教師は,
どこかで自分が他人より優れていると
思いたがるものである。
だから,自分が他人より優れていることを
自分に納得させたいがために,
しばしば他人のことを心の中でこきおろす。
子供の不出来をこきおろし,
同僚の不手際をこきおろし,
上司の優柔不断をこきおろし。
そんなことをいつまで続けていても,
自分が優れた教育者になれるわけはない。
お互いがお互いを馬鹿にし合っていて,
優れた実践などが生まれてくるわけはない。
他人をおとしめることで,
自分の優秀さを誇示しようとすることほど
愚かなことはないのである。
どうも教師は,そのことに気づきにくいようだ。
どこかで自分が他人より優れていると
思いたがるものである。
だから,自分が他人より優れていることを
自分に納得させたいがために,
しばしば他人のことを心の中でこきおろす。
子供の不出来をこきおろし,
同僚の不手際をこきおろし,
上司の優柔不断をこきおろし。
そんなことをいつまで続けていても,
自分が優れた教育者になれるわけはない。
お互いがお互いを馬鹿にし合っていて,
優れた実践などが生まれてくるわけはない。
他人をおとしめることで,
自分の優秀さを誇示しようとすることほど
愚かなことはないのである。
どうも教師は,そのことに気づきにくいようだ。
道は遠い・・・。
バーナード・ショウの劇評を読んだある人が、「あの評はあまりにもひどいものです。血も涙もない冷たい方ですね、あなたという方は」と責めたところ、ショウはおもむろにこう言ったそうです。
「わかっていないんですね。わたしがはじめ、いったんは原稿に書いて、そのあと清書するときに消したところをご覧になれば、わたしが、いかに、心あたたかき人間か、おわかりになるはずです」
外山滋比古著「ユーモアのレッスン」(中公新書)より。
おっしゃる通り、批判を「馬鹿にされた」としか受けとめられないような人を批判したり、子どものためではなく、自分が優越感を得ることだけを目的に批判するような人を批判するには、意味がないことかもしれませんね。