなど多彩であった。
私的に印象に残っているのは大技よりも一瞬の隙を突いた逆さ押さえ込みや切れ味鋭いエルボーであった。
1973年5月にハリー・レイスに敗れるまで4年以上にわたる長期政権を築いた。
その後も全の本プロレスにおいてその実力を遺憾なく発揮、弟のテリー・ファンクとともにファンクスとしても絶大な人気を獲得した。
ジャンボ鶴田等若手の育成にも手腕を発揮している。

夢の対決、ドリー対マスカラス戦でのスピニング・トー・ホールド