学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

何のために学ぶのか

2009-06-04 | 教育
「何のために学ぶのか」,
古くて新しい問いである。

私が子どもの頃は,よく先生が,
「何のために勉強するのですか?」などと
子どもたちに聞いたものである。
「おかあさんがよろこぶから」とか
「勉強するとほめてもらえるから」などといった
素朴な答えを言う子もいた。
たしかに,これらは勉強する理由としては
有力なものであろう。
大人でも,
誰かが喜ぶからとか,誰かから賞賛を得たいから
学んでいるという面はあるであろう。

また,
「将来○○の仕事につくため」というような答えもあった。
将来的な展望に立って,現在を見ているわけである。
将来,ある仕事に就くために
今勉強しなければならないというのは,
実際的で,これまたよく分かる理由である。
現在,学校教育の場で最も幅を利かせているのは,
小中高大を通じて,おそらくこの種の理由であろう。
「将来○○の学校に入るため」などというのも
この理由の亜種である。

よく似ているが,
「将来,人の役に立つ人になるため」というのもあった。
これは,高邁な理想である。
最近はあまり聞かれなくなったような気がするフレーズである。
「世のため,人のため」というのは
もう少し見直されてもよいように思う。

「勉強が楽しいから」,
これは少数派だが,
まじめで勤勉な子どもや
特定の教科などが大好きな子どもがそのように言う。
確かに,楽しくて勉強をするという場合があるだろう。
一種の趣味のような感覚である。
大人になってからする勉強などは,
この種の理由が多いのではなかろうか。

そして,多くの場合,
「自分のため」という淡白な答えを
先生は正解とされることが多かった気がする。
この答えは,解釈によっては利己的とも取れるのだが,
しかし,自分の将来の可能性を
実際的な意味で広げるという意味を超えて,
自己鍛錬など自己の人格陶冶の意味合いが
込められている理由だから,
これを正解とする先生が多かったのであろう。

我が教師生活を振り返るに,
「何のために学ぶのか」,
果たして,この問いを子どもに
きちんと考えさせてきただろうかと反省する。

さらに,
自分自身,
「何のために学ぶのか」と問われたとき,
果たしてきちんと答えることができるのだろうかと反省する。

もう一度,最初から考え直してみる必要がありそうである。