太平洋戦争は「東洋平和の構築」と位置付けられて始まったと聞きます。
しかし当事者の元兵隊さんのお話を聞きました。
私が18歳の頃一緒に仕事をした方です。
中国に派遣されたそうです。
実際は現地の住民を暴行、殺戮するのが当然だったそうです。
女性を強姦して殺害もしたそうです。
これは、軍上層部からの犯罪自己処理の原則でいわゆる証拠の隠滅です。
少年兵の人殺しの訓練もあったそうです。
捕虜を銃剣で刺す訓練です。
捕虜は泣き叫び命乞いをしたそうです。
しかし幹部からの命令で拒否できなかったそうです。
どうしてもできない少年兵は上司から凄まじい体罰を受けたそうです。
捕虜も泣き、少年兵も泣きながら刺したそうです。
列を作って順番に刺したそうです。
捕虜の体は傷だらけで悲鳴をあげながら死ぬまで30分以上かかったといいます。
その方は一度に3人の首を落として上司から刀を貰ったと自慢していました。
戦争は人を殺すと誉めれるんだなと不思議な気持ちで聞いていました。
「慰安婦」の話も聞きました。
当時は「慰安婦」の認識はなかったのでいま思うとそうだったのかと思います。
性交渉ができる宿があったと聞きました。
毎月、利用券が兵隊さんに配られるそうです。
後で調べて分ったのですが、「慰安券」のことですね。
記憶はさだかではありませんが確か20枚と思い出します。
その方は強姦を仲間と一緒になってたくさんしたそうです。
だから慰安券はあまり利用しなかったといいます。
その代わり他の兵隊さんとタバコと交換したと言っていました。
「あんな汚い女はだけない」と言っていました。
「どうして」私は面白くて聞きました。
その宿には10人位の女性が毎日兵隊さんの相手をさせられていたそうです。
ほとんどが韓国の女性だった聞きました。
多いときは500人以上の兵隊さんが列を作って順番待ちしていたそうです。
換算すると女性1人で50人の兵隊さんの相手をすることになります。
だから「汚い女」になるんでしょうね。
中には股関節を痛めて寝たきりの女性もいたらしいです。
いまの政府は「慰安婦」の存在はなかったと言っています。
しかし韓国や中国の被害女性の方の証言もあります。
また私のように元軍人さんの加害者の証言も記憶します。
「慰安婦」の存在はあったと私は確信します。
誠に恥ずかしく日本人として深く謝罪したい気持ちでいっぱいです。
集団的自衛権は「最小限」と唱えています。
しかし攻撃された側はどうでしょうか。
攻撃に最小も最大もないのではないでしょうか。
そんな恐ろしい日本軍隊の記憶は近隣諸国の方々に語り継がれています。
警戒心を抱くのは当然ではないでしょうか。
この問題はもっと深く考え議論しなければいけないと思います。
国会や国民の間で深く議論すれば必ず不道理に気づくはずです。
日本は「真摯な国」の姿勢を保つことが不戦への永久への誓いになると思います。
近隣諸国と歴史認識を共有して日本も理解してもらうことが本当の「国益」ではないでしょうか。
以前、戦争体験者の赤裸々な告白本を読んだことがあります。
かなりショックを受けました。
思い出してブログに投稿しようと思っています。