学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

学校教育今昔 その6:保護者会校長先生のお話編

2005-10-03 | 学校教育今昔
保護者を集めて,校長が話をするときの様子,

昔 司会者が開会を告げ校長が登壇,
  校長のお辞儀にあわせて会場の保護者も会釈を返す。
  会場は静まり返り,静粛に会は進む。  
  校長の話に,メモをとりつつ,あるいはうなずきながら聞く保護者多数。
  校長の話が終わるやいなや,拍手の音が会場をつつむ。

今 司会者が開会を告げ校長が登壇,
  校長がお辞儀するも,会場の保護者は反応なし。
  会場は私語が絶えず,ざわざわと会は進む。
  校長の話に,ガムをかみつつ,あるいは嘲笑しながら聞く保護者多数。
  校長の話が終わるやいなや,席を立ち始める騒音が会場をつつむ。


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2 Comments

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厳粛な場は何処にあるのか (shooting_stars)
2005-10-09 19:28:07
大学の情報処理の授業でも同じです。



講義内容がわかっているなら、講師が説明している最中であっても何をしても良い、というのが当たり前の振る舞いのようです。



私がTAとして分担していた約50名に対して、パソコンを触る時間は後でありますから今は聴いてください、と注意しても反論します。



大学は中学・高校とは違うのではないのですか? と。



じゃあ、直接先生があなたに説明してくれているときにも、無視するの? 人の話を聴く場において、人の話を聴くという当たり前の行為は日常生活でも普通じゃないの? 大学における自由というのは、そんな非常識なものなの? (嫌な学生TAだー・笑)



何処であろうが、自分が直接の当事者(例えば発表者の立場等)でなくても、間接的にであれその場を構成しているという自覚があるのなら、どのような振る舞いが適当か、分かると思うのですが。



個人個人に対して抑止を効かせる方策が無ければ秩序が保たれないという状況も悲惨ですが、それを通り越し、そもそもあらゆる秩序を忌避する傾向は、ひきつった自由の主張につながり、柔軟性にかけるような気がします。



でも大学の一年生は生意気で元気があって反論してきてもなかなか楽しかったです。一年上なだけでしたので、あっちから見れば私のほうが生意気だったんだろうなあと。頭固いとか、メールを送ってきたりする人もいましたが、それは当たっている(笑)。







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Unknown (madographos)
2005-10-10 01:22:27
>shooting_stars様。こんにちは。コメントありがとうございます。「大学は中学・高校とは違うのではないのですか?」というあなたが受けた反論の言葉にたいへん興味をもちました。大学も,高校も,中学も,小学校も,おまけに幼稚園も,同じことを,形をかえ,見方をかえ,程度を変えて教えているのだということに気づく人は少ないのでしょうね。たとえば,人が話しているときはその人の話を聞くということは,もっともプリミティブなものに属するような気がします。人の話を聞く姿勢というのは,他者に対する共感性の有無とも関わっているため,人の話を聞けない人々が構成する社会は極めて危険です。大人も大学生もダメとなると,ちょっと危ないですね。
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