興奮しすぎて鼻血がでそうでごいす!
出勤途中でやばいもの、みちゃったでやんすよ!!あっしはこういうネタは人様のゴシップ同様大好物でして、どうも血沸きたつんですよ。おいおい、こりゃこりゃ、早くおみんなさんにお伝えしなきゃと思ったっつーこんで、小走りでお役所に向かってたんですよ。
そしたらですね、白い帽子を頭にのせて、麻のジャケットを羽織って、のんびり朝日を浴びながら歩いているまちのお旦那さん風情の父親が偶然市役所の向こう側から歩いて来るのを見かけちまったんですよ。
さささっと駆け寄り、「おとっちゃん、あそこのあれが、あれして、ごにょごにょごにょ」って伝えたら、「おっと、そりゃ、ビッグニュース!行ってマイル!」とそそくさと「あそこ」に小走りで向かいましたでござる。
って、なんだか、興奮のあまり、時代言葉と方言が入り乱れめっちゃクチャになってしまいました。だって、仕方ない!なんたって、今朝、私、見ちゃったんですもん。
新聞だったら
「甲府城の石垣遺構発掘!二の堀のアウトライン解明へ!」って見出し付けちゃいますよ!山梨のお米、お米が!!!そこに!って。
ふーーー
ふぃーーーーーー
よし深呼吸。
はい、
説明します。
甲府駅からほど近く、信用金庫があった場所。今からここに山梨県の駐車場が出来るところです。山梨のみなさんには通称たこ公園という名前で知られている橘児童公園の隣の発掘現場から、甲府城の石垣が出てきました。

先週そこを通った時には確認できなかった「石」が見えていました。だから、あれ?と思って、聞いてみたんです。そしたら、山梨県埋蔵文化財センターの方がすごくうれしそうに事務所に地図を取りに行き、私に説明してくれました
この石垣は甲府城の中、そのころの民から集められていた「お米」が蓄えられていた「御米蔵」があった場所で、その蔵の一部だそうです。

実は私が子供のころから普通に通っていた道は江戸時代からもあった道で
この先のたこ公園のところにお城から出る「青沼町口」っていう門があったそうです。
この道を基準に見ると、間違いなくここはお米蔵。
で、今回出てきた石垣は、信金の駐車場や植栽部分になっていたところだったので鉄筋をぶち込まれることなく、当時のままの姿が見えてきたのです。
甲府城の遺跡というと、我が家の斜め前にあるホテルの建設工事の時に出てきたのですがそれより南西方面では初めてっていうのだからびっくり!

たこ公園のところを流れる川が「二の堀」と言われていますが、このまま発掘をして石積みのアウトラインがわかれば当時の二の堀がどんな風だったのか、甲府城の調査研究の大きな前進になるそうです。
甲府城の石垣は自然石をそのまま積み上げる「野面積み」と言われる積み方です。
ここで出てきた石垣は石が水平になるように積んである「布積み」のように見えています。
これは甲府駅から伸びる道が緩やかな傾斜になっているのはわかると思うのですが、この当時お米蔵を水平に建てるために角度の調節をしていたのかもしれません。
あ、ちなみに当時の地面は今の地面より1メートルくらい下にあったそうですよ!
甲府駅前周辺は建設工事をする時、発掘作業も同時で行う場所です。それは甲府城があったところだからです。

丸の内、中央、北口、朝日という住所のところは、お城があり、武家地であった場所。今ではこの大いなる田舎のいち都市部という位置づけでいろんな建物が建ってます。

昭和時代の一時は「縄文」の遺跡ばかりに目が行き、自分たちが暮らす少し前の時代の遺跡に目がいかなかったそうです。もったいない。
「甲府城」の成り立ちなどを解明するための検証のもとになる遺跡などがその時に失ってしまっていますから、こうして、今はビルや建物の建て直しの時に調査して、記録を残すことをしているのです。
ここからまた丁寧にスコップで掘り起こし、たこ公園のところの二の堀までわかったらなんだか楽しい!
そして、この甲府城下町絵図を持ちながら今の甲府を歩くともっと楽しい!
こうなったら、甲府城建設前の遺跡も掘り起こしてみたらいいのに!って思うのですが、どうでしょう?
ローマのフォロロマーノならぬ、フォロコウフーノ見てみたい!!!!
出勤途中でやばいもの、みちゃったでやんすよ!!あっしはこういうネタは人様のゴシップ同様大好物でして、どうも血沸きたつんですよ。おいおい、こりゃこりゃ、早くおみんなさんにお伝えしなきゃと思ったっつーこんで、小走りでお役所に向かってたんですよ。
そしたらですね、白い帽子を頭にのせて、麻のジャケットを羽織って、のんびり朝日を浴びながら歩いているまちのお旦那さん風情の父親が偶然市役所の向こう側から歩いて来るのを見かけちまったんですよ。
さささっと駆け寄り、「おとっちゃん、あそこのあれが、あれして、ごにょごにょごにょ」って伝えたら、「おっと、そりゃ、ビッグニュース!行ってマイル!」とそそくさと「あそこ」に小走りで向かいましたでござる。
って、なんだか、興奮のあまり、時代言葉と方言が入り乱れめっちゃクチャになってしまいました。だって、仕方ない!なんたって、今朝、私、見ちゃったんですもん。
新聞だったら
「甲府城の石垣遺構発掘!二の堀のアウトライン解明へ!」って見出し付けちゃいますよ!山梨のお米、お米が!!!そこに!って。
ふーーー
ふぃーーーーーー
よし深呼吸。
はい、
説明します。
甲府駅からほど近く、信用金庫があった場所。今からここに山梨県の駐車場が出来るところです。山梨のみなさんには通称たこ公園という名前で知られている橘児童公園の隣の発掘現場から、甲府城の石垣が出てきました。

先週そこを通った時には確認できなかった「石」が見えていました。だから、あれ?と思って、聞いてみたんです。そしたら、山梨県埋蔵文化財センターの方がすごくうれしそうに事務所に地図を取りに行き、私に説明してくれました

この石垣は甲府城の中、そのころの民から集められていた「お米」が蓄えられていた「御米蔵」があった場所で、その蔵の一部だそうです。

実は私が子供のころから普通に通っていた道は江戸時代からもあった道で


この道を基準に見ると、間違いなくここはお米蔵。
で、今回出てきた石垣は、信金の駐車場や植栽部分になっていたところだったので鉄筋をぶち込まれることなく、当時のままの姿が見えてきたのです。
甲府城の遺跡というと、我が家の斜め前にあるホテルの建設工事の時に出てきたのですがそれより南西方面では初めてっていうのだからびっくり!

たこ公園のところを流れる川が「二の堀」と言われていますが、このまま発掘をして石積みのアウトラインがわかれば当時の二の堀がどんな風だったのか、甲府城の調査研究の大きな前進になるそうです。
甲府城の石垣は自然石をそのまま積み上げる「野面積み」と言われる積み方です。
ここで出てきた石垣は石が水平になるように積んである「布積み」のように見えています。
これは甲府駅から伸びる道が緩やかな傾斜になっているのはわかると思うのですが、この当時お米蔵を水平に建てるために角度の調節をしていたのかもしれません。
あ、ちなみに当時の地面は今の地面より1メートルくらい下にあったそうですよ!
甲府駅前周辺は建設工事をする時、発掘作業も同時で行う場所です。それは甲府城があったところだからです。


丸の内、中央、北口、朝日という住所のところは、お城があり、武家地であった場所。今ではこの大いなる田舎のいち都市部という位置づけでいろんな建物が建ってます。


昭和時代の一時は「縄文」の遺跡ばかりに目が行き、自分たちが暮らす少し前の時代の遺跡に目がいかなかったそうです。もったいない。
「甲府城」の成り立ちなどを解明するための検証のもとになる遺跡などがその時に失ってしまっていますから、こうして、今はビルや建物の建て直しの時に調査して、記録を残すことをしているのです。

そして、この甲府城下町絵図を持ちながら今の甲府を歩くともっと楽しい!

こうなったら、甲府城建設前の遺跡も掘り起こしてみたらいいのに!って思うのですが、どうでしょう?
ローマのフォロロマーノならぬ、フォロコウフーノ見てみたい!!!!