戦争は 愛、正義、平和、の名のもと始まります。
そして国民は感情的になり「戦争の疑問」が喪失してしまいます。
そして罪のない人々が殺傷され、それを認識して終戦となります。
国は国民の救済能力を喪失して国民はただ深い悲しみと怨みだけが残ります。
いまでも被爆者の方々は治らない病気で苦しんでいます。
家族を失った遺族の記憶は深い悲しみと共に時を刻んでいます。
国のために戦った兵隊さんの尊い「命」は犯罪人扱いです。
敗戦国になった悲しさは兵隊さんの遺族に不愉快な思いをさせています。
相手は米国でした。その米国と協力して戦争に励もうとしています。
本当に日本を守ってくれるんでしょうか。
中途半端な「集団的自衛権」どれ程の安心が担保されているのでしょうか。
侵略戦争に加担してツケがまわってくるのは懸念だけでは済まないと思います。
平和は空気や水と同じ、一度汚染されたら元に戻すのは難しいと思います。
「戦争の痛み」を知る人の話を大切に聞くことが私達の義務ではないでしょうか。
そして考えて見ること、議論することが大切です。
どんな行動をとればいいか見えてくるのではないでしょうか。
何か「惨事」が起こったときに国民はどうするのでしょうか。
安部総理を責めるんですか、そんな人は無責任で幼稚な発想です。
総理は国のために決断しています。
それが正しいか間違いかは時間が判断します。
ただ総理に自分達のことを丸投げにして何も考えない議論しないは卑劣な発想です。
もし「惨事」があれば私達、国民すべてが責任を負うのが道理ではないでしょうか。
「集団的責任」の覚悟を自覚することが平和への道を発見できるはずです。