安部首相も戦争はしたくないと思います。
だって家族も友達もたくさんいるでしょう。
そして国民も守らなければいけません。
「専守防衛」これがいままでの解釈です。
つまり他国からの攻撃に応戦できる性格です。
将来、日本が他国から攻撃されることが想定されています。
しかし他国の攻撃を想定した専守防衛は充分に理解できます。
また軍部の拡充も日本国民の大きな利益になると思います。
しかし問題なのはアメリカが攻撃されたらそれに参戦する性格です。
アメリカは年がら年中戦争にあけくれています。
アメリカ国民もうんざりしているんじゃないですか。
それを日本に手伝えと言ってるんでしょう。
歴代の総理たちは上手に断ってきたんでしょう。
アメリカも世界の治安を守るとか上手いこと言うんじゃないですか。
治安を守るじゃないですよ。
結果的に他国の内政に介入して政権転覆が目的です。
それがイラク戦争でした。フセインが殺されただけです。
いまのイラクは宗教間の争いが絶えず終始のつかない状態です。
アメリカも手におえず知らん顔で撤退の始末です。
結論は罪無き住民を殺傷して莫大な恨みをかうことになりました。
アメリカは永久に「テロの脅威」から開放されることはないでしょう。
「テロ掃討作戦」は膨大な費用と人命を失うだけで疲弊するだけです。
そのツケの請求書を日本にも背負わせようと上手いことを言ってるんでしょう。
いざとなったら日本を守らないとか。
そうなれば米国との連携強化が必要と考えるのではないでしょうか。
それが「集団的自衛権の行使」容認の「憲法軽視」の姿になってしまいました。
首相は「周辺諸国や世界情勢を慎重に確認して行使容認の必要性は国益になる」
と我々、国民に説明します。
我々国民も首相も事態の結果でしか確認できないのではないでしょうか。
あまりにも戦争の形態が変わってしまいました。
国を持たない軍隊との戦いです。形がありません。
形が無いものを壊すのは不可能だと思います。
首相も外交的問題や日本の強化を考えての苦渋の決断だと思います。
世界から日本の強さを認識させる効果もあると思います。
ただ怖いのはアメリカの無益な戦争の手伝いをさせられることです。
首相も充分にそのことを意識してリスクを認識しているはずです。
首相や内閣だけにこの問題を進行させていけないと思います。
間違っていると判断すれば国民が方向転換できるはずです。
選挙があれば自分で判断して優秀な政治家を確立できます。
それが民主主義の特権ではないでしょうか。
国会や地方議会は特別な現象ではありません。
我々の代弁者が我々の意思のもとで議論して政策や法律を制定しています。
つまり間接的に我々の意思が「国作り」をしているわけです。
「誰がたっても変わらない」なんて言い方は殺されてもいいと言ってるのと同じことです。
自分達の命は自分達で守らなければいけないと思います。
日本は今、とても重要な歴史に遭遇しています。
ほっておけば遠くない将来、再び日本は「戦火の渦」に巻き込まれるでしょう。
とても怖いです。
障害者の私はみなさんの幸せのもとで生かされています。
みなさんの幸せが破壊されれば私も生きることはできないでしょう。
絶対に他国に武力行使は許せません。
「平和的外交戦略」への成功の実績を積み上げて日本は世界の指導者となるべきだと思います。