ストリート・ライフ以前のアルバムもどうして、なかなかいいのです。
スクラッチ(ライヴ) (1974)
サザン・コンフォート (1974)
チェイン・リアクション (1975)
南から来た十字軍 (1976) 写真:右から3人目がラリー・カールトン
旋風(かぜ)に舞う (1977)
イメージ (1978)
このあたり、聴き込むほどに良くなる。。。
ここで特筆すべきは74年から76年までラリー・カールトンが正式メンバーであったということです。ラリー・カールトンはさまざまなアルバムに参加していたセッション・ミュージシャンでクルセイダーズ脱退後ソロで「ルーム335」というクロス・オーバー系の大ヒットを飛ばします。
この曲が入ったアルバム「夜の彷徨」(×写真)はフュージョンの名盤といわれています。
さてその後のクルセイダーズですが、1983年にはドラムのスティックス・フーパーが脱退。
このニュースを聞いたときはクルセイダーズも解散か?
と思わざるを得ませんでしたが、サンプルとフェルダーは2人でクルセイダーズを続け毎回ゲストを起用してアルバムを作成するという手法をとったのです。
その後1991年のアルバム「ヒーリング・ザ・ウーンズ」を最後に活動を停止、私的にもここで止まっていたのですが、その後も活動を続けているようです。
これ機会をにチェックしてみたいと思います。また楽しみがひとつ増えました!
夜の彷徨
スクラッチ(ライヴ) (1974)
サザン・コンフォート (1974)
チェイン・リアクション (1975)
南から来た十字軍 (1976) 写真:右から3人目がラリー・カールトン
旋風(かぜ)に舞う (1977)
イメージ (1978)
このあたり、聴き込むほどに良くなる。。。
ここで特筆すべきは74年から76年までラリー・カールトンが正式メンバーであったということです。ラリー・カールトンはさまざまなアルバムに参加していたセッション・ミュージシャンでクルセイダーズ脱退後ソロで「ルーム335」というクロス・オーバー系の大ヒットを飛ばします。
この曲が入ったアルバム「夜の彷徨」(×写真)はフュージョンの名盤といわれています。
さてその後のクルセイダーズですが、1983年にはドラムのスティックス・フーパーが脱退。
このニュースを聞いたときはクルセイダーズも解散か?
と思わざるを得ませんでしたが、サンプルとフェルダーは2人でクルセイダーズを続け毎回ゲストを起用してアルバムを作成するという手法をとったのです。
その後1991年のアルバム「ヒーリング・ザ・ウーンズ」を最後に活動を停止、私的にもここで止まっていたのですが、その後も活動を続けているようです。
これ機会をにチェックしてみたいと思います。また楽しみがひとつ増えました!
夜の彷徨
このタイトル聞き覚えないですか?
H氏のルーツもあり。
まあ、こういう遊び心が好きな人でした。
H氏のちょっとしたエピソードあとでアップしましょう。
仲良しこ良しなんですよね